田辺聖子 女の長風呂 ㈼ 目 次  おべんじょ  里  心  名器・名刀  酒  色  はずかしさについて  また、はずかしさについて  商  売  不 当 表 示  生めよ殖やせよ  いとはん学校  男 女 似  ビビンチョ  歌  垣  むぐらの宿  ダ マ す 女  浮 気 心  鼻 と 口  パイプカット  馴れ馴れしい男  ねむけといろけ  翠 帳 紅 閨  トーフ屋の妻  圧 力 計  旧仮名と処女  男にもらうもの  わが愛の朝鮮人  男の想像力  あそこの名称  背 の 君  女 の チ エ  ヨバイのルール  言葉づかいのはずかしさ  ヒ ト の 素  ズボンとスカート  酒 呑 童 子  恐怖のゴキブリ  余  禄  暴 力 男  ろ し ゅ つ  炊きころび  チチ・ツツいじり  女 の 推 理  遊 び 半 分  二 号 は ん  マジメ人間  女のふんどし  ソ コ ハ カ  兵隊サンよ、ありがとう  長寿のヒケツ  公 害 の 害  あ と が き  おべんじょ  いつも締切りを守れなくて私は編集者に叱られるのである。  これでも一応は机の前に坐り、朝から一生けんめい書こうとしているのである。しかし書けない時は、昨日のツヅキから一行もできない。たいへん困る。どうしていいかわからない。そこらあたり跳ね廻りたくなる。締切りはその前日である。しかもはや今日も一日過ぎて日が暮れる、そういうとき、催促の電話が鳴る、絶体絶命、どうすりゃいいのだ、まさにそのときである。一種、異様な気持、悔恨とも悲痛とも慚愧《ざんき》ともつかぬパニックに見舞われる、焦《あせ》り、いら立ち、とり返しのつかぬ気持、できるものなら時間をよび戻したい、ワー、えらいこっちゃ、と髪をかきむしる気持。だが、こんな気持はどうも今はじめてのものじゃないのだ、大昔にもあった気がする。  それをあるとき、私はハッと思い出した。子供のころ寝小便をしてとびおきたときの感じなのである。冷たいから目がさめ、子供心にも「アッ、シマッタ!」と思う、どうしようと身悶《みもだ》えして蒲団にできた地図をじっと見る。手を振ったらパッと消える魔法がないかしらんと思ったり、ぶたれるかもしれないと考えてるうちに悲しくなってシクシク泣き出してしまう、その辛い記憶がまざまざとよみがえり、中年女の私をおびやかすのである。  締切り地獄からはぬけ出せないものの、お蔭さまで寝小便だけはこのところ縁が切れてうれしい。尤《もつと》も、たとえやらかしたとて、もう大人だから自分で洗って自分で干してりゃすむのだが、私は独り者ではないゆえ、相棒のヒンシュクを買う。買ってもいいが家事は落第の上に寝小便ぐせ、というのでは、離婚するにしても分《ぶ》がわるい。  どうして寝小便しなくなったかというと、お便所へゆきたくなると、自然に目が覚めるからだ。うれしいことだ。  しかし体調によるのか、お便所へいきたいのにどうしても目が覚めないときがある。ところが、深い意識の底で、いまやってはダメだと抑制しているから、寝小便にはならない。その代り、ありとあらゆる便所の夢なんか見たりしている。  私のよく見るのは恐ろしく汚ない便所である。総じて、こういうときに出てくる便所は汲取式である。しかもピラミッド型に盛り上った奴が、しゃがむとお尻に届かんばかりに|つくね《ヽヽヽ》てある。おまけに床板は濡れて腐って踏みぬく恐れあり。私は残念ながら断念する。  そうして私は便所を求めて夢遊病者のごとく(夢の中だから当り前だ)さまよいあるく。便所をみつける、やれうれしやと思い、かけよる。しかしその便所はたいへんな行列が十重二十重《とえはたえ》ととりまいている。とても待てない、私はあきらめてまた、次のをさがす。みつけてかけよる、こんどはドアがない。  私はまわりを見廻して人影のないのをたしかめる。しかし、やっぱりドアのないトイレには入れないのである。情けなくって泣き出そうかと思う直前、目がさめる。そうしてお便所へゆきたいのを思い出し、あわてて床をぬけ出していく。  そうして、ココハイイノダ、ココハシテモ大丈夫ナノダ、と寝呆けあたまで何べんも納得させ、やっとすませるわけである。何だかたいへん疲れ切った気がしたりする。  しかし、夢の中で見る便所がみんな使えないような汚ないところ、実に人間心理のはたらきというのは、うまくできてると思う。私は便所に対して神秘感さえもっているのである。  子供のころ、便所に関する迷信はじつにたくさんあった。 「赤マント」という流言もその一つであった。昭和十年代のはじめである。「赤マント」なる怪物は小学校の便所に隠れて子供を襲い、あたまから食べてしまうのである。  女の子は、校内の便所でもしばしば痴漢に襲われることがあるから、あながち荒唐無稽な作り話ともいえない。学校では、「お便所はなるべく連れ立っていきましょう」などといっていたが、私たちは赤マントのためだと思っていた。  女の子の間だけにささやかれる迷信だが、真夜中、便所に鏡をもって入っていると、未来の夫の顔が映るというのである。  これは魅力のあるこわい話であった。みんな、とてもやりたがっていたが、ついに誰ひとりした者がない。私だってそうである。未来の夫の顔を見たいが、夜中の便所で鏡を見られるかどうか、考えてみるがよい。思っただけでも鳥肌が立つ。  とくに私の家の便所は、長い廊下の先にちょこんとあった。便所の裏は、大阪の下町に多い、路地の行き止まりで、いつも地虫の鳴いているような暗い淋しい空地だった。  昼間はともかく、夜、小さい灯のついたこの便所に入っていると、肥壺《こえつぼ》の底から何かの手が延びてきそうな気がして、いつも死ぬほど恐ろしかった。子供の私には便所の底は、地獄に通じるかと思われるような魔界だった。おそろしく暗く、神秘で陰惨で、臭く汚ない、まがまがしいところだった。  しかし私がオトナになり、同時に水洗便所が普及してきて、何だか人生まで、あっけらかんとしてきた。  便所は食堂と同じく、単純明快、俯仰《ふぎよう》天地にはじないものになってしまったのである。  昔、必死の思いで恐怖に堪え、用を足したものが、今はぴかぴか光って明るいタイルの壁にかこまれて、いろんなのんびりしたことを考えたりしている。冬物の入れ替えをせねばならぬ、とか、家政婦の給料はこの一年で何パーセントあがったであろうか、ということを沈思する。 「そういうとき、手鏡で自分のものを見ることはおまへんか、女の人は」  とカモカのおっちゃん。どうして手鏡がいるのです? 「いや、女の人はむりに見ようとすると首の骨が折れまっしゃろ、男とちがうから——手鏡をさしこむと、その……」  何をバカなこと、いってるんです! 便所の中は狭い上に、妙な姿勢とってたらひッくり返るのがオチ、そんなあほなことする女っていませんよ。女は男とちがい、好奇心はそう強くないのだ。 「いやそうは思えん。その証拠に、女流作家の小説には、往々じつに詳しい臨床的な女性部分の描写があります。あれはどう考えても便所に手鏡をもちこんでメモしたとしか思えん」  いやなおじさんですねえ。男ってこんなこと、考えてるんでしょうかしらねえ。  里  心  おべんじょの話のつづきをするわけではないが、色町のチエの一つに、客が用足しに立つと、すぐ妓《おんな》がついていって、廊下で話しかけたり、出てきた客に手水《ちようず》の世話をしたりして、客の遊心をつなぎとめるというのがある。  これは全くそうで、便所の中にひとりいて心静かに用を足してると、何となく白けて興ざめるものである。  大方《おおかた》の男は、結構なる女性がついてきて、遊心をつなぎとめるという手厚い待遇を受けるような目には会ってない。たいがいカウンターのつき当り、ほとばしる水音が客席にもれ聞こえてくるような安酒場のトイレで、ひとり用を足すもんだ。  而《しこう》して暗い灯のもとで酔眼を朦朧《もうろう》と見ひらいて時計に目をこらし、今、何時やろ? とながめ、あれッ、もうこんな時間かいな、ひえっと目をうたがう。そうして頭《こうべ》をたれてすぎこし方《かた》、身の行く末に思いを致し、はかなげな水勢を見つつ、あれこれわが身の所業をかえりみているうちに、愕然として一瞬、われに返るものである。 「ああ おまへはなにをして来たのだと…… 吹きくる風が私に云ふ」  よって大方の人は、蹌踉《そうろう》と席へもどって、夢からさめた人のごとく、 「ほな、ぼちぼち、いこか」  などといったりする。  こういう、里心のつく一瞬は、便所の中のほかに、ジャリ(子供)がしゃしゃり出てくる時もある。これも困るものだ。オトナの席に出てくるジャリというのは、里心というよりも、風船がしぼむごとく、遊心を萎えさせ索然たる心境にさせる。  これは里心というより、人を本心に立ち戻らせるから困るのである。  ジャリがウロチョロすると、せっかく忘れている浮世のきずな、義理のしがらみを思い出させてしまう。便所どころの騒ぎではない。  ジャリは人のはずべき、隠すべき部分であります。  プライべートな、かくしどころであります。  人に自慢するなどとは以てのホカである。  会社の机上のガラス板の下に忍ばせて、日々仕事のあい間にうちながめてニンマリし、飽かずヨダレをたらしてるのはいやらしいが、しかしそれは会社だから、許される。  酒を飲むところへ来てまで、定期券入れに入れたジャリの写真を見せるなんて男の風上にもおけない。こんなことされちゃ、いかに好もしい紳士だと思っても、百年の恋も一時にさめはてるから、淋しい。  女が子供の自慢する、というのは、これはいわば「われ讃《ぼ》め」自画自讃、みたいなもので、さもあらんというところがあり、まァ仕方ないと情状酌量の余地もあろう。しかし男は困る。男は女房子どもは、家のシキイを一歩またいで外へ出るが早いか、精神的に離縁してほしい。  一個の男として行動してもらいたい。(酒席では会社より殊にそうである)色ごとの場では、いわずもがなである。  この頃の男、昭和ヒトケタ前半ですら、 「ウチのチビがなあ、こないだ学校で……」  なんていったりする。だらしない。 「連合赤軍みたいになったらどないしよう、思《おも》て心配やねん」  なったっていいではないか、腕白でもいい、逞しい赤軍になってほしい。どうせ他人の子だ。 「子供にも�恍惚の人�読まそか、思てんねん。いまに老後見てもらわんならんさかい」  これでも男か、と思う。女がそういうのなら話は分るが、大の男が子供に老後を托そうとヌケヌケいうところが、なさけないとも何とも。  男は一匹の老いたる狼となって曠野を行け。  内心はこの子にかかろうと思ってても、ヨソの女にそんなことしゃべるな。  男にジャリの話をされると、女はどっち向いてたらいいのか、わからない。いたく相槌《あいづち》に困るのだ。色けもとんでしまう。  しかたないから、作り笑いして、 「かしこいのねえ」などといい、 「先がおたのしみねえ」というと男はもう有頂天。  しかし女は酔いも恋もさめて、時計を見て、まだ終電に間に合うわ、なんて思ってる。  それから、独り者の女なら、自分も早く誰かと結婚して子供作ろうかとか、家庭もちの女なら、ウチの子はもう寝たかしらとか、里心がついてしまう。  おたがい、ジャリの話は外ではしないようにいたしましょう。ジャリのことしか、いうことがないというのでは、人生あまりにも哀れ、ジャリのことを自慢するよりは、わが道具、女房の道具を自慢するほうが、まだしもマシである。  自宅をたずねてジャリが出てくるのは、これは仕方ない。財閥ではあるまいし、どこの家も似たりよったりに狭いから、ジャリはちょろちょろ出没する。しかし、夜に入って酒が出る、食事が出る、そういう席までジャリが出てくるのは困る。坊やいくつ? からはじまって、お歌をうたったりお遊戯したり、オトナの注目と関心をあつめたとみて、いけすかないガキはますますのさばり、わがもの顔に|ほたえ《ヽヽヽ》まわって(はしゃぐ、ふざける、という意の大阪弁)|いちびり《ヽヽヽヽ》(調子にのってつけあがる、さわぐという大阪弁)、それを、亭主も女房も目尻下げて見てる、なんてもう、私は弱るのである。  いい男であると、子供は隣室で眠らせ、あるいはテレビをおとなしく見させ、見ぐるしきボロはみな隠し、酒席にまでのさばらせない。そういう男は外でもジャリのジャの字も口にしないようである。かくしどころは、ちゃんと包み隠しているのである。里心の出ないように、現実的な話はしないのである。  これは、男だけに限らない。女だって、外では亭主や子供のことは考えまいとして必死に飲んでいる。その悲愴感は「桜桃」を書いた太宰治より、強いのである。里心は男より女のほうが専門だからだ。それでも歯をくいしばって酒を飲んだり、色けのある話をしようとがんばってるのだ。まして男ががんばってくれなくちゃサマにならないではないか。  名器・名刀  名器というものにはふた通りの説がある。  一つは先天的に、肉体の構造上、あるものだという説である。  もう一つは、女が愛情をもったとき、誰でも名器の状態になるのだという説である。  川上宗薫氏などは、前者の説をとっておられるようである。而して、おおむねの男性は、そうらしい。  この世に名器があり、いつの日かそれにめぐりあうことを、見果てぬ夢のごとく思い描いている男たちは、その存在を疑いたくないのである。  これに対し、女たちはたいがい、後者の説をとるようである。  女には自分が鈍器だと、信じたくない気持がある。  もし鈍器だとすれば、それはタマタマ、そういう風にさせた相手がわるいのだという気がある。ほんとうに愛情こめて、愛を交わすことができたら、みんな名器のハズだと信じている。  この考えは、経験の少ない男性も、時に抱いていることがある。だから、この質問を男に試みると、彼の女に対する経験の有無がわかる。  カモカのおっちゃんをためしてやろうと思う。 「名器はほんとにあるものだと思いますか、それとも女が、相手の男をほんとに好きになり、身も心も、という調子で燃えたとき、名器になると思いますか?」  おっちゃんは酒をひとくち、すすり、しばし小首をかしげ、 「そら、どんな女も燃えたときは名器です」  これで、おっちゃんには女の経験が貧弱だとわかった。ほかの道具を知らず、あてがい扶持《ぶち》で満足していれば、それを名器と思いこむこともあるわけだ。そうしていっとき、ほんのちょんの間の、刹那的な美しい錯誤の愛を、ホンモノの名器と信じているのだ。  しかしまた考えようによると、それでもええではないか、と思われる。  男でも女でも、その生涯に豊富多彩な性体験を思いのまま積むことのできる人が何人いるだろうか。  環境、経済力、体力、だけでなく、性格的にも、できる人とできない人といるであろうし、名器が先天性か、愛情の結果か、という論争は無意味である。  ただ、おおむねの男たちは名器願望があるらしいのに対し、女には名刀願望はないのである。あっても、ごく少ない。  男は東に名器ありと聞けば、名物に美味《うま》いものなしと思いながら、走っていってこれをためすところがある。西に名器自慢の女あれば、ほんまかいな、とひやかしながら、大いに心そそられたりするところがある。  しかし女は、名刀、ワザモノ、剛刀、稀代の逸物《いちもつ》と吹きこまれても、ピンとこなくてもどかしい。  ナゼカ、名刀には興味ないのである。女は情緒的なムードの方によわいので、たとえワザモノでなく、|なまくら《ヽヽヽヽ》であっても、竹光であっても、ムード的なほうに比重が掛ってしまう。  男は名器をもっているというだけで、その女に存在価値をみとめてしまう。  しかるに女は、名刀に目鼻をつけただけでは困るのである。いかな名刀所持者であろうとも、それに加えるに男の魅力がなくては、名刀が名刀にならない。  男みたいに、名器さえあれば、目鼻もいらぬ、口が利けなくともよい、というのではないのである。  そこが男と女のちがうところだ。  ほんとうに、男と女はくいちがいだらけだ。これでは永遠にわかりあえっこない。  男たちはわが身にひきくらべて、女にも名刀願望があると思い込んでるから、女をくどくときに、わが名刀自慢なんかする奴がいるのである。相手がつつましい女なら殊更、 「いっぺん、試してみい、て。そら、びっくりするわ」  なんてけんめいに売り込んだりする。  女は気乗りのしない顔で、あんまりうれしそうでもなく、男はよけいカッカして汗かいてサイズを説明したりして、見てたら、名刀自慢の男、バカはバカなりの可愛さがあるものの、見当ちがいもいいとこで気の毒になる。  よっぽど飢えてるか、未経験かの女でない限り、あるいは女ばなれした好奇心をもち、むしろ男の領分に近づいた、経験のありすぎる女でない限り、名刀自慢にくどきおとされることはないのだ。  たとえ名刀に手をもちそえてさわらされ、これ、この通り、とやられても、 「ハァ」  と気のぬけた返事をしてきょとん、とし、あとで私に向ってひそかに、 「鉛筆かと思《おも》た」  と告白し、あらためておのが亭主の方が剛刀であると見直したりして、 「男の人ってみな同じじゃないのね、千差万別ねえ」  とふしぎがっている女もあるのだ。男があんまり見境なく名刀自慢をやらかすと、恥をかくだけであるから、つつしまれるがよかろうと存する。  ところで私はというと、名器、名刀にも相性《あいしよう》というものがあるのではないかと思う。それがすなわちムードや情緒や愛情というものかもしれないが、私にいわせれば「相性」である。いや、名器には相性なんてない、万人ひとしくみとめるからこそ名器なのだ、と男はいうかもしれぬ。それでは百歩譲って、名器はともかく、名刀は絶対、相性のものですよ。  相性があわなければ、名刀もあたら宝のもちぐされである。よき相性をもった、よき相棒にめぐり合うことがすべてであって、万人ひとしくみとめる名刀なぞ、なんの女がうれしいものか。女の欲しいのは、相性のいい相棒だけ、それも自分だけの相棒である。 「ふん」  とカモカのおっちゃんは鼻を鳴らし、 「相棒《ヽヽ》か、愛棒《ヽヽ》か知らんけど、どだいそれが何ぼのもんやねん、長い人生、色ごとは束の間の夢ですよ」  と悟ったことをいった。これは近来衰えたる兆《きざ》しであろう。  酒  色  林間、紅葉を焚《た》いて、酒をあたためるべき季節である。紅葉の枝を折ってお燗をつけましょう。お酒があたたまるあいだ、木蔭の椅子に坐って「五木寛之作品集」を読んだり、折々は書を伏せて、帽子をかぶってヤスを携え、ツチノコをさがしにいきましょう。であるが、私の家には焚くべき紅葉の枝もなく、木蔭の椅子もないのだ。仕方ないから台所でガスをつけて酒をあたため、ツチノコの代りにカモカのおっちゃんがきたから、酒をごちそうしましょう。  お酒のあったまるあいだ、 「酒色、といいますが、やはりペアになってるべきもんですなあ」  とおっちゃんはいう。 「ああいうことは、酒なしには、あほらしてできん。素面《しらふ》でやるやつの気がしれまへん、どんな顔してあんな恰好できるねん」 「おっちゃんは飲んでヤルほうですか」 「むろんです。しかし、これがしばしば、飲みすぎてできんようになるんで、困りまんねん」  飲まなきゃやれぬ、飲めばできぬ、どないせえ、ちゅうねん、いったい。  いっぺん、飲まないで、その道ひとすじにいそしんでみたらどないですか。 「はずかしいこと、いわんといて。酒も飲まんと、どっち向いたらええねん、あたまは冴えてる、目はパッチリ、麻雀の借金も家のローンもみな明晰におぼえとんのに、女の体に手ェかけて、チョネチョネ、やってられまっかいな」  すると、酒飲んで、そういうことを一切忘れ、酔っぱらって酔眼朦朧でヤル、というのはつまり、酒の力を借りて、ムリにその気になるように、気のすすまぬものをかり立て、そそり立てる、催淫剤といいますか、媚薬といいますか……。 「そらあたりまえです。アレは正気の人間にやれるこっちゃ、ない」  とはひどいが、また再び、「婦人生活社」の原田社長に登場していただくと、氏は、恋愛のチャンスに恵まれぬ若い娘に、恋愛発生のコツを左の如く、教唆《きようさ》しておられる。  一つは、太陽光線のないところである。電灯のほうが、「うつつごころ」を消すのによろしいという。  二つは不規則な時間だという。つまり、日常次元の時間ではないとき。深夜、早朝、それから会社の勤務時間外のとき。  三に、家族がいないところ、という。  これはまことに適切な助言であって、原田社長は遊び人ではないからこそ、岡目八目で、男女の機微に通じることがおできになるのだろう。  ところで、これは、恋愛と構えるまでもなく色ごとにも通じるのはいうまでもない。ただ、色ごとということになると、も一つ、起爆剤が要るのであって、それが、カモカのおっちゃんにいわせれば、酒だというのである。  しかしそれでは、酒を飲まぬ人は、どうなるのだ。毎日、素面の人はどうすりゃ、いいのだ。 「さいな。それが僕にもわかりまへん。たとえば僕らやったら、この女とナニしようとすると、まず、洒を飲む、ええ|こンころもち《ヽヽヽヽヽヽ》になって口もほぐれ気もかるく、冗談を叩いたり、チョッカイ出したり、ゲンコツ見せたり……」  ゲンコツを見せてどうするのだ、空手の型でも見せるのかしら。 「いや、その……いいにくいな、今晩、どうですか、とゲンコツを見せる」  いよいよわからない、今晩とゲンコツとどんな関係があるのだ。 「いや、そこまでいうてわからんのか。学校で何習うとんね……つまり、ゲンコツの拇指《おやゆび》はたいてい外側に出てますわな」  私、わが手でゲンコツを作って、つくづく見る。 「ウン、外側へ出てる」 「その拇指を中へ入れて握る」  私、そうする。 「こんどはそれを人さし指と中指のあいだから出して見なはれ」  あほらしい。 「ま、そういうゲンコツを見せたり、すると女が、バカン……と僕を叩いたりしまンな」  そりゃそうだろう。 「そうして押したり引いたりするうちに、何となく、ムードができ、これをしも酒色という、たいがい歴史の本読むと、古代の帝王で暗君、馬鹿殿様というのは、『酒色に溺れ』と書いたァる。そら、やっぱり、色ごとと酒はひっついてるもんです。もし素面なら、僕はもう、十四、五の中学生みたいに堅《かと》うなってしもて、ゲンコツなんか、あべこべに見せられたら泣き出してしまう」  しかし酒飲まぬ御仁は、端然と危坐《きざ》し、 「どうかね? エ? 今夜」  と詰問口調になる、のではないかとカモカのおっちゃんはいう。  かりに、話がついて、結構なる美女と、結構なる場所へいくとする、咳払いなんぞして床に横たわり、じーっと、眼光するどくあたりを見廻し、美女の一挙手一投足を値ぶみするごとく見る、あるいはせいぜいチューインガムをかみつつ、一、二、三、と徒手体操になっちまう。酒気がなけりゃ、 「色気もヘチマもおまへん」  とカモカのおっちゃんはいう。  お酒があったまってきた。徳利からついで飲む。おっちゃんにもついでやる。 「ああ、おいしい」  酒が熱いせいか、胃袋までずうっと入ってゆくのがよくわかる。 「『胃袋のありどこを知る熱い酒』ってね」 「胃袋どころか、男はずうっとその下までいって、竿の先っちょまでいくのがわかる」 「まァ」  優雅なる私は赤面してるのに、おっちゃん尚《なお》も図に乗り、 「女の熱い酒は胃袋の下をずうっとずうっと下って、これは先で二つに分れる」 「キライ!」 「ソレ、そうやってチョネチョネして、今晩どうですか? といえるやろ、やっぱり、酒色はペアになってるもんですな」  はずかしさについて  この頃は、無智《ムチ》・無恥《ムチ》した男女が多いが、人はどんな場合にはずかしく思うのだろうか。  私が「はずかしい」という言葉で連想するのは、私の知人の姉さんの友人の話である。彼女はまだうら若い乙女の身で、痔《じ》の手術をすることになったが、手術前夜、はずかしさに堪えかねて自殺してしまった。  昭和二十年代の終りのことである。二十年前には、こんな乙女もいたのだ。  カモカのおっちゃんは、このあいだ知り合いのお巡りさんと、ウソ発見器であそんでいた(あそんでいたもおかしいが)。  お巡りはおっちゃんに機械をしかけておき、質問した。 「オマエ、ゆうべ女房《よめはん》とやったやろ?」 「いや、やらん」  とおっちゃんは答えたが、ピピピピ、と針はふるえ、ウソがばれて、おっちゃんは、いたくはずかしかったという。バカじゃなかろうか。べつにウソつくこともないじゃないか。  私の場合は、締切りにおくれ、いろいろ、いいわけを考える、それがバレる。はずかしく思う。一回につき、半年ぐらいは寿命がちぢまる気がする。ひと月に三、四へん、締切りにおくれるから、ひと月で二年ほどずつ、寿命がちぢまってゆく勘定である。  それから、小説を読んでいて、はずかしく思うこともある。尤も、すごいポルノ場面があってはずかしく思うのではないのだ。そんなウブなおせいさんでは、もはや、ないのだ。そういう場面は面白くて喜んで読みこそすれ、はずかしい、というものではない。  私がはずかしく思うのは、大上段にふりかぶった小説、たとえば、三島由紀夫サンの小説のあるものははずかしいですね、「午後の曳航」なんか、はずかしいですね、わかりきったことをていねいに書いてるのがはずかしいですね、三島サンの文章から「……のような」という形容詞を抜いたら何ものこりませんね、無ですね、美しい空虚ですね、それを大見得切って仕立てあげてる「午後の曳航」ははずかしいですね、穴があったらはいりたい気がしますね、サイナラサイナラサイナラ……。  尤も、三島文学についていうと「金閣寺」はりっぱ、これがピークである。 「潮騒」もはずかしい。これにくらべると左千夫の「野菊の墓」のほうが、自然である。この方が、ニホン人男女の恋である。  私のはずかしいのは、自分自身のことでもう一ついうと、写真がはずかしい。  いや、ブスだから写真がでるのがはずかしいのではない。醜貌をはじるようなウブなおせいさんでもない、マジメな顔でとられるのがはずかしいのだ。  私は下らない小説や戯文しかかかぬ女だ。それが、国会で討論するような、まじめな顔にうつるのがはずかしい。  この点、新聞社・雑誌社の猛省をうながしたい。  私は先般、某新聞社に小説を連載するに当り、にっこり笑った顔写真を提出した。  しかるにくだんの新聞社はそれを断固拒否し、急遽《きゆうきよ》、カメラマンを派遣して、私のマジメな顔をパチリととっていった。紙上に掲載されたるそれは、全く、ヅカガールに入れあげて使い込みした女横領犯人の手配写真の如くであった。私の友人は、某新聞社を告訴せよとすすめたほどである。  マジメな顔の写真をのせたからって、それで新聞に箔《はく》がつくものではないのだ。どだい、私にマジメな顔が似合うかというのだ。  もちろんこれは人それぞれであり、五木寛之おにいさまが哄笑している写真を本の広告に使ったりしたら、読者はとまどうであろう。その反対に、井上ひさしおにいさまが風に髪をなぶらせ、コートのポケットに手をつっこんで、憂愁にみちて海に向いている写真などを本の広告に出したら、これまた、読者はとまどうであろう。  私の場合、マジメな顔の写真をとられるとはずかしい。  私の知人のミセスは、体の影の部分の毛に白いのがまじっているのを、夫や恋人にみつけられるのがはずかしいといっていた。  あたまの髪は、何ともないのに、影の毛(もうひとつのカゲという字は、私はきらいだから使わない)のほうが先にきて、がっくりくるといっていた。「老色蒼然として来《きた》る」という奴である。  また、世間には、影の毛は何ともないのに、あたまだけ白いものがまじっている奴があり、これが、反対のと、いい合いしているのをきくとおもしろい。 「ぼくは上のほうはあかんけど、下は青年なみやで。まだ若い証拠や」 「あたしは下は、そら何やけど、上はこんなに美事に黒いのよ、これがほんとの若さよ」  カモカのおっちゃんは、双方のいい合いに困り、なだめるごとく、いった。 「まあまあ、ともかく、よう使うからシラガになるのとちゃいまッか。あたま使う人はあたま白うなるねんやろし、アレ使う人は、あそこ白うなるやろし……」  双方の顔をたてるのはむつかしいのだ。  ところで、夫や恋人にみつけられてはずかしく思う人は、どうしているのであろうか。  抜くのだろうか、剃るのだろうか、ハサミで切るのだろうか。知人のミセスはハサミだといっていた。  しかし私からみると、切ろうという気持のほうがはずかしい。  自然の趨勢《すうせい》だから、何もかも自然に生えるままにしておいた方がしゃれているように思われる。ブタクサやキリンソウとちがうのだ。  粋な紳士や、しゃれた淑女が、裸になると、ちょっと「自然の趨勢」を見せているなんて、おもむきふかい。花も実もある感じ。 「自然の趨勢」は、性的エネルギーの大小と、関係ないものである。全然、そっちの欲望を卒業して仙人になってる人でも、あんがい、若いままでいることがある。  私が、それを摘んだり切ったりして除去する気持《ヽヽ》のほうがはずかしいといったら、カモカのおっちゃんはいった。 「僕は、そんなんやってる恰好《ヽヽ》のほうがはずかしい。女の人なら尚更、はずかしィて想像もでけまへん」  また、はずかしさについて  はずかしい話のつづきをしましょう。何しろ、いまやこの昭和の大御代、はずかしいなんていう感情は、珍無類の骨董品風のものであるらしく、どっちを向いても、あまりはずかしいなんてコトバが出てこない。  たとえば、日中友好なんてこと、今は草木もなびいて友好ムードの風の吹くままであるが、ひと昔前は、日中友好というコトバさえ、発音もできないほど迫害された。  今はどんな代議士もチャカチャカと日中問題を論じ、われもわれもと中国へいきたがる。  いかにそれが政治だとて、私は、はずかしい。しかしそういうことをはずかしく思うような人間が、代議士になるはずないのだ。選挙の「使用前・使用後」のかわりかたを見ても、はずかしいなんて考えていた日にゃ、この商売、張っていけない。  猫も杓子も中国語を習い、それはそれでかまわぬが、私のごく個人的な体験、偏執的な感想を申せば、中国語には痛みの記憶がある。  対中国の戦争があったころ、私は小学生の童女であった。そのころ、中国大陸で戦う日本の兵隊サンのニュースと共に、中国語が内地にもたらされてきた。  苦力《クーリー》、姑娘《クーニヤン》、小孩来々《シヤオハイライライ》、|再 見《ツアイチエン》……新聞には、城壁に一ばん乗りの日章旗を掲げた兵隊サンや、クリークのそばの草むらで、シナの小孩《シヤオハイ》(子供)と談笑している兵隊サンの写真があった。子供の私は、日本の兵隊サンは強く正しく優しいもんだと信じていた。  しかるに私の級友は、彼女の叔父が復員してきて、村の姑娘たちを一軒の家にとじこめ、外からカギをかけて焼き殺したというみやげ話をした、といった。そうして絶対、これはほんまのことや、と級友はおごそかにいった。私は「日本の兵隊サンがそんなこと、するはずない」と必死に抗議して、しまいにワッと泣き出した。  いま、一二三四五六七八《イーアルサンスーウーリユウチーパー》……という語を聞いてさえ、私の胸はやるせないような、はずかしいような痛みにおそわれるのである。  政局の風の吹くまま、おもむくままに、はじもせず顔を右向け左向けして歌っている人々を、私はただじっとながめているだけである。  さて、私の女友達のひとりのハイ・ミスに、はずかしいことって、どんなこと? と聞いてみたら、最近、ある男と親密な関係になった彼女は高等政策上、バージンをよそおっていたが、とうとう、ヤツと寝る|はめ《ヽヽ》になった。一生けんめい、「あら、お止しになって」などと思い入れよろしくあって、「痛い痛い」などといっていたら、男はうち笑い、 「ほんまかいな」  といったそう、女友達はいたくはずかしく、 「あいつ、いやらしい奴ちゃ」  と憤慨していたが、それは私、思うに、あいつはともかく、大阪弁のなせるわざではないか。「ほんとかい?」などと東京弁で歯切れよく聞かれるよりは、「ほんまかいな」などとやられると、はずかしさ、いや増す。  どうも大阪弁には、人をひやかす、おちょくるところが多く、水をぶっかける、水さすときに最適の言葉である。こういうのを「ペケかます」というのではないか。関西の言葉にあるが、今はあまり使わないので、「ペケかます」がどういう風にもちいられたかわからないが、語感としては、わが女友達の遭遇した難儀の場合にあてはまるようである。  神戸開港のころの俗謡にも 「二度と行こまい 兵庫の神戸 行《い》たら異人が ペケかます」  というのがある。この場合は、異人の巧妙な商取引に翻弄されることをいったのであるか。  私は、やはり思うに、わが俗なる根性が露呈したときがはずかしい。  たとえばバイキング料理。  欲深なる私は思わず皿にいっぱい、戦利品をせしめてテーブルヘ帰り、食べはじめる。しかし隣りのテーブルの人が、別な料理をとってくるのを見ると、また猛烈にほしくなる。取りにいく、そして結局食べ切れず、ボーイさんに折箱を下さいといって、バイキング料理ですからお持ち帰りはごかんべん下さいとたしなめられてはずかしい思いをする。  私のべつな友人、男とさるホテルヘいき、あとで引きあげるとき、ベッドが乱れてるのがはずかしいといった。それで、けんめいにシーツをひっぱって、ちゃんとしとくのだそうだ。  チリ紙などやわらかい屑はトイレに流し、流せないものはビニール袋と紙袋に包んでお持ち帰りになるそう、この頃はあとしまつのわるいアベックが多いから、この羞恥心は、女の身だしなみとしてめでたいことであろう。 「おそろしくしたと掃き出す出合茶屋」  という川柳があるところをみると、江戸時代のアベックも、あとしまつはわるかったのかもしれない。  やっぱり人間も、ひととし拾うと、羞恥心が身にそい、することが奥床しくなるのではなかろうか、尤も中年老年になっても、平気で乱れっぱなしにして出る人も多いであろうが。  しかしカモカのおっちゃんはにがにがしげに、 「あほかいな、そんなはずかしがるのなら、はじめからホテルなんかへいかなんだらええねん」  もう一人の友、これはキスするとき、はじめは目をつぶってたのに、相手がどんな顔してるだろうかと目をあけてみたら、相手もちょうど目をあけていて、目と目があってはずかしかったといった。そうしておっちゃんに、 「ええ年して、キッスなんかするさかいや、せなんだら、はずかしい目にあわんですむねん」  とたしなめられていた。  またある友(これも女の子である)、途中でいろいろ体位を変えるといい(何の途中か、私にはとんと解《げ》せぬが)、 「そのとき、思わずすぽんととりはずしてしまうねん、それがはずかしィて……。何で、ということないけど、ああいうときはずかしいわァ」  という、おっちゃんは、どういう風にとりはずすのか、克明仔細に聞きただし、おもむろにひとこと、 「何がはずかしい。また納めたらしまいや」  商  売  私は「食わずぎらい」というのは、ほとんどないつもりであるが「見ずぎらい」というのはある。プロレスなんかはそうであった。しかるに某夜、プロレスをみていると、何かおもしろそうだ。折も折とて、カモカのおっちゃんが、「あーそびーましょー」とやってきた。  よろこんで上へあげてやって、一緒にテレビを見る。  画面にはくんずほぐれつの大乱闘が映っている。  見てると、メッタヤタラと組付き、撲《なぐ》ってるみたい。 「あれでもルールはあるんでしょうか?」  と私。 「そら、おますわ。大ざっぱにいうて、やっぱり、タマをつかむのと、穴につっこむのはルール違反ちゃいまッか」  とおっちゃん。 「穴というのはやはり、鼻の穴とか耳の穴とか、お尻の穴とか……」 「男がほかにありますか?」 「タマというのは、やはり目の玉のことでしょうね」 「カマトト。も少し大きい目のもあるようですな」  ムチムチ、ブクブク太った大男二人、上になり下になり、押さえこみ、はねとばし、フーフー鼻息も荒く、一方にやられると一方は怒り狂って悪鬼の形相になり、むしゃぶりついて仕返しする、とまた片方が何をッという表情で大あばれする。場内昂奮のるつぼの如く騒然、見てると自然にこっちも力が入っておもしろい、しかし、できすぎたおもしろさみたいな気がしないでもない。 「そこがショーで、みんなよろこぶ所以《ゆえん》です。ホンモノのケンカなんか誰が見まっかいな、プロレスいうのんは、できすぎたケンカやからこそ、アカの他人が見ててもおもしろいねん、そらうまいこと商売やりまっせ」  互いに火花をちらして相搏《あいう》つ肉弾、はずむ息、怒号、雄叫《おたけ》び、ほんとうに怒り心頭に発してカッとしたようでもあれば、観客に、オレはイカったぞーっと誇示してるようでもあり、ホン気かウソ気かわからない、そのやりとりがまことにおもしろい。  その上、私は品性|陋劣《ろうれつ》のせいか、見てるうちに何だかあやしき想像がムラムラとおこり、はずかしくなってきた。だって上になり下になり、からむ肉体が、男といい条、ムチムチした巨体だから、ヘンに見える。とても正視に堪えない、おっちゃんはそんなことありませんか? 「いや、そら、そう想像するのも自由ですわ、いろんなこと考えてたのしめる、それもプロレスの商売でっしゃろ」 「それも商売の中へはいってますか」 「そら、見る人の勝手ですが、何ちゅうても、金とって見せるだけのことはある。ほんまのケンカや思うて昂奮しよる人もありゃ、できすぎたケンカやと、そのできすぎ具合を楽しむ人もあり、中には、おせいさんのようにヘンな想像してニンマリするのもおり、いろいろです。そしてそういうふうにたのしませるだけ、プロレスいうもんは、けんめいに工夫ひねって、商売考えてるわけですな」  おっちゃんは、商売ということは、とても大事であるという。  そしてみずから、酒をつぎつつ、 「いまの日本で、何がいちばん商売ヘタか」 「ワタシの小説!」 「おせいさんの三文小説なんぞ、知れとる。ヘタでも上手でも、あんまり実害ない。政治ですぞ、政治!」 「ヒヤヒヤ」 「政治家は政治すんのが、商売やのに、この商売、いちばんヘタクソ、これは実害あるから、いちばん罪ふかいのだ」  ではどうすればいいか、おっちゃんは憂国の志士となり、獅子吼《ししく》する、 「たとえば選挙のやりかた、変えなあきまへん、いまみたいに、出そうと思う奴を選挙してるようでは、いつまでたっても、金と顔の選拳になる」 「では、どうするんです?」 「そこが商売の工夫ですが、出しとない奴を選挙する。落したい奴に票入れる」 「ハァ」 「それならみんな喜んで入れにいく、棄権率ゼロになってしまう。おそらく、これやると、日本の政治地図は書き換えられますな、あいつだけはどうしても国会へ出しとない、こういう奴がきっとあるはず、それに、支持する奴がなくったって、おとしたい奴はあるはず。中には全部おとしたいというのもいるやろけど、その中でもことに、人民の代表にさせられるか、というような奴に、票を入れる。これは、誰もがセッセと投票にいきまっせ。僕かて、そんな選挙やったら、毎日でもやりたい」  たとえば菱原珍太郎なんてのが衆議院へ打って出るとする、と、必ず選挙区民の中には、何割か、何分か、「イヤダーッ」と拒否するのがいるだろう、それらがワーッと票を入れにいく、そして珍太郎の支持者たちや後援会員は、その間、ひたすら静粛に、陰々滅々と、口をとじ、身をつつしみ、珍太郎の名をもち出して世論を挑発しないように、隠忍している。大声で連呼したりすると、「出したくない奴」を、思い出さなくてボンヤリしていた選挙民に、 「そうだ、あいつがいたっけ」  と要らぬことを思い出させ、とんだやぶ蛇、 「ほんに、どっちかといえば、べつに出なくてもいい奴」  などと投票されることになる。浮動票を刺戟することになってはつまらない。  ひたすら、静かにしているから、選挙中も静かなもんだ。  開票結果が出ると、各々の選挙事務所では票が入るたびに顔をくもらせる。  票がのびるたんびに、候補者ならびにその一統に暗雲ただよう。どこの事務所も、「票が入りませんように」とだるまに祈願をかけてる。中にぐんぐん票が入って、ついに得票数日本一という候補者、落選確実となって、全部の開票終らぬ先に店仕舞い。 「いろいろ、商売は工夫せな、あきまへん」  とおっちゃんはいうた。  不 当 表 示  赤不二夫サンの『週刊文春』連載のマンガが大いに気に入ったカモカのおっちゃん、私の家へやってきて、私が酒を出そうとしていると、 「いや、メシだ!」  とのたまう。メシを出そうとすると、 「いや、酒だ!」  酒を出そうとすると、 「いや、メシだ! いや、酒ダァ!」  うろうろする私に悦に入って、 「このとんまめ。虫! ブス虫!」 「私、虫じゃありません」 「虫が人なみなこというな! アハハ、ブス虫をからかうとおもしれえなあ」 「バカッ! 図にのるなッ」  と私は一喝、おっちゃんのあたまを撲《は》ってやった。マンガを読んで早速、その通りしゃべりたくなるなんて、じつに男というものはあさはかであるよ。 「いやしかし、あのマンガは男にはビンビンくる」  とおっちゃんはいう。つまり、どんなマンガかというと、人《にん》三|化《ばけ》七という、七分がた化物みたいなブスの女房、顔見るのも腹立つくらいの奴、車にはねられて死んじまえ! といいたくなるような奴、こんな女房にいいたい放題、亭主関白のワガママの限りをつくしていじめる男が、酒を飲むと、酔眼モーローとして女房が絶世の美人に見えて感激、ひたすら低姿勢という、そんな筋のマンガであった。  おっちゃんにいわせれば、あんまりほんとすぎて、男には痛いくらいなんだそうである。  しかしこれは、男が勝手に錯覚おこしているわけだから、不当表示ということにはならない。女がわるいわけじゃない。男は、女に対して錯覚をもちつづけ、本体とはべつのところで怒ったり喜んだり、していることが多い。  自分の体調や都合で、女を勝手に自分の好きなようにこね上げる。もしそれ、あたまのいい女がいて、男の錯覚を利用して、その通りにやれば、男はもう、大感激である。  しかし大かたの女、あたまはよくても、めんどくさい。男の錯覚にのっかって「あなた好みの女」なんぞになるのはじゃまくさい、という気がある。しようと思えばできるけど、なんでそこまで男の機嫌をとらんならんねん、という気がある。恋人同士のいさかい、夫婦ゲンカ、みんな女が「なんでそこまで……」と、めんどくさがるから、起るのだ。  それに、男の錯覚が、本体からかなりかけ離れていることからも起る。  しかし近ごろは、女の方の責任も出てきた。あきらかに不当表示の女が多くなった。  カマトトというのも、一種の不当表示であろうが、これは無智・無垢・無邪気をよそおうのである。当今はこんなタイプは少なく、トトカマというか、その逆の、処女でいながら、あばずれをよそおうのが多い。これはややこしい。男が混乱するのも無理はない。  昔は「耳|年増《どしま》」なんて粋な表現があって、智識だけはふんだんにある女のことを、そういったが、いまはとてものことにそんなやさしげな風情ではないのである。  この頃の女は実戦の経験はそんなにないのに、いろんな本を見、写真、フィルムに接し、話を聞き、紙の上でその道の大家になり、耳学問で性のテクニックに長じ、何を人がしゃべっても、 「知ってる」「聞いた」  というつらにくさ、指使いまでしてみせて仕方ばなしも堂に入り、肥満型むき、倦怠期むき、妊娠中むき、不能気味むきの体位に通じ、避妊方法からお産の心得までそらんじている。ペーパードライバーというものがあるとすれば、「ペーパーあばずれ」である。  このペーパーあばずれ、「知ってる」「聞いた」を連発して、いっかどオトナぶってるが、士官学校出たての少尉が、実戦経験豊富な、千軍万馬の伍長あたりに鼻であしらわれるのと同じで、ほんもののオトナにかかると、馬脚をあらわして可愛らしい。 「お湯につかりながら海を見とうないか、風呂の中まで夕日に染まるねん、海っぱたの温泉ちゅうのは、ちと、風情があるもんやで。車やったら一っ走りです」  なんてうまくオトナの男に誘われて、やっぱり、ウカウカとついていったりする、夕日の見える浴室で大いにはしゃいでたら、そこへオトナの男がはいってきて、「ああ、ええ湯やなあ」ととびこみ、ペーパーあばずれはガタガタ震えて、何しろハダカの男を見たのははじめて、なんていうしまらない奴。ダダをこねて、 「オウチへ帰りたい」  と泣いたそう。 「そのオトナの男っていうのは、カモカのおっちゃんとちがいますか?」  と聞いたら、おっちゃん手を振り、こうのたもうた。 「僕とちゃいま。憚《はばか》りながら、これでもペーパーあばずれとほんもののあばずれぐらい見分けつきます。ダテに四十男の看板かけてるわけやない。僕は、あばずれは好きやけど、ぺーパーあばずれはきらい」  男にもペーパープレイボーイがおり、いざ実戦に及ぶと、女がそばへ近付いただけで震えが来て、志に反しあえなく発射してダウン、甚だしまらないのがいる(そうである)。  すべてレッテルの不当表示はオトナの紳士淑女のとるべきことではない。相手が勝手に錯覚しているのならよいが、実体と看板をかけちがえて、世人の目をくらまし、あざむくのはおとなげない。総じて、コテコテ策を弄《ろう》し、ヒネたことする奴はダメ。人間というものは、大物ほど素直で率直で、かざりけないもんだ、何べんいうたらわかるねん、あほ。  ところでおっちゃんにいわせると、不当表示の最たるものは学生運動家だという。  革マルといい中核という。殺し殺され、やればやられる、報復、仕返し、ヤクザの喧嘩《でいり》とかわらぬ。これを角丸組、忠加久組とでもすれば、いかにも血の雨ふらす出入りの場にふさわしい、とおっちゃんはいう。  もしそれ、あくまで革マル、中核などと、学生の政治運動らしき看板をかけるとすれば、 「ケンカするひまに、革マル、中核、どっちがどない、理論的にちごてんのか、それをもっと世間に分りやすう知らしたらどやねん。縄張り争いしてるだけやったら、角丸組、忠加久組にした方がレッテルの良心ちゅうもんじゃ」  生めよ殖やせよ  戦時中は、標語が多かった。  私がいちばんきらいな標語は、「生めよ殖やせよ」であった。  いったい、戦時中の標語というものに、たのしい、うれしいものはない。  それは当然である。  倹約、耐乏、克己、自制、忍耐を強い、叱咤激励するものばかりである。戦争というものは犠牲を要求するものだから、しかたがない。 「ガソリンの一滴は血の一滴」 「ぜいたくは敵だ!」 「欲しがりません、勝つまでは」 「元帥(山本五十六のことだ)の仇は増産で!」  などの上に、標語の主とでもいうべく、金色サン然として君臨している標語は、 「撃ちてし止まむ」  で、戦争の完遂、敵のセン滅をうたうものであった。  それらのものは、まだよい。戦時下のマジメ女学生として拳々服膺《けんけんふくよう》を誓うべき、立派な標語に思われる。私は「かよわい力よく協《あわ》せ」の歌の通り、神国日本の勝利を信じて疑わず、動員先の工場で、学徒工員としてけんめいに旋盤を操っていたのだ。  しかし、「生めよ殖やせよ」などの標語にぶつかると困ってしまう。  どっち向いてたらいいのか、わからない。はずかしい。  この標語も、当時の軍部としては当然のモノであるかもしれない。厖大な数量の兵員を投入しなければならないから、補充に追われる。次から次へと兵隊は要る、早く生め、殖やせ! と、女たちの尻を叩きたい心境であったろう。人口政策なんて高尚なものではない、もっと焦眉《しようび》の急の、思いつきである。いろんないい廻しを考えていられない、あわてふためいて軍人は筆をとり、ムキツケに書きつけ、配りつけたのが、 「生めよ殖やせよ」  である。 「あんまりハッキリしすぎてまんなあ」とでもいう人があれば、軍人は口ヒゲをひねり、剣の柄《つか》を叩き、 「どこがいかんねん、この通りやないか!」  と怒号したであろう。  しかし、生む、なんてそもそも、ニワトリの卵じゃなし、ポコッポコッと無精卵ができるというわけにはまいらないのだ、生む、殖やす、という作業の前には、もう一つ工程があるのだ。繊細敏感な思春期の女学生としては、「生めよ殖やせよ」ということから、その前の工程に思いを馳《は》せ、すると、その標語を見ただけで動悸がし、顔赤らみ、こんなコトバを堂々と衆目に曝《さら》してはじない、オトナ全般の無恥ぶりを憎悪せずにはいられないのだ。  更にそれからして、戦時中のオトナのいやらしさかげんといえば、われわれコドモがいるのに、近所のおじさん、おばさん相寄り、町内の復員した男たちを、「種付けに帰させた」と声高に噂しているのだ。戦争も末期になると、復員なんてことはなくなったが、まだ、早いころには、戦時中にもかかわらず除隊になって内地へ送還されてくるのもいたのである。復員の男たちはたいてい、再度、応召されて出ていった。しかし二度めのお召しのあるまでに、その妻たちはおめでたになるのも多かった。そうしてオトナたちは、それを以て政府、軍部の工作の結果によるものと考え、「種付けに帰さしよった」などとしゃべりちらすのである。  無垢な、新雪の如き乙女心が、いかに傷《いた》めつけられたかは、想像の外である。  乙女の私が憎んだのは、「生めよ殖やせよ」といい「種付けに帰させた」という、その作為的な発想に対してである。乙女の私は、愛は、作為や人工のものであってはならないと思っていたのである。 「種付け」などにいたっては、言語道断である。男女が愛を交すのは(その実体は、むろん、知るよしもないが)種を付けるためではない、とかたく信じていた。では何のためかといわれると困るが、それらはすべて自然発生的なものだと信じていた。生むも殖やすも派生的なことであって、それを主体にするとは主客転倒である。しかるに女学校の体操や徳育でさえすべて、健やかな子供を生むための、健やかな母たるべし、というのが目標であった。どっちを向いても本末転倒だらけ、いやらしいが、中でも「生めよ殖やせよ」と「種付け」は許せない。人間に対する冒涜《ぼうとく》である——なんて高尚なことを考えたのではない、ただ、神経にさわっていやらしかっただけである。  しかし、妊婦たちは、堂々として歩いていた。銭湯へゆくと、湯上りの妊婦が立ちはだかって腹帯を悠々と巻いている。  サラシなんぞは入手困難な時勢であったから、日本手拭い、あの字や日の丸を染め出して額に鉢巻きしたりする、あれの古手を何枚も縫い合わせて、腹帯にしている。  ちょうどオナカの上に「堅忍持久」などという字がバッチリきて、いかにも似つかわしく、更にもうひと巻きすると、「神風」などというのがきて、これも適切、風を切って「そこのけ、そこのけ」という恰好で、オナカをつき出して突進するのが、乙女の私には、悶絶せんばかりのはずかしさであった。  オトナというものは、もう処置なし、だと思っていた。「生めよ殖やせよ」と連呼し、「種付け」にせっせといそしみ、大きなオナカを見せびらかして闊歩《かつぽ》する。女学生にとって、オトナは怪物である。なかんずく、妊婦を見るのがはずかしいということに、女学生自身、耐えられない。妊婦をはずかしがっているということを、人に知られるのがはずかしい。女学生の羞恥心は屈折しているのである。女学生の想像力が、途方もなく鋭敏なために、オナカの大きくなる因果関係に思いをはせ、七転八倒してはずかしがっているのである。  外へは、はずかしがっていることを見せられない。「何ではずかしいねん」といわれるとよけいはずかしい。はずかしくない顔をして、はずかしがっている。そんな女学生が私であったのだ。  それにくらべれば、まあ、いまのおせいさんはどうであろう。近来とみに中年太りした私は人が「おめでたですか」というと、これは地腹《じばら》であると大声で答え、普通の既製服では合わぬのでマタニティドレスの売場を漁《あさ》り、ときによるとワザとオナカをつき出して電車の中では席をせしめるのである。  いとはん学校 「今でも大阪では、娘さんのことを、|いとはん《ヽヽヽヽ》とよびますか?」  と東京人によく聞かれる。  今はあんまりいわないようだ。たいがい戦後は「お嬢さん」で統一されてしまった。  それに、「いとはん」はみな近郊へうつり、船場に昔ながらの住居をもっている大家《たいけ》もなくなった。土一升金一升、ビルが建って高速道路が頭上を走る大阪市内に、住んでいられるわけがない。 「いとはん」は、だいたい、大家の娘の呼称であって、あんまり熊公八公の娘には呼ばぬようである。|いと《ヽヽ》はんの|いと《ヽヽ》は「いとし児」「いとけない」の|いと《ヽヽ》だといわれる。古語では、男女両方を指すが、近世はもっぱら娘である。「いとしい和子さま」という意味なのだ。大阪弁というのは古雅なものではないか。  娘が何人もいると、大《おお》いとはん、中《なか》いとはん、小《こ》いとはんという。私たちが小さい頃、よく聞いたのは、小いとはんを略した「こいちゃん」「こいさん」という言葉である。 「こいさんのラブコール」なんていう歌もあるが、「恋さん」ではなく「小《こ》いさん」なので、妹娘のことなのだ。私の友達にも「ウチのこいちゃんがなあ……」と妹のことを話す子がいた。町内の噂話に、「おヨメにいかはったのは、××はんの、|こいさん《ヽヽヽヽ》の方だす」などという。  これも、あまりに貧弱な家には使わない。  而して、やや品下《しなくだ》れる向きの娘には何と呼ぶかというと、「い|と《ヽ》はん」の「と《ヽ》」から転じて「とうちゃん」というのがある。父ちゃんではなく、嬢《とう》ちゃんである。私のウチは写真館であるが、私は町内のおじさんおばさんから「嬢《とう》ちゃん」と呼ばれて育った。妹は「小さいとうちゃん」である。松竹梅のクラスがあるとすれば、その下の梅クラスは「娘はん」である。私も陰では「写真屋の娘はん」であったろう。 「お嬢さん」という言葉は品格からいうと等外というにやあらん、しかし、すべてをこれで統一するというのも、民主的でよかろう。かつ、現代のいとはんは、たいがい芦屋、西宮、御影、宝塚、あるいは浜寺、帝塚山に居宅があり、甲南女子大、聖心、神戸女学院、帝塚山短大などへいったりしてテニスの妙手、ピアノの名手が多かったりし、万博コンパニオンなど遊ばして、財閥令息と結婚、ゴルフのうまい、美しく若き副社長夫人などにおなりになるのだ。 「十七や難波はふるき中《なか》船場 すだれの奥に 琴|弾《ひ》きにけり」  というのは、茅野雅子の娘時代の歌であるが、彼女は明治の道修町《どしようまち》の薬種商の娘である。奥ふかい座敷ぐらし、外へ出るにも縁先から俥《くるま》で、土を踏んだことのないという生活だったそうだ。そういうのこそ、「いとはん」であったろう。  ところで、私が入学した女子専門学校は、古くからそのたぐいの浪花のいとはんが多く入るところであった。私一人が、場ちがいだったわけである。  私は女専へはいって、あまりにも校風が優美柔弱であるのにおどろいた。その前の女学校で、われわれの年代の少女は、すっかり体質改善されていたからである。時局にかんがみ、ことごとく軍隊式秩序になって「気をつけッ!」や「かしらァ中ッ!」という号令に慣れていたのだ。しかし女専は、そういう煩わしいこともせず、先生方も、一人前のレディ扱いで、上級生のおねえさまも、たよたよした風情、われわれのように「ハイッ」「そうであります」「いいえ、ちがうのであります」などと直立不動の切口上でしゃべったりしない。  私たち新入生は、ずいぶん柔弱だと思ったが、上級生も、「えらいハキハキした人らや」とおどろいたそうだ。そしておねえさまたちにいわせると、 「これでも、だいぶ軍隊式に、新時代ふうになったんやわ」  ということだった。上級生や先生方の話では、その五、六年前ぐらいまでの生徒は、全くのいとはん育ちが多かったそうである。教室であてられても、ナヨナヨと袂を握って、 「調べてけえしまへんなんだよって、わからしませんのだす。ごめんやす」  などという。着物にグリーンのはかま、絹のくつしたに黒い編上げ靴、というのが制服で、着物は銘仙にきまっている。みんな、ガツガツと勉強する人もなく、黄色い声で、 「お早うございます」  といい交し、教室といっても女紅場《によこうば》のかんじ、のんびりおっとりして、みんな運動神経がにぶく、中には、作文を書くのに、どうしても原稿用紙の桝目《ますめ》に字がきちんとはいらない、というような鷹揚《おうよう》ないとはんがいたらしい。先生に注意されて、恐縮しながら、 「性分《しようぶん》でんねん——なおらしまへんのだす」  といったそうだ。  そういう伝説的ないとはんには、もう私たちの入学した年、見ることはできなかったが、それでも、私たちより二年上ぐらいの最上級生には、まだその片鱗はあった。その頃はもう、制服はレディふうの紺スーツになっていたが、タイトスカートの細腰が楚々《そそ》として、ずんぐりむっくり、芋太りの軍国女学生とはえらいちがい、色白く声ほそく涼しげなおねえさまたちが校内を案内してくれる。私は国文科だから国文科の美しきおねえさまがついてきてくれる。 「ここが図書館、ここが食堂。——あれは寮」  地方から遊学している生徒のために、校内の一隅に簡素な寮があったが、おねえさまはその寮の中まで見せてくれた。四畳半の美しい日本間、窓があって押入れがあった。机上はきちんと片付けられ、花一輪、いかにも女の子の部屋。おねえさまは何思いけん、押入れをあけて私たちに見せた。下の段にはこまごました荷があったが、その空間を指して、 「ここでなあ、ひとりではいるのん好きな人いやはるねん……相部屋の人が帰ってきて、うなり声するさかい、びっくりしてのぞきはったらまっかになって汗かいてはってん」 「病気やったんですか?」  と私がきいたら、美しいおねえさまは肩をすくめてうす笑いし、 「二人ではいって汗かいてはるひともいやはるねン……」  押入れの利用方法は代々のいとはんに伝承されているようであった。  男 女 似 「いとはん学校」で、文句をいってきた人があった、かのいとはん学校に於ては、そういう怪しげなふるまいをするいとはんは、いませんでした、という、愛校心にもゆる卒業生の抗議である。  怪しげなふるまい、というのは、いとはんが押入れの中でオナニー類似のことをしていた、それを指すのであるか。しかし私はべつに「怪しげなふるまい」とは思っていないのだ。べつにかめへんやないか、という気である。  いや、少女のころは私も、そのたぐいのことを「怪しげなふるまい」と思っていたけれど、人間、四十のゾロ目すぎてみれば、人生に「怪しげなふるまい」なんてあるはずがない、と思うようになった。あるいはまた、見ようによれば、人間、怪しげなふるまいでないものはない。陰で何しとるかわからへん。  酒を医者に禁《と》められている男が、戸棚の陰で隠し飲みしてるかもしれん。会社のエレベーターの中で、課長とハイ・ミスのOLがいそがしくキスしてるかもしれない。用ありげに席を立ってトイレへ立った部長が、痔の薬を尻へ挾んでいるかもしれない。喫茶店で業者に情報を洩らして贈賄されてる役人、カンニングしている学生、締切りすぎていいわけを考えてる三文小説家、カギのかかる手文庫にエロ本をしまいこんでる校長先生、しかし、それらはみな、「さもありぬべき」ことで、あめが下に珍しきものではなく、ましてオナニーがどうの、というものでもなかろう。  ただ、そういうむくつけき字は避けたほうがよいように思われる。私は片カナで書くよりも「於何」と書く方が、ナニをナニしてるやわからん、という、アイマイ模糊《もこ》としたところがあっていいように思われる。  東海林さだおさんの「御菜煮」もよい。かつ、これは何やら家庭日常風である。女にはふさわしいかもしれない。カモカのおっちゃんは「於何」では、何と読むのかわからんという。  おっちゃんは「男女似」という字を使えばよい、という。男も女も似たようなことをするもんだ、という達観と解脱《げだつ》の心境をあらわしたものだそうだ。 「いや、似たようなこと、とはいいながら、僕は、女もそんなことをする、とは未だにもって考えられまへん」  とおっちゃんはいう、 「ことに女学生が、そんなことするとは言語道断ですわ」 「しかし現代では統計にあらわれてるそうですよ、もちろん、男子にくらべてごく少ない率ですけど」  と私。 「いや少のうても、どだい、そういうことがあるということ自体、考えられまへん、信じとうない気持の方が大きいですなあ、おせいさんもやるんでっか」  そういうことを聞く奴はみな、馬鹿だ。女が女であることを示す最後のプライドは、そういう質問を男に許さないことである。 「とにかく、私は亭主もちでございますからね」 「いや、もとうがもつまいが、それには限りまへんやろ、それに、亭主が退役してるということも考えられる、過ぎし日露の戦いに……という、昔の手柄自慢しかできぬ在郷軍人になってるかもしれへん、また、現役の亭主をもってても、ナニするかもしれまへん、男かて、妻帯者ほど、よう、ナニします」  ともかく、私はそれには関係ありませんッ! 「いや、そない、怒るところをみたら、ナニしてるのんかもしれへん」 「私、してないよッ、バカ!」 「こればかりは、してるということもわからんが、してへん、ということも、わからん」  と、しつこい奴、 「ほな、男はどうやのん、みんな、奥さんがあってもするんですか? 怪しきふるまいを」 「します」  と断固、いう。 「ヘンじゃありませんか、どだい、そんなこと……」 「いや、男はやったって、べつにどうちゅうことはないです。公明正大、明々白々の所業ですぞ。天地正大の気、粋然《すいぜん》として神州にあつまり、発しては万朶《ばんだ》の桜となって散るんですわ。凝っては百練の鉄となり……」 「もう、ええわ!」 「火打石みたいなもんです、打ちつける、火花が出る。錐《きり》を揉みたてる、神火を発する、男のすることは神々しいばかり、清浄で猛烈で、潔白で一本気で、うしろぐらいとこはちっともおまへん」 「そうかなァ……オナペットの写真なんか見て汗かいてやってるのを想像すると(見たことないもん)いいかげんなもんじゃないかと思いますけどね、男もたいがい……」 「いや、そら、ちがいますわ。少なくとも男は、パッとなって原爆が爆発したみたいに噴射する、するとキノコ雲があたまの中にいっぱいになって、終りまっしゃろ」 「そうですか? 私が知ってるわけ、ないでしょ」 「いや、そやねん、しかし女はどうですか、原爆も何もないやろ、どこからはじまってどこで終るかわかりまへん、一から十まで、うじうじしてややこしい」 「しかし、その……」 「男みたいに真木柱《まきはしら》ふとしく、という神《かん》ながらのすがすがしいヤツをですな、ともかくぶっつける、揉みたてる、こすり上げるという壮大な、雄渾《ゆうこん》なもんとちゃうやろ、女は折れこむ、折れまがる、ともかく陰湿、淫猥、うっとうしい、揉み立てるのと、折れこむのとは、えらいちがいです」 「でも、あの……」 「横町へ折れまがってごそごそしてるなんて、野良犬のさかりやあるまいし、女にはナニしてほしくない、これが男の夢ですな、あんまり自分勝手に折れこんで欲しィない、ことに女学生、若い女の子に要望したい」 「しかし、現今では、男の|すなる《ヽヽヽ》こと、女もしてみん、という風潮、それが男女似です」 「それがいかん、ちゅうねん、それが!」  とおっちゃんは泣き声をたて、本音を吐く、 「何も自分でせんかて、勿体ない、現役であぶれてるもんがいっぱい居る、というたれ」  志の低い男である。天地正大の気や真木柱などもち出して言葉を飾るから話はややこしくなるのだ。  ビビンチョ  あるおしゃべりの席、社交場裡において、ある人がいった。 「エー、尾籠《びろう》なお話ですが、オナニーというものは、ですね……」  瞬間、私はとてもおかしかった、「オナニー」という語より「尾籠」という語の方が、私にはより「尾籠」に思えたんだもの。 「尾籠」というのは「をこ」の当字である。だからもともと、不作法、無礼、不敬などの意であった。そこから転じて、きたないこと、けがらわしいこと、の意になった。  私は、尾籠という語になじみがないせいか、あまり使いたくない、へんに汚ないことばに思える。それはワイセツという意味ではない。——汚ないという語感である。だから、 「尾籠なお話ですが、オナニーというもの」  というコトバは適切を欠き、見当はずれで、悪印象が相乗作用をもたらす。  私たちの子供のころ、ワイセツな言葉はむろん、「×××」という三字であった。それを口にする子供は、ガキ大将の内でも、いささか品下《しなくだ》れるクラスの奴で、私の初恋のあいての坊ちゃんタイプの少年なんか、とても口にできないコトバだった。女の子はむろん、口にしない。品の悪いガキ大将は、 「タナベの×××!」  と叫んで追っかけてくる。私は坊ちゃんタイプに聞かれてはたいへんだと思って、逃げながら切なくなった。坊ちゃんタイプも、それが聞こえたのか、まっかになって逃げていた。まわりにいた女の子もみな、逃げた。そのくらい、強いタブーのワイセツ語であった。  しかし今にして思えば、そんなコトバをわざと発して追ってくるガキ大将は、女の子にもてなくて淋しかったのではあるまいか。ガキ大将の淋しさを誰も知ってやろうとせぬのだ。  いま野坂昭如センセイなどが、酒場でわざと「×××! ×××!」を濫発するのは、センセイがもてなくて淋しいからではなかろうか、黒メガネの淋しさ誰か知る。ヒヒヒ……。  それはともあれ、ワイセツな言葉と、汚ない言葉はちがう。  汚ないのは(尾籠なのは)、 「ビビンチョ、カイチョ、カイチョ持ってはしれ!」  という言葉であった。  これは汚ない品のわるいコトバではあっても、私たちが口にも上せられぬ、というコトバではなく、何か、汚ない、グロテスクな|こと《ヽヽ》や|もの《ヽヽ》に対し、 「あ! ビビンチョ!」  などと使う。意味は全然不明である。  カモカのおっちゃんに、先日、その話をしていたら、 「ビビンチョは、下痢の状態を示す。カイチョは浣腸なり。浣腸を施して下痢状の便を出《いだ》す。おのずと字句あきらかなり」  と教示をたまわった。  なるほどそんなものかと私は感心し、家へ帰って念のため、牧村史陽氏の「大阪方言辞典」をひもといてみたら、 「ビビンチョはピンショより来る」  とあった。ピンショは「ピンからキリまで」のピンで賽の目の一である。つまり、一升のことで、「米一升をもって情を売る」意であるとしている。船まんじゅう、つまり沖の船へ、小舟をこぎよせ、船頭、水夫《かこ》あいてに春をひさぐ舟女郎のことであるという。  この売女たちは「守貞漫稿」という嘉永ごろの古本によると、二、三人で小舟にのって河口に碇泊している船を巡り、 「紙張の籠に渋を塗りたるを携へ、大船の下に寄つて、いれてんかといふ」  すると船から白米を入れてくれる、そのとき注文に応じ、女たちは船へ上って売色するという。 「価は専ら米一升或は二升を以てする由、これをピンショといふ。此《この》ピンショ、皆綿服にて紅粉を粧《よそほ》ひたり。三絃もひく。総嫁《そうか》にいささか勝れり」  カイチョは、「開帳」であると史陽氏は説く。 「彼女らは、船に呼びあげられると共に、自分の無病であることを示すために、立膝して前をあらはし対坐するのを例としたといふ」  これでわかった。  ビビンチョというのは、何だか、汚ならしい印象を与えると思ったのは、そのせいであったのだ。きっと、昔の船まんじゅう、ピンショ女郎が、病毒もち、瘡《かさ》っかきであるのを忌んで諷した語感が、そのままに伝えられていたのにちがいない。  それで、ワイセツ語としてよりも、たとえば糞便、泥濘、犬猫の死骸、腐敗|糜爛《びらん》といった、そういう汚ならしさ、穢《けが》れに対する罵詈《ばり》として口碑に残ったのである。  私はカモカのおっちゃんをつかまえ、 「ええかげんなこと、いうなッ!」  と怒ってやった。おっちゃんははじる風もなく、 「しかし、当らずといえども遠からずやないかいな、カンチョしたら、下痢になるのはきまったことです。下痢したら汚ない、どこが通らん。ちゃんと筋は通ってる」  実は私も、内心、おっちゃんのいう説を信じていたのだ。ほんとはそうではないかと思っていたのだ。いや、長いこと、そう思っていたのだ。  私は「浣腸」という語には思い出があり、それは女学生のころ、私の友人が、 「夫婦やったら、浣腸でもできるねんてなあ」  といったのである。 「ワー、そんなん、うそやろ」  と私はじめ、みんな、そういった。 「ううん、ほんまやねんて」  と友人はいい、一同、ハアーとためいきつき、赤くなって、 「うそや思う、うそや、うそや」  といい合いした。  ありうべからざることを聞いたと思って、みんな、|しん《ヽヽ》とした顔をしていた。  その記憶があるから、ビビンチョの歌を聞くと、私は、いつも、おっちゃんの解釈を考えていたのだ。  歌  垣  日本の古代にあった、歌垣、|かがい《ヽヽヽ》などというものは、さぞ大らかでたのしかったろうと思われる。 「万葉集」にある、かの筑波嶺《つくばね》の歌会《かがい》の歌を見てもあきらかである。 「……筑波の山の 裳羽服津《もはきつ》の その津の上に 率《あども》ひて 未通女《をとめ》・壮士《をとこ》の ゆきつどひ かがふ歌《かがひ》に 人妻に吾《あ》も交はらむ わが妻に他《ひと》も言問《ことと》へ……」とある。  自分も人妻と交歓するから、私の妻も他の男と交歓したらいい、という。 「この山を領《うしは》く神の 昔より禁《いさ》めぬわざぞ」  神もちゃんとみとめ給うた行事で、むしろ神の嘉《よみ》したもうことだという。  酒を飲み(飲酒は古代ではたいせつな神事の一部である)歌をうたって悪霊を払い、相つどうて男も女も交歓する、実にノビノビした性の開放である。  その風習がのちにのこって、諸国に伝わったのが、「ツト入り」であろう。 「ツト入り」というのは、旧暦七月十六日の夜は、どこの家へでも勝手に、つっとはいっていって、そこの女たちと交歓することだそうだ。  あるいは、地方によると、氏神の祭礼の夜に限り自由な交歓をゆるされるとか、ある神社ではまた、神事の行われる真夜中、定まった時刻に、部落中いっせいに灯を消し、戸をあけ放ち、その夜だけは自由に通じ合うとか、また、ある神社の祭礼の夜は、女はかならず三人の男と交歓せねばならぬことになっていて、老醜の女はなかなかノルマが消化しきれず、義務を果せないで、煩悶したそうである。  それ、どこだす? とカモカのおっちゃんなら、あわててヒザを乗り出して聞くであろうが、おっちゃんにとって残念なことに、これらはみんな、たいそう古い話で、現代では行われていない。近代でも明治初年までである。  よしんば仮りに、おそろしい辺陬《へんすう》の地に、のこっているとしても、部落内の行事として秘め、他国者が入り交ったとて排斥されるのがオチ、いまの世では、すでに見果てぬ夢になってしまったのだ。  いや、今でも、夫婦交換パーティだ、乱交パーティだと、あるではないか、という人もあろう。しかし、そういうのは勝手にしているのだから、有難みがうすい。  いったい、セックスの刺戟は、度を深めれば深めるほど、底なしにおちてゆくのが、本質ではなかろうか? ゆきつくところは性の頽廃にすぎない。  乱交パーティといい、交換パーティといい、そういうことを経験してのちの恋人なり夫婦なりが、以前よりも仲むつまじくなるということが、ほんとにあるのだろうか? 実験者の報告によれば、そうなっている。たいてい、「以前にはなかったフレッシュな感じで、妻(又は恋人)との仲もいっそう深く強く結ばれた気がします」などといっている(私はそんな記事を読むのがだいすきである)。  あるいはそうかもしれないし、あるいはまた、書く人のつくりごとかもしれへん。  またあるいは、その当座、刺戟を受けたので、強い暗示をうけて錯覚を信じこんだのかもしれない。  だが、それで止《とど》まるとは私には思えない。そこまでいくのが、夫婦や恋人の愛情復活の手段とは思えない。それが更にあたらしい目的を生み、果てしのない世界へなだれこんでゆく気がする。  そこから先の世界は、ある種の人間にはたのしむ力は与えられても、ある種の人間には堪えられない、持ち重りのする世界になってしまう。そういう人々を待っているのは破滅だけである。そこへくると歌垣は性質がちがう。  だから凡婦の私が想像できるのは、せいぜい、歌会《かがい》という性の一大饗宴ぐらいである。 「結構ですなあ、やりまほ、いつでも僕はよろし、メンバー集めます」  とカモカのおっちゃんは手に唾していさみたつが、ちゃうねん、ちゃうねん、私のいうてるのは、そんなんちゃうねん。 「どこがちがいます?」 「だって、それやったら、雑魚寝《ざこね》といいますか、乱交《ワイルド》パーティといいますか、『よくあること』じゃないですか」 「ほな、どんなんをいうてるねん」 「だからですね、私は、大昔の、氏神さまや土地の産土《うぶすな》神が生きていられて、人々が神の力をおそれ、つつしんでいたとき、年に一度、今日だけは許されるト、むしろ、神サンが奨励してはるト、いや、却って、それをやらないと神の祟りがあるト、そういう状況のもとでやるのが望ましいのです」 「一緒のこっちゃおまへんか、することは変らへんのやから」  いや、それがちがうのだ。ほんとうはしたくないのだけれど、そういうわけにはいかない、というように、切羽つまってせまられたい。  私はそういう、あさましい、みだらな、言語道断、おそろしい、思いもよらない、コワーイことは、したくない、しようとも思わぬ、できるとも思えない、私は一人だけでも抜けたい、みなさんどうぞご勝手にあそばせ、と私は逃げる、それをみんなが追いかける。 「何ということを、これは厳粛、荘重な神事ですぞ、人間のさかしらな小才やチエで、ちょこまかと判断するようなもんとちがう、神を祭るというおごそかなつとめを、あんた、何と考えてはんねん」  と叱られ、私はそれでも負けず、抵抗をこころみる、 「しかし、ですね。私は『人妻に吾も交はらむ わが妻に他も言問へ……』というような状況は考えられないのでございます、私は、私は……」 「そういう、あさはかなことをいうもんではない、生々発展の人間の生きの命のめでたさ、旺《さか》んな華やぎの奢《おご》りを神がおよろこびになるからこそ、たのしくめでたい媾《まぐわ》いを神に献《ささ》げるのです。一人抜けるとはとんでもない」  長老たちに叱られおどされすかされ、不承不承・イヤイヤ・しぶしぶ・よんどころなく・泣く泣くに、歌垣や歌会、ツト入りに参加する、そういうのが、私は望ましい、何しろ神のため、という大義名分がありますからな。 「それなら、参加します、いやだけれど仕方ない」  おっちゃんはただ一言。 「卑怯者!」  むぐらの宿  例によって例の如くである。「カモカのおっちゃん酒提《さ》げて、やってきましたおせいさん」 「あーそびーましょ」 「ダメよ、今日は。�長風呂�のシメキリだもん」 「バカ、あほ、すかたんのクソ婆あ。オマエ何のために仕事しとんねん、洒飲んでエエこンころもちになって男といちゃついて、生きててよかった! という気になるためとちゃうのんか、人生すべてそれだけじゃ」 「ラーラーララ」  と私は大いそぎで声はりあげてうたい、おっちゃんの言葉をかき消そうとあわてたのであります。わが家には思春期の少年少女がたくさんいるのだ。おっちゃんの言葉を聞いて彼ら彼女らは学業を放擲《ほうてき》し、非行に走らないとも限らない。——おっちゃんはしようのない奴だ。ない奴だが、私もどちらかといえば、仕事よりは酒の方がよい。で、酒盛りになる。かくて締切りは更におくれるが、よくしたもので、飲んでると「明日という日がないじゃなし、ソレ、ヤットンヤットンヤットンナー」という気になる。  但し、カモカのおっちゃんの煩《わずら》わしいところは、ヘンな合の手を、のべつ幕なしに入れるところである。  私が徳利をもち上げてつごうとする、 「そこ、そこや、ソレ、ぐっと尻あげて、ハイ、まだもち上げて、まだまだ——」  おっちゃんの|ぐい呑み《ヽヽヽヽ》は特大であり、なかなか満タンにならぬ。 「ぐうっと入れる、ハイ、根元まで——」  うるさい。 「おや、なみなみと入れましたね。おつゆがこぼれました」 「知らない」 「知っとるやないか、何でも」  何の話や、それは。甚だ猥雑な酒盛りの雰囲気。 「ねえ、おっちゃん、もっと口少なに、こう、まじめに、酒の色、コク、香り、味わいをたのしむという、風雅心、清廉なる聡明さ、というのはないの」 「いや、そういう風にしようと思うと、緊張して、たのしく飲まれまへん」 「たまには緊張もいいことダ」 「緊張すると固うなります、ご存じではありましょうが」  何の話や、それは、と何度でも腹が立つ。しかしこの腹立ちは、酒の酔いを早めるには役立つようである。その上、おっちゃんは声張りあげて小学唱歌をうたう。しかしその歌は少々歌詞がもじってある。「浦島太郎」であるが、下の句がみなヘン。 「昔々 アレシテル 助けた亀と アレシテル 竜宮城で アレシテル 絵にも画けない アレシテル」  そうして、「帰ってみれば アレシテル 元いた家で アレシテル 道でゆきあい アレシテル 顔も知らずに アレシテル」  とつづく。これは、悪友・阪田寛夫がおっちゃんに教えこんだ歌である。 「そういうことしか考えられへんの、おっちゃんて。日中国交の将来とか、ベトナム戦争を放棄しないアメリカの意図とか、そんなことはしゃべれないの、浦島太郎と乙姫がアレシテルなんて歌を歌《うと》てる場合とちがう」 「アレシテルが何がわるい、僕はただアレシテル、というただけです、おせいさん勝手にかんぐっとるだけやないか」  のべつ幕なし、ひっきりなしに、こんな話ばっかりしてる人間は、実地はダメなんじゃなかろうか。 「猥談上手はお床下手《とこべた》、という気がしてしようがないわよ」 「なんでですか」 「つまり、しゃべることで発散するのとちがいますか」 「だまれ。いうとくが、女のくせに、さかしらな批評家づらしたらあきまへんで。女ちゅうもんは、何にも物知らんと、男のいうことに、ホー、ハァ、と感心して聞いてるのがよろしねん。わかったか」 「ハァ」 「男が猥談好き、あるいは言葉で遊ぶのが好き、というのは、つまり、道《ヽ》をつけてるのです」 「ホー」  カモカのおっちゃんによれば、いつも何かかんか、下がかった、エロめいた話をしていると、いつかしら、心持もうきうきと陽気に、実地では微力ながら、その陽気に扶《たす》けられて、おのずとそれらしく自信ができ、活力が添う心地がする。それを、おっちゃんは、「|ミチ《ヽヽ》をつける」というのだそうだ。 「風雅、清廉で、一切、そういうことを考えず、口にせぬ人間は、しまいにどうなると思うねん、その家は|むぐら《ヽヽヽ》の宿ですぞ。あるいは『雨月物語』ふうにいえば『浅茅《あさじ》が宿』というか、たずねる人もわけ入る人もないままに、草ぼうぼうの過疎村の廃屋になってしまう、どこがその道やら、丈《たけ》なす草が生いしげって、指を、いや足を入れることもできん」 「ホー」 「池の水も涸《か》れはてて、蛇口をひねっても一滴も出ず」 「ハァ」 「枝折戸《しおりど》をあけようと指で押してみても、銹《さ》びついてあかず。カギをいじくってみても緑青《ろくしよう》がふいていたりして、十年来、手入れがしてないとわかる」 「ホー」 「顔にかかるクモの巣をはらいのけはらいのけ、してたどりついてみれば、人の気配もなし。ごめんやす、と声かけても、ようお越し、とイソイソ出迎えてくれる者もおらん」 「ハァ」 「ちと軒先借りてもよろしおまっか、というても、うんともすんとも応《いら》えせず。『遠い道をようたずねてくれはった、まあ、笠とって一服しなはれ』となぐさめてくれる者もなし、しおしおと、戻らにゃならぬ」 「ホー」 「な、ほっといたら、こういうむぐらの宿になる。おせいさんも気ィつけなはれ。口でいろんなこというてるのは、これは景気づけの賑やかし、こんなことでもいうてると、おのが持ち家もいつか手入れよう、草も刈って池の水も流れるようになる。やっぱり人間、風雅、清廉では立っていきまへん」  ダ マ す 女  カモカのおっちゃんはいう、 「エー、僕の友人に、かなり遊びニンの男がおりまっけど……いや、僕やおまへん」  当り前でしょ。おっちゃんが遊びニンなんてことが、あるべきはずがない。この世代(四十男)、真の遊びニンなんてほんとにいるのかしら。遊びにあこがれてる奴はいっぱいいるだろうけれど。 「その遊びなれた友人がいうのに、いかな彼でも、女にはつねに一杯くわせられる、ト。てっきり処女と思っても、そうでないのがいて思わずウームとうなる、ト。しかもこの頃の若い娘だけでなしに、昔から女とはそういうもんや、ト。なんとなれば、だいたいオノレの女房《よめはん》からして、そうであった、ト。いうとりました」  やっぱり男って、結婚するとき、相手がはっきり非処女と知ってえらぶ場合(離婚者、未亡人、同棲経験者)はともかく、ふつうの娘さんなら、処女と信じて結婚するのでしょうね。 「それはそうでっしゃろ、大地を打つツチははずれても、この予想ははずれまいと思うのが、はずれるのです。——いや、僕は恋人の場合、よくはずれますです」  じゃ、はじめに、いちいち、たしかめたらどうなのかしら。  女は経験ずみや非処女であることをかくすものだという社会通念は、今どきだけでなく、昔からウソなのである。  今はむろん、昔も、正直・闊達・自在な女はいて、尋ねられればあっさりと、 「うん、あたし、知ってる」  とか、 「あたしスミ、よ」  などと答えたりしたものだ。たずねないから、いけないのであります。  これは何も、露悪趣味やトトカマでいうのでもない、また、不当表示で、ウソをつくような子供っぽいことはしない女も多いもので、たずねれば素直にいいますよ。  もってまわって、処女でないのに処女や、といったり、処女なのにあばずれ風に見せたり、そんなわずらわしいことはしませんよ。  ちゃんとした女なら、ちゃんとした男から、 「あなた、ナンですか、その、もう経験ありますか」  といわれたら、「ありますわ」とか「まだですわ」という。ひねくって答える女もいないではないけれど、それは相手や聞き方がわるい。 「しかし、まさか、そんな、いちいち聞いてられまっかいな。あんた、処女ですか? なんて失礼なこと、聞けまへん。これでも男は淑女に対して敬意をもってますからな」  おっちゃんもまた、女房はともかく、処女の恋人ができたと思ったらつねにしばしばだまされるそうだが、ではどうやって処女だと確信するのだろうか。 「いや、それは向うがそれらしくふるまうのを、こっちが勝手に推察するんですな。男には、オノレの女房なり、恋人なり、しようと思う淑女に対しては、どうか処女であってほしいという願望がありますから、何を見てもそれらしく結びついてしまう。希望的観測というヤツですなあ」  しかしそうすると、あとから処女ではなかったことがわかったといって憤《おこ》るのは、おかどちがいというものではないでしょうか。だましたの、だまされたの、というもんではないでしょ。はじめにたずねへんのがいかんのやから。 「いやそう、詰めよってせせら笑われても困りますが、べつに、男は、相手の女房や恋人が処女やなかったからいうて、憤ってるわけやおまへん、これは遊びニンの友人がそうやし、僕としてもそうですなあ」  この年代の男、あんまり「処女に限る!」と絶叫はしないそう。  そのへんが、モヤモヤと、あやしき風情なのだそうで、経験・未経験を問わず、というハリ紙が軒先の求人広告の如く風にひるがえってはいるけれど、どちらかといえば、未経験の方がよい、しかしそれとて、どうしてもと固執するわけではありませぬ、ただ、あいなるべくは、という、ほのぼのとした期待、熱望、あこがれ、悲願みたいなものがあるそう。だから裏切られたからといって、ウヌ! と赤眼吊ってたけり狂うことも、手のひらかえした如く足蹴にするというのでもないのだ。  しかしながら、男は真実を教えられて、 「フーン!」  という、感嘆あるのみだそう。  ではその、いったい、妻なり、恋人なりが、処女でなかったのを遊びニンの友人なりおっちゃんなり、が、なぜ知ったのであろうか?  期待を裏切られたと、いかにして悟ったのであろうか? 「いや、それは向うがいうた、グハハハと笑いもって」  こういう、しまらない男だ、カモカのおっちゃん及びその年代は。 「そら、かめへん、いうねん。しかしこっちは処女や! と思い込んでるんですからなあ。そしてまた、そう思い込ませるほど、態度がじつにそれらしいのです、こっちがそう思い込むのはむりないのですわ。そやから、よけい、感無量です、しかも、それがべつに作為的に隠したりダマしたりしてるのではない、あれはどういうのですかね」  女の側からいうと、つまり、そういうことはノミにかまれたほども、考えていないせいではなかろうか。  あっけらかんとしているから、男をダマしたとも、男が勝手に美しく妄想しているとも思わない。もしグハハハと笑いながらいわなかったら、男は一生、そう信じつづけていただろうが、べつにそれだからとて、幸せなこともない。だから捉われないで、思い出したら、 「ア、そうそう、私、処女じゃないのよ、グハハハ」  と笑って男を憮然とさせるのであろう。  女は、男みたいなものをだますつもりなんてないのだ。そんなこと、気にしてなんかいないのだ。  経験がたとえあっても、それが女の心にも体にも何ほどの痕も残さない、(もしくは残すほどの男にまだあってない)そんな女はたくさんいるのだ。そういう、あっけらかんとした女を処女というので、そんな女を捉えて、自分の好みに染めかえてしまうのが、男の仕事ではないのだろうか。  浮 気 心  日本では売防法はあるものの、その種の女がいっぱいおり、それを求めて金を落す男もいっぱいいるのは、周知の事実である。 「社会主義国ではどうですか」  といったら、 「中共だけは試みていませんが、その他はどこにもおります。これは身を以て探究しました」  という猛者《もさ》がいた。  ただし、その紳士がいうのに、各国、「その種の女」がいない国はない、ただし、それ用のホテルとタクシーは、ある国とない国がある、という。ちがいはそれだけである、という。それゆえ、ない国では女の部屋や女の友人の部屋を使ったり、タクシーの代りに汲み取り車(外国にはなかったかしら?)を使ったり、郵便車の運転手に鼻薬利かせて白タクさせるのだそうだ。何しろ、どっちをむいても国家公務員だから、融通は利かぬが、金はあらゆる場所をひらくカギ、金髪女が、 「ちょっと兄ちゃんたのむわ、やってんか」  という感じでひとこと二こというと、仏頂面で金をうけとってやってくれるそう。ただし、近くならいいけれど、市内の公式宿舎をはなれてとばすこととばすこと、いったいどこいくねん、と片こと英語で聞くと、「もうすぐもうすぐ」ばかりでラチあかず、外は如法闇夜《によほうあんや》の真のくらやみ、社会主義国とは暗いところとみつけたり。  やっと多摩団地か千里ニュータウンか、というところへつれていかれ、階段を六階まで上らされ、小さな一室へおしこめられ、中にいた金髪緑眼の大男に穴のあくほどみつめられ、大男と女のやりとり、言葉はわからぬから、呆然とそばに立たされる。  どうも話のようすでは、大男は、 「またかいな、この寒いのにどこへいけ、ちゅうねん、割り増ししてや」  といってる気配。多額のチップを払わされ、大男を追い出して、やっとこさ、部屋とベッドにありつく、という|しんどい《ヽヽヽヽ》手続きがいるそうである。  それからむつごとがすんで、お金のとりひきも終る。しかしそれからが大変、市内の宿舎へ帰る車をみつけるのが難儀だそうである。未明払暁《ふつぎよう》、僻地の団地に、手をあげたら走ってくるタクシーなんて、日本にもないのにそんな国にあるはずなく、 「いやもう、えらいこッてした」  ということであります。  何だってこういう苦労してまで、男は探究しなくちゃならんのだ。なぜそう男は浮気が好きなのだ。アバンチュールに身を挺するのだ。十年二十年と一人で穴へこもってる人もあるのに、たかだか数週間、あるいは数カ月の出張のあいだも保ちきれず、「その種の女」へ走ってゆくとはどういうことだ。 「いや、近頃、女かてすごいらしいでっせ。人妻なんて昼間、なにしてるやわかりまへん」  と紳士たちはいうが、私は、あんがい風評ほども、人妻たちは浮気してないんじゃないかと思う。男と女は、構造がちがうから、ごく普通、一般的な人妻が、夫以外の男と関係するというのは、男が妻以外の女と浮気するよりも、大きい決心が要る。たとえば、私が猛者の紳士に対し、 「気色《きしよく》わるいことないんですか、どこの誰とも知れん女の子を抱いて。つまり、精神的なものと、病気みたいに肉体的なものと、両方です」  といったら、その紳士、自若《じじやく》として、 「なあに、あとすぐ、石鹸で洗《あろ》たらしまいや」  と仰せられた。  つまり、この感覚である。私はつらつら考えたが、(考えなくても自明の理であるが)男は石鹸で洗えるのである。つまり洗いやすいようになっているので、「洗《あろ》たらしまいや」とすましていうことができるのだ。  女はいろいろと男よりデリケートな仕組みになっているので、いたく、石鹸で洗いにくい。また洗ってもあと、すすぎがむつかしいのではなかろうかと懸念される。男みたいに、ざぶざぶ洗って湯水をぶっかけ、ぶるんとふるってそれでおしまい、というわけにまいらない。  そういう、無意識の、懸念や拒否があって、生理的な反撥は、男よりも強い。えらい目をしてでも、各国の男を漁ってまわるという気になれない。  保守反動と笑わば笑え、どうも、女ほんらいの生理からいうと、女は浮気しにくくできてる気がする。これは貞操観や、倫理観とは別のものである。「気色わるい」という語感に、倫理観や「女大学」ふうしつけは、ふくまれてない。  凸凹《でこぼこ》のちがいである。私は女だから、女ふうにものを考えるだけだ。 「しかし、おせいさんかて、男に誘われてふらッとなる気はおきまへんか」  と紳士はいった。もし、私がそういう気になるとしたら、まあ、酷寒の夜ですね。  この間、私は終電車で大阪から帰ったが、じつに寒い晩だった。国鉄・神戸駅の前のタクシーのりばは、延々長蛇の列、折から寒風ふきすさぶ深夜のこととて、じっと立って待っていると、震え上ってツララになりそう、またその晩に限ってパンタロンじゃなく、うすい靴下一枚なのだ。車はなかなかこず、行列は遅々と進まぬ。  私は足ぶみして寒さをこらえていた。私の持病は一年にいっぺんぐらい出る膀胱炎で、寒さと疲労が体にわるい。故意か偶然か、駅の彼方に広告ネオンが輝いており、 「ホテル・望港苑」  なんてあったりして、私をおびやかす。  たとえばそういうときに、だ。寒いですねえ、あッたまりにいきましょうか、ホテルだと、あッたかいですよ、と誘われ、そして目の前にホテルの(この際、名前が悪いが望港苑でもよい)ドアがあれば、私は、入ってしまう。  たとえばまた、おなかがすききっていたら……それもわからない。しかしまあ普通のときは、ちょっとそんな気になれませんね、といったが紳士たちは相手が私ゆえ、そう|がっかり《ヽヽヽヽ》もせなんだ。  カモカのおっちゃんはどうかというと、 「ナニ、浮気? 僕はじゃまくさいから、やりまへん。しかし、人妻の浮気も、その種の女も、この世にあるというだけで、気分が楽しゅうなります、ないと困ります」  鼻 と 口  私が膀胱炎の持病があるというので、津村節子さんがカイロを入れたらよい、と忠告してくれた。そこで私はさっそく荒田町の横町の、太子筋商店街へいって、カイロを買ってきた。  機械によわい私は、カイロにベンジンを入れるさえ大ごとである。説明書を熟読玩味し、部品を点検し、とみこうみして、引きぬいたりさしこんだり、 「アッ、このカイロ、不良品や、この説明書通りになってない!」  と叫び、よく見たら逆さまにしとった、というようなことがあって、やっとベンジンが入り、火がつき、あったまった、バンザーイ。一人でできた。  夢中で熱中、集中していたあまり、私の口もとがゆるみ、ヨダレが思わずたれ、あわてて袖でこすって、誰も見ていないかと見廻すと、運わるく、カモカのおっちゃんにみつかった。 「やれやれ、ヨダレたらすまで、口をゆるみっぱなしにしてること、ないやおまへんか、色けのない」  といったが、おっちゃんは妙に同情的な口ぶりになり、 「まあ、おせいさんならしようがない、京唄子かおせいさんか、という大口ですからな。しかし唄子はんは大きゅうても口もとがしまっているが、あんたはゆるんでるからヨダレがでても、さもありなん」  私の口もとがゆるんでるのは、笑い上戸で、いつもよく笑うせいだ。 「そうかねえ。……笑うせいかねえ。エヘン……その、おせいさんは聞いたことはおまへんか」  とおっちゃんは意味ありげにいい、疑わしげにあらためて私の顔を見る、こうなると男の底意はあきらかである。 「何をですか」 「つまりその、顔の造作の一部分と、体の造作の一部分との関連、あるいは、類似性について、ですなあ」 「知りませんねえ」 「女ならまず、口ですな、口の大きさ、口もとの恰好、きゅッとしまってるか、ニタニタとヨダレのたれそうなほどゆるんでるか、その具合でございます」 「それがどうしました」 「それがつまり、口よりもっと下についてる部分と関連があるという。口が大きいと、その部分も大きいとか。口もとが小さくて、かつ、ひき緊まっていると、その部分も小さく緊まっているとか」 「その部分というのはどこですか」 「これはたいへん大事な、それがなかったら生きてられへん部分です」 「あ、心臓ですね。心臓の形が口に関係ありますか」 「だまれ、カマトト。心臓は中へ蔵《しも》とく部分やないか——ちゃうちゃう、渉外部、受付、つまり、お客さんを迎える部分ですな」 「すると、足ですね、足の文数と口の大きさと関係ありますか」 「ええかげんにせえ」 「さっぱりわかりません」 「女はわからんでもええけど。これが男の場合は口では無《の》うて……」 「鼻になるわけですね」  と、私はついいい、 「知っとるやないか」  と、とっちめられる。  私は、たいていの男が(老若、教養の有無の区別なく)、口および鼻と、照応比例する部分のことに関して、信念をもって語っているのを聞き、心から驚倒するものである。  そんなものに、医学的根拠があるとはどうしても信じにくい。  また、いくら何でも実証しにくい。川上宗薫センセイは実証学の大家であるが、それとて、どこまでほんとうか、眉ツバといわなければならぬ。  更に、男は鼻の高さ、長大ぶりを寸法ではかり、また、下の部分も脱がせて寸法をとればわかるから、かなり手間ヒマかければ実証しやすいが、女はそういうわけにいかない。脱がせりゃ一目瞭然、というわけのものでもないのだ。いちいち、試してみなきゃわからんのだ。  そんなことを、だから、実証できるはずがなく、たんなる好色的|聯想《れんそう》にすぎないと私は思うものだ。而して男は好色精神を有し(有しない人もあるが)、たいていヒマ人である(こういうことを考えるヒマは、いかに多忙な男でもあるのである)。つれづれなるままに渉外係や、受付のことばかり、あれやこれやと考えていると、つい怪しき気になり、すると目につくものことごとくが、みな、それを暗示するごとく思われる。  そう思ってみれば、女の顔の中で、ただ一つ、自由自在に伸縮し、それ自体イキモノみたいにうごいていて、なめらかでやわらかで、ヌメヌメとぬれていて、つい、視線がそこへいってしまうもの、それはやっぱり、クチビル、口もとである。  つい、じーっと、女の顔を見ていて、見られた女、不快げに、 「あたしの顔に何かついてますか?」 「いえ、いえ」  と狼狽して視線をそらせる。こんなときの男は、きまって、相似形の部分を考えており、ついには、ソコとアソコは、相関性があるという、牢乎《ろうこ》とぬきがたい、迷信、俗説が、男どもの頭の中に根深くゆきわたったのではあるまいか。男の方のそれだって、ずいぶん、いいかげんなものであるが、世の大方の諸姉はいわず語らず胸にしまいこんでいるから、それですんでるのだ。  もし女たちが、「鼻とナニとは何の関係もない。私が実証します」とてんでに叫んで立ち上ったら、この俗説の誤謬はたちまちに是正され、革命が起るのであるが、女はそんな、はしたないことしないからね。  私が読んだ運命鑑定の本の中で、いちばんリッパな本は、「女の口と男の鼻は各自、ある部分の大きさに相当するはず」とあった。この本の筆者は、たいへん良心的である。「はず」は男の期待であろう。カモカのおっちゃんもいう、 「そう思うた方が楽しおまンがな」  パイプカット  このあいだ、ある大新聞の週刊誌で野坂昭如センセイと対談していたら、突如、停電となる。センセイ自若として「焼跡派は停電を恐れぬ」などとうそぶいていらしたが、その間、私は必死に、 「あら、お止しになって」  と叫んでいたのだ。しかるに本になって出たのをみると、その一行はカットされておりましたね。真実を報道するのが新聞の使命とはいえ、品位と名誉ということも考えなけりゃならん、このカットはやむをえまい。  また、ある大放送局で、井上ひさしおにいさまと、私は、井原西鶴のことにつき、高邁《こうまい》なる文学論を展開しておったところ、おにいさまはその結論として重々しく、 「西鶴を再確認《ヽヽヽ》しなければいけない」  と仰せられた。これはこの日の放送のハイライトの言葉であるにもかかわらず、大放送局はこれをカットした。これはよくないと思う。これ以上の立派な論評はないのだ。  すべてカットということは、このように取捨選択の結果である。いろいろ勘考して選択するのであろうが、その結果、よい場合と、あんまりよくない場合があるのは、右二つの例にかんがみてもあきらかである。  男性が男性自身をパイプカットするのも、結果がいい場合とわるい場合があるので微妙である。  本来の目的は、断種というか、子供をつくらないことであろうが、これもなかなかむつかしくて、未来|永劫《えいごう》と思った夫婦仲にヒビが入り、再婚したりする、次の女房が子供をほしがったりすると、ハタと困ったりする。  しかし、人間がどうしてそんな未来のことまで見通せよう。何か、かんかいっても、しょせんはごくごく目先のことしか考えられないものである。 「徒然草《つれづれぐさ》」によると、古《いにし》えの賢人、聖徳太子は、陵墓の造営に当って、墓相上、子孫繁栄の反対のことばかりした。 「ここを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」  といわれたそうで、切ったり断ったりするのは、すでに、その頃からのことであるらしい。  妻は両手に子供、背中に一人くくりつけ、亭主は両手に双子を抱いているといった、そういう夫婦を見ると、これはカットしたくなるだろうと同情せずにおれない。いや、そういう必要に迫られてという場合のほかに、私の女友達のように、いちいち避妊の配慮がわずらわしくて、という不埓《ふらち》な不心得者がいたりするから面白い。  そして夫にカットさせてどうかというと、 「それがねえ」  と意外や、浮かぬ顔。 「はじめはノビノビと楽しめると思ったんやけど、だんだん、また物足らんようになってきて」  つまり、日を勘定したり、体温計ではかったり、薬を使ったり、して避妊しているときは、いつもイライラして取越苦労やら、肝を冷やすやら、クサるやらホッとするやら、「ヒエーッ」(ひょっとして、やったのではないかというときの女の内心の悲鳴。あるべきものが少しおくれると、たいていの女はこう悲鳴をあげるそうである)などと、たいへんだったというのだ。  しかしその心配がなくなって心気爽快になったかというと、これがさに非ず、いつでもOKとなると、だんだんあほらしくなってきて、今ではあんまり、双方とも熱意がなくなったそう。  思えば、 「今日よ! 今日は大丈夫なのよ、あなたッ!」 「おお、そうか!」  と夫婦、相和して息弾《はず》ませていたころの緊迫感がなつかしいという。イライラしたり、胆を冷やしたりの気苦労は、つまるところ、生き甲斐だったのかもしれへん、という。  私の友人のホステス(これは例の、気短かで、元気のいい若い女である)、 「男のひとの中には、カットしたから大丈夫や! いうて、ものすごい自慢にして、それを武器にする人あるけれど、何か、こっちは気がぬけたりして」  といっていた。  どう気がぬけるのかと聞いたら、 「やっぱり味がちがうのよ」  というが、これは、私にはわからない。カット前は味が濃くて、カット後は味が淡いそう。何の味かは聞き洩らした。  これも私の友人、四十六のうばざくらの美人記者、 「男にカットさせたら、妊娠の不安からは解放されるし、前も後《あと》も、私は変りないと思うわよ。ただ、こっちの気持の問題だけよ。空砲一発、というのがむなしい感じねえ」  とのたまう。  だから、世の大方の奥さまが、亭主にカットさせたら浮気するんじゃないかと、心配していられるのは、杞憂というものである。  安心して寄ってくる女もいるであろうが、女という女がそうではないのである。うばざくらの美人記者のように、 「空砲じゃ、精《せい》なくてねえ」  という、あまのじゃくな女もいるのだ。  といって、もし実弾が命中したら、「ヒエーッ」というくせに、空砲だと精ないというのだから、全く、聞いていたカモカのおっちゃんが、 「どないせえ、ちゅうねん、いったい」  と怒るのも尤もであろう。 「おっちゃんは、カットする気はありませんか」  と聞いたら、 「身体|髪膚《はつぷ》これを父母に受く、という教育を受けた時代です。しかし、まあ、してもせんでも、今はもう空砲みたいなもんで変りおまへん」  といった。 「変りないなら、した方がいいのとちがいますか」  と美人記者。  おっちゃんはとうとう、あたまにきたとみえ、 「カットせなんだらせえ、という。したら、せん方がよいという。どっちでも一緒や、いうたら、した方がええいう。女のいうことにいちいち、マトモにつき合《お》うていられるかッ! とるに足らぬ下々《しもじも》のタワゴト、いちいち耳傾けてられん」  と怒るが、道聴塗説《どうちようとせつ》、これ天の声。  馴れ馴れしい男 「男きてなれ顔に寄る日を思ひ 恋することも もの憂くなりぬ」  これは与謝野晶子の歌であるが、この歌なぞは、彼女が恋の種々相を人しれず知りつくしていたように思われる、ちょっと凄い歌である。私は晶子の歌は、中年のころのが、いちばん好きである。  晶子はよい歌をよむには、恋をしなさい、と弟子たちにすすめたそうであるが、右の歌も恋を「知りつくす」のみならず、「しつくした」女でないと、よめない気がする。  私は、馴れ顔に寄ってきた男は、この場合、きっと若い男ではなかったかと思う。  若いヤツはすぐ馴れ馴れしくする。  何か、ヒッカカリができると、人前もはばからず、咳払い、目くばせ、体にさわる、言葉遣いがかわる、二人きりになりたがる、知ったかぶりする、もう、煩わしくてしかたがない。  女とのことを、いいふらすのは論外である。  いいふらさないまでも、「色に出にけり」で、すぐ人に知られてしまう。そういう馴れ馴れしさが、可愛らしいときもあるが、それは、まだ女が、恋の経験が浅いときではあるまいか。  あまたの恋をしつくした|手だれ《ヽヽヽ》の女だと、もう煩わしくて「もの憂く」なるのかもしれない。私が「ちょっと凄い」というのは、その恋愛心理の洞察のことである。  若い男が、女と関係ができて夢中になってつい、女に馴れ馴れしくふるまい、女の不興を買い、世間の指弾をうける、というのは、一面また、その男のうぶさかげん、若々しさ、世間しらず、人ずれしてない証拠でもあろう。だから、そういう青臭みを好む女には、ほほえましいかもしれない。  しかし、若い男で、恋した上の馴れ馴れしさとは別に、誰にでもいつでも馴れ馴れしい奴が居り、これは道化ものである。そういう男は美人、醜女の別なく馴れ馴れしくふるまい、また、そういうオッチョコチョイの道化ものに、あたまのいい、美しい女がコロッと落ちてひっかかったりするから、世はおもしろい。  そこへくると、わが中年男は、やっぱり、「色に出にけり」というふるまいは、せんようですな。  女と関係ができても知らん顔をしているから、めったなことでシッポはつかまれない。伊達《だて》に中年になっているのではない、こういうときに値打ちがでるというものだ。  人によっては却って硬くなったりして、ぎごちなくなり、よそよそしくなる純情なのもいるが、概して、気取《けど》らさないように隠しおおせる人間が多い。  かりそめにも、馴れ顔に女のそばに寄ったりしない。  第一、若い奴は、夢中になって、馴れ馴れしくして世間の非難や擯斥《ひんせき》を浴びても、失うものはないのである。若い男はパンツ一丁あれば世渡りでき、どこへでも仕官して、足軽・仲間《ちゆうげん》・草履取り、一からはじめることができる。  しかし、わが中年族は、そうは参らない。  秘めたる情事が明るみに出たら一国一城を失う場合がある。文字通り、傾国《けいこく》・傾城《けいせい》である。ゆうべ仲好くした女だからといって、会社へ来てまでそのつづきをやるわけにはいかないのだ。  だからして、私は、ほんとうの恋というものは、そういう年代からはじまると思うのである。  馴れ顔に寄るような年ごろは、小犬がじゃれてるようなもので、オトナの恋とは、いいにくい。  私がもし恋をしたとしても、ちょっとナニしたらすぐ、馴れ馴れしく寄ってこられるようでは、とうてい、ナニする気にはなれないのでございますよ。尤も、私では千年万年待ったとて、ナニしようとする男は出ないであろうが。  女とナニがあったとて、二人きりの場以外は毅然《きぜん》として、知らん顔を押し通せるほどの胆《たん》、甕《かめ》のごとき豪傑、深沈とした度量のひろい男でなければ、女はナニする気にはなれない。  どうかすると、すぐすっぱぬかれ、もろともに検察庁へつれていかれるような男では、女は、名誉や愛やいろごとを託す気にはならないのである。  ところで、そういう豪傑でも、彼らの妻にかかると、手《ヽ》もなく看破されるのは、いかなるわけであるか。  どういうときに彼らの妻たちがピンとくるかという例につき、佐藤愛子さんは面白い話をいくつもあげている。  ある女は、帰宅した夫の靴が、雨の日にもかかわらず濡れていなかったという。  ある女は、夫がパンツを裏返しにはいているのを発見した、という。これらはみな「ピンときた」という部類で、理屈では割り切りにくい。  芝木好子氏の小説だったと思うけれど、スキ焼きをつついていた三人の男女、(その内訳は夫婦と、妻の女友達である)その箸使いから微妙な関係が暗示されるのを、妻は悟るというのがある。  夫は、妻の女友達に、「このへんの肉ができてる」とかいいながら、箸で押しやる。男の箸と女の箸がふれる。  スキ焼きだから、箸のふれあうのは当然である。  しかし妻は、そのふれ具合によって、はっと、夫と友人の関係を察知するのである。これも「ちょっと凄い」話である。  このように、男というものは、一見、沈着自若とした中年者でも、どうかすると、馬脚をあらわす。  オッチョコチョイで、馴れ馴れしくお道化者の男、はたまた、平生は沈着でも、女とナニすると、とたんにその女に馴れ馴れしくふるまう男、落着いてるくせに、ヒョイとしたところで化けの皮のはがれる男、さまざまであるが、わがカモカのおっちゃんなどは、どこの範疇《はんちゆう》に入れるべきなのであろう。 「カモカのおっちゃん酒提げて、またも来ましたおせいさん」 「コンバンワー。あーそびーましょ」  というのは、これは馴れ馴れしいくせに落着いてるようでもあり、頼もしいかと思うとアテにならず、要するに中年の「図々しさ」の代表選手というにやあらん。 「馴れ馴れしい」よりもっと始末にわるいのが「図々しい」奴であろう。 「男きて図々しく寄る日」の物憂さ。察して頂戴。  ねむけといろけ 「ひもじさと寒さと恋とくらぶればはずかしながら、ひもじさがさき」  という歌があり、私はこの右三つの苦患《くげん》のうち、寒さがたまらん、と思うが、やはり考えてみると、寒さもさりながら、「ねむさ」というのも堪えがたい。  いざ畢生《ひつせい》の大作をものせんと、はり切って毎度机に向う(編集者諸氏が読むと思って、いい恰好していうのではない、私は、新しい作品にとりかかるときはホントにそう思う)のであるが、ふしぎや、そうなると、あたまの中はモヤーッとかすみが掛ったごとくなって、執拗な睡魔におそわれる。ちょっと一時間寝ようとゴロ寝する。すると泰平に朝までおめざめにならず、あとで七転八倒する。この際のねむけというのは、じつに抵抗しがたい強いもので、いかに恐ろしいコワーい編集者の叱咤|恫喝《どうかつ》のドナリ声も、子守歌の如く感じられるんだからねえ。私なんぞのような単細胞の女には、阿片もハイミナもシンナーもマリファナ、ハッシシも要らん、机の前に原稿用紙とペンをおいとけば、しぜんに甘美な無我の状態に入れるのだ。  仕事はさておき、ねむけが人間の苦患の、いな、欲望の、一ばん最大のものではないかと思うのは、いろけにさえもたちまさるからである。  いろけとねむけをくらぶれば、はずかしながら、ねむけが先である。いろけはやっぱり相手がいる。場所と時も考えねばならぬ。人によっては、名誉、地位を賭けねばならぬ時もあろう。境遇によっては、命までも賭けることもあろう。  少なくとも、金もいる。  体力もいるのだ。  べつに学識経験は要らないが、相手によっては要求されるかもしれない。  しかし、ねむけは、自分一人の欲である。かつ、金もいらず、学問、体力、知恵も要らぬ。名誉や地位に関係ない。尤も、大事の会議の席上、居眠りなどして、首になるということもあろうが、そうじて、五尺の身を入れる一畳の畳さえあればこと足りるのだ。  そういう利害関係のほかに、「いろけ世代」を卒業して、はや、「ねむけ世代」に入りつつある、ということも、私の場合、考えられる。  たとえば、めでたき有様の、結構なる紳士に、それとなくくどかれるとする、酒が入る、いよいよ結構なる心持になる、おまけに、かねて憎からず思っている紳士である。阿《あうん》の呼吸が合って、いざ、ということになろうとするころ、ねむけを催してくる。  もう、こうなればダメである。  コワーい編集者の叱声さえ、子守歌にきこえるぐらいの睡魔である、いろけぐらいでは太刀打ちできない。  結構な紳士であろうが、憎からぬ男であろうが、こっちはただもう、眠いばかり、 「イヤ、寝るところへご案内します」  といわれたって、寝るまでの手続きが大変なことは、いくら世俗にうとい私だとて知っていますからな、手続き要らずに、蒲団へもぐりこんですぐ、グーグーと眠れる、わが家の方が恋しいのです。 「イヤ、もう手続きはいりません、すぐ、寝さしたげます、うけ合いますから、いきましょう」  と誘われたって、ヨソの家では安んじてイビキをかいたり、よだれを垂らしたりできない。歯ぎしり、寝返りの拍子に放屁する、ねごと、夢を見て笑う、泣く、とびおきる、ねぼけて便所へ立とうとして、柱でオデコを打って泣き出す、寝相がわるくて毛布を剥いでクシャミ、洟《はな》をかむ、咳をする、——およそ、こういう気ずい気ままなことができますかねえ。いろけがあると気が散ってゆっくり眠れない。  男というものは、別々に部屋をとっても、あとで必ずドアをたたく(ような、気がする)。  しからずんば、 「新聞ありますか?」  とか、 「お茶、入ってますけど」  とか、 「テレビのうつりはどうですか?」  という。おちおち、寝させてくれない。いっそ寝たふりをして鍵をかけてしまう、こんどは電話が掛る。下のバーで、いま飲んでます、なんていう(ような気がする、きっと)。すべて、わずらわしい。あれこれ考えると、私は、もはや「いろけ」より「ねむけ」の世代へ後退しつつあると断ぜざるをえない。  しかし、私より十いくつ若い、「ハイ・ミスざかり」の、「いろけ世代」にしても、やはり、男と泊ると安眠できないそうで、 「そら、仕方ないわ、眠るために男と会うのとちゃうもん」  と割り切っている。若い人はさすがに、寝だめと食いだめができるようで、ひと晩、男とすごして半徹夜みたいな眠り方でも、あくる日は会社でちゃんと一日、働けるそう。私から見ればまこと、 「若き|はたち《ヽヽヽ》は夢なれや」である。  男といると、第一、寝顔まで引きしめていなくてはならない。ヨダレ、歯ぎしりなどもってのほか。あたまにクリップ、カーラー、網をまきつけるなど、思いもよらん、コールドクリームで顔をてかてかと光らせるのもご法度である。あくる朝も、いぎたなく眠りほうけてるわけには、いかない。男より早く起き、洗顔、お化粧して、さわやかな顔を見せなければいけない。しかるに、ハイ・ミスざかりの友人は、それは当然のことで苦にならぬ、という。  ひと晩のあいだ、男の腕を枕にして、うつらうつら、眠ったような眠らないような、夜半、目をあけ、男の寝顔にしみじみ見入ったり、目が合うと、にっこりし合ったり、そのうち、また、いつとはなしに双方、安らかな寝息をたてたり、そういう夜が大好き、という。  聞いてるだけても、四十のゾロメ女は、しんどくなる。カモカのおっちゃんが酒に酔って、かたわらで突っ伏してるのを、ゆすぶっておこし、 「おっちゃんは、どっちですか、おっちゃん」  と叫べば、情けなそうな声で、 「ねむけにはかてん」  翠 帳 紅 閨 「翠帳紅閨《すいちようこうけい》、万事ノ礼法、異ナリトイヘドモ 舟ノ中、波ノ上、一生ノ歓会、是レ同ジ」  という詩が「倭漢朗詠集」にある。  これは、結構な御殿における、正式な夫婦のちぎりも、波を枕の舟まんじゅう、遊女とのたのしみも、歓楽という点においては、みな同じもんや、というほどの心であろう。  この作者は、貴族の男である。エリート階級である。人足・博労、つまり当時のことばでいうと、仕丁《しちよう》や雑仕《ぞうし》や、牛飼のたぐいではないのだ。だから、彼のマイホームは、金殿玉楼というか、まさしく翠帳紅閨の中で、妻としたしんだであろう。  そんな彼が都を離れて、たとえば、江口あたりへくる、と、いぶせき浦の|とまや《ヽヽヽ》なんかへ遊女に案内されたりする。ことにこの詩人の貴族なんか、たいへんな物好きである(これは時代をとわぬ。詩人ですらしかり、作家は推して知るべし)。汚なけりゃ汚ないほど、フレッシュで面白がる。ほかの同行の貴族は、江口の長者のキンキラキンの館で女を抱いていようというのに、この物好き詩人は敢《あえ》て最下等の舟まんじゅうなんかに声かけて、芦の根、ススキの根をふみわけふみわけ、 「これ、麿《まろ》をどこまでつれていくのじゃ」  なんて結構おもしろがってる、その舟まんじゅうの仕事場は小舟の中で、浪花は道頓堀川の牡蠣《かき》舟よろしく岸辺に|もや《ヽヽ》ってあり、 「ちょいと兄さん、ここなのよ」  などといいざま、潮垂れムシロをはねのけて連れ込んだりする。都そだちのエリート貴族はもう、物めずらしさに有頂天、目に入るもの耳に聞くものことごとくおもしろく興そそられ、大ハッスルして、詩想湧くが如く、こんな取材、誰もまだやってへんのちゃうか、と友人の貴族の誰彼の顔を思い浮かべ、優越感にひたる。そして「御殿も浦の|とまや《ヽヽヽ》も、男女の歓会はみな同じ」と当り前なことを大発見のごとく思う。都へ帰るや、さっそく筆をとり、前記の詩を按じたのにちがいあるまい。  しかしながら、女はどうかというに、場所をとわず歓会はみな同じ、といえないから困るんだ。場所がかわれば気もかわる。男はどうだろうか? 「いや、男は変りまへん。歓会はどこでやろうと同じです」  とカモカのおっちゃんはいう。 「ただしかし、いまどき、翠帳紅閨の結構な御殿で歓会を倶《とも》にするのは、道ならぬ相手専門の場合が多いですな」 「なるほど、正式な夫婦の場合の方が、いぶせき団地の二DKやったりして」 「そうそう、片道二時間という通勤地獄の辺陬《へんすう》の地のマイホームやったりして、家ではいろいろと、うっとうしいことが多い」 「たとえば」 「せっかく今晩は女房《よめはん》にサービスしよう、いう殊勝な心がけをおこす、そういう晩に限って年寄りがいつまでも寝よらへん」 「そんな年寄り殺してしまえ」 「メガネが紛失したの、茶を淹《い》れてくれの、どこそこの娘の婚礼に祝いはいくら出したのか、などという、やっと追っ払うとこんどは大供子供、授業料がどうの、明日の靴下がないのと、女房《よめはん》をよびたてる」 「なるほど」 「やっと静かになったかと思うと、電話が鳴る、戸じまり忘れてへんか、子供がストーブ消し忘れてへんか、と女房《よめはん》は一々おきていく、そのうち台所で夜食をつくるジャリ共がワイワイいうて、いやもう、そのうるさいこと、あほらしィて、その気になれまへん」 「しかし、いつもいつもそんな具合ではないでしょ」 「いつもいつも、そんな具合です、この年では。タマに日曜の昼やなんか、エアポケットにおちたみたいに、ポカンと誰も居らんときがある、いざこの時と女房《よめはん》にもちかけますと、これが、文句たらたら」 「と、いいますと……」 「同じことなら、京都のヒーラギ屋へいっぺん泊ってみたいの、六甲ホテルでやりたいの、嵯峨野の宿屋が具合よろしいの、と」 「それはそうです、私も、そうですね」  と私は、おっちゃんの奥さんに共感する、 「やっぱり女はこう、同じことやったらロマンチックな、夢と詩情のあるところでやりたいと……」 「いや、同じことやったら、どこでやっても同じやおまへんか」  またしてもこのオッサンとは、こういうところで食いちがう。 「それは、ちがいますよ。居《きよ》は気をうつす、同じ相手でいいんです、相手までとりかえるとはいわない、いわないが、タマには翠帳紅閨、夢とロマンのあふれる場所へつれていってほしい、それが女というものです。つまり、年寄りの眼鏡さがしたり、子供に授業料渡したり、戸じまり見てまわったり、しなくてすむようなところ、日常次元を離れたところへいきたいものですね」 「いくと、何か、変ったやり方をしてもらえますか」 「何でそんなん、せんならん」 「�いつものように……�というのなら、どこでやったって同じとちゃいまッか、つまり……」  とおっちゃんは具体的に話しかけたが、私の淑女的な気品ある態度に圧倒されたとみえ、話をかえて、 「いや、そら実をいうと、僕かて、家でやると第一、せまいのでかないまへん。床をのべるとあたまの先から爪先まで家財道具がぎっしりで、寝返り打つと、フスマが破れ、伸びをするとテレビを蹴倒しそう、夫婦の歓会なんて思いもよらぬ、もう、家の中ではとりあえず小そうなって寝る、これ専門」 「では、やはり実をいうと外へいって……」 「さよう、広々とした十二畳くらいの日本間、床の間は本床で、結構な掛軸に花一輪、手垢のつかぬフスマをきちんとたてて、香の匂いも奥ゆかしい、そういう日本間で……」  と、おっちゃんはなぜか辺りを見廻し、小声になり、 「実をいうと、ひとりでノビノビ寝たい」  トーフ屋の妻  辺陬《へんすう》で思い出した。  神戸にお住まいの作家、白川|渥《あつし》先生は、その人生の出発を、教師からはじめられた方である。白川青年は若々しく、教育の使命感に燃えていた。いやしくも世俗の名聞《みようもん》には耳も藉《か》さず、教育の情熱に身を捧げようと決心していた。師範学校卒業の際、希望の任地先を書類に書きこんで提出するとき、白川青年は、そのみずからの気負いに照れ、頬をぽっと赤らめつつも、しかしキッパリした字で、 「いかなる辺陬の地をも厭《いと》わず」  と書いたのである。  私はこの話が好きである。こういうのが青年の青年たる所以《ゆえん》であって、求人広告をとりよせ、初任給の多寡や将来性ばかり考えているような若者は好かないのである。  青年というのは情熱に燃え、理想がなければいけない。辺陬の地でたとえ一生を埋めようとも、真の教育者たらんと白川青年は意気込んでいたのであろう。  ところが、書類をうけとった関係者は、眼鏡ごしに、しばしうち眺め、ふしん気に、 「辺陬て、何県や?」  と聞いたそう、いや、これは、ほんまの話——。  近時、住宅事情が悪化するにつれ、じつにもう、辺陬は何県にもできて、ことに大都市周辺なんかひどいもの。いや、人が住み、家が建つという点からは、辺陬でなくなったが、そこから都心の職場へ通おうとすれば、たいへんな辺陬の地である。片道二時間、二時間半、なんてのもある。  尤も、大阪は、東京よりマシで、都会周辺に私鉄が網の目のようにはりめぐらされているから、辺陬の地に住んでも、わりに交通時間は少なくてすむ。それに、これは私の実感だが、大阪人は、東京人よりはマイホームに対する執着が少ないみたい。何が何でもマイホームを、という気はないようで、都会のアパート、郊外の文化住宅、団地に住んで、コトをすましているのが多い。大阪近辺の公害もひどいが、まだ東京よりは住みよいということかもしれない。  それはともかく、どんどん地価が上る一方だから、もしマイホームでも建てようという気になれば、|辺ぴ《ヽヽ》であろうが辺陬であろうが、厭うていられない。  辺陬の地では、奥さんもたいへんである。七時前に亭主を家から出そうと思えば、六時ないし六時半に奥さんは起床しなければならない。 「豆腐屋の女房それからすぐに起き」  という川柳がございますが、辺陬のマイホームでは、女房はみな、豆腐屋のおかみさんになってしまうのでございます。  だいたい、男が夜、帰ってくるのがおそい。ちょっとゆっくり都心を出ても、帰宅は九時、十時、一杯飲んだりしていると最終電車になったりして、(また、辺陬の地は終電、終バスの時間が早い)駅へ着くとバスはもうない。山賊、追い剥ぎの出そうな山道をトボトボとたどりあるくころはもう、すでに十二時《よなか》、上弦の月が山の端にかかったりして、木々の葉ずれ、風のわたる音も「いと物凄し」という風情。こういうところは、花鳥風月を友とするような「徒然草」の作者あたりが住むべきもので、東京なら丸の内・大手町、大阪は本町・淀屋橋あたりへ通おうという人間の住むところではないのだ。  家へやっと着いたら東海道五十三次を踏破した気分、ワラジならぬ靴をぬいで、 「長の道中、よくまあつつがなく」  と先祖に感謝し、神棚にお燈明でも上げたい思いである。 「るす中、変りなかったか」  と女房にいい、 「お前さんもお達者でよう帰ってくれはった」  と女房も涙ぐむ。もう寝入ってる子供をのぞきこむと、しばらく見ぬあいだに、だいぶ育った感じ、 「親はなくても子は育つっていうが、ほんとうだなあ」  などと思い入れよろしくあって、 「やっぱり自分のウチというのはいいもんだ。——それにつけても、長のるす中、お前にゃ苦労させたなァ」 「なんの、お前さん」  なんていうと、まるで、江戸十里四方お構いの股旅者が何年ぶりかで帰ってきたようであるが、ほんとにやっとたどりついた家に数時間いるだけで、うとうとしたらもう、出かける時刻になっている。  遠距離通勤者というのは、何をたのしみに生きてるかと思えるが、数時間しか居らぬ家にやっぱり帰るところに、私は男の帰巣本能の強さを見るのである。  しかも、マイホームをたてるころは、たいてい中年前期か、後期、初老前期というところである。只でさえ、しんどい年代なのである。  そういう年代の人々が、家へ帰って数時間後にはまた出なくてはならぬ、ストップウオッチ片手に女房と親しみ合おうというのだから、涙なくして見られない。もうゆっくり味を吟味してなんかいられない、もし朝、寝すごしたら、あとのバスは三十分おき、ともかく早くすまそうということで、 「早く早く、何してるんですッ!」  と女房に文字通りお尻を叩かれたりする。そうして、昔の豆腐屋は朝が早いものであったが、その女房なみに「それからすぐに起き」という気ぜわしさ、私は、遠距離通勤者ならびに彼らの妻になり代り、政府の土地政策、住宅政策の貧困を憤らずにはいられぬのである。  それにそういうところはどうしてもタクシーを使う回数が多いが、これが当今、たかくつく。遠距離通勤者には、政府はタクシー代を税金から引くべきである。  カモカのおっちゃんもよく終電に乗りはぐれ、タクシーで帰るが、この間なぞは豊中へ廻って人をおろしたりしていたので、(おっちゃんには関係ない話だが、大阪キタのホステスはよく、豊中、十三《じゆうそう》、塚本などに住んでいる)家へ帰るとタクシー代一万円近く、女房《よめはん》に頭ごなしに叱られたそう、 「そんな高いのやったら、いっそホテルで泊ってきなさい! どうせ帰っても用事あれへんのに!」  圧 力 計  聞くところによると、男は数人集まると、それぞれの持ち物を誇りあうそうである。カモカのおっちゃんにたしかめてみると、 「いや、この年では、中学生みたいに口に出して自慢はしまへんが、しかし裸になる場では、ツイ無意識に見くらべて、誇りに思《おも》たり、コンプレックスを感じたり、することはありますな」  ということであった。 「女は、そんなことありませんか?」 「それは女かて、バスト見くらべたり、ヒップの形をあげつらったり、するかもしれません」 「いや、そんな、外から見える形のもんやなしに、女の機能の自慢です」  これは、外からはわからない。  わからないから、競うわけにはいかない。 「いや、当節では、その部分専用の圧力計もできてますからな」  などというが、そんなものを計って自画自讃していられますか、バカ。握力計や肺活量測定ではあるまいし。そういうものなら、 「あなた、いくらだった?」 「あら、奥さまより私の方が、肺活量大きいのね」  などといえるが、あっちの圧力を口に出して自慢するのはナゼカはばかられる。  それにふしぎなことに、男はリッパな持ち物の持ち主は敬意を払われるかも知れない。本人の自慢に見合うような、尊敬の念を捧げられるかもしれない。しかし女の方は、あっちの圧力がかなりのもので、高性能を請合われても、女同士ではうらやましがられない。  却って、軽侮の対象になりそうな気がする。 「へえ、あの人、圧力が○○ですって」 「まあ、いやだ」  ということになりそうな気がする。そうして、何とはしらず、 「××夫人は(或は××嬢は)インランである」  というような、風評が立ちそうな気がする。高性能だから淫乱というわけでもないのに、女は最短距離をイコールでむすぶのが好きだから、高性能だと、男が喜ぶであろう、男を喜ばせるのは好《す》き者であろう、好き者は淫乱であろう、という方程式ができ上ってしまいそうな気がする。  だから、現代の十代や二十代はじめの若い女はともかく、一応、いい年増の奥さんやハイ・ミスは、圧力度が高く、高性能であるとわかると、おのが身をはじて、 「誰にもいわないで下さい」  と口止めするかもしれない。そこが、男と女とちがう。  男では、外形も機能も貧弱そうな人間は、劣等感にさいなまれるらしい。  しかし、女は、もし、美しいプロポーションに恵まれ、バスト、ウエスト、ヒップの数字が絵にかいたようだったりすると、外には見えない、内側にひっこんだ性能なんか、問題にしないところがある。  圧力計を持ち出されて計られた結果、今まで検査した内では最低でした、と告げられても、 「ア、ソウ」  と恬然《てんぜん》として意に介しないものである。  もし神サマがいて、あっちの部分が最高の性能を誇る醜女と、性能は最低だが絶世の美女と、どちらを望むかと女たちにきかれれば、女はたいがい、美女の方をとるであろう。  あっちの圧力なんぞ、知ったこっちゃない、というにちがいない。  第一、あっちは、毎度、人に見せて自慢できるものではない。  しかし顔や体、外貌は、人目にさらされるものである。  人にも自慢し、自分も鏡を見るたびにうぬぼれ、みずからほれぼれし、人の目に浮かぶ讃嘆の念を見てとってふかい満足を味わうことができる。  極端にいえば、女は小野小町のように、あっちの部分が、圧力計で計れないほど欠陥があっても、美人なら充分、オツリがきて折れてまがる、と信じているふしがある。 「しかし鑑賞用ならそれでよろしいが、もっと深く、人生をたのしもうとするときは、つまらんわけですなあ」  とカモカのおっちゃんは憮然としていう。 「小野小町では、われひと共に、索莫とするのとちゃいますか? 小町までいかんでも、どうも具合が思わしくない、圧力が足らんというとき、女はどう思うんですかなあ」 「それは向うがわるい、つまり全ては男の責任やと思うのとちがいますか?」  と私はいった。 「まかりまちがっても、こっちに欠陥があって、そのせいで、つまらないとは思わない。みな、男のせい、男のやりかたがわるいと思いますよ」 「しかし、そのせいで男が離れたらどう思いますかね」 「こんな美人の、どこが気に入らんのやろ、と思いますね」  おっちゃんはげんなりし、 「女はトクですなあ。男は外形で見えるから、いくらはずかしくても、卑下しても、それから、目をそむけるわけにはいかん、不出来なわが持ち物をじっと見て、その劣等感に堪え、それとたたかわねばならん」 「大げさな」 「いや、そこが大事ですぞ。女はどうかというに、不出来なモチモノは、内側ふかく隠匿《いんとく》されて、自分の目で見ることはできん。だからして女は身のほどかえりみず厚かましく図々しくのぼせあがり、優越感にひたり、えらそうに練り歩く」 「しかし……」 「時には圧力計でわがモチモノの至らなさを知り、身をつつしめばよいのだ。外ばっかり飾りたて、どうでもええとこばっかり化粧してぬりたてるより、訓練の一つもして、あっちの圧力でも高める努力をすればええやないか。とかく、女のすることはマトはずれも甚だしい、女が自慢するいうたら、顔や体や亭主の地位や、息子の大学合格とちがいまっせ。あそこの圧力計の目盛りだけやぞ、この、すかたん——ましてや、少々の三文小説、雑文が書けるぐらい、何やちゅうねん、おせいさんも女なら、圧力自慢で勝負せい、ちゅうねん」  私、はじてうつむく。  旧仮名と処女  このごろ、古典を読む仕事をしていて、旧仮名を見なれるにつれ、旧仮名の美しさになじみ、文章が、いかにも綺麗に思われる。  何といっても、旧仮名で育った世代ゆえ、体の方がなじんでいる感じである。 「あおげば とうとし」なんて書くよりも、 「あふげば たふとし」と書く方が、ゆかしい感じがする。 「とうとき みくらい」なんて、ちっとも、尊くない感じ、 「たふとき みくらゐ」とやると、まさしく、ひとりでにあたまが下る字づらである。 「わが母のおしえたまいし歌」こんなのは、野良唄じゃなかろうかね。 「わが母のをしへたまひし歌」とくると、崇高なアベマリアか、典雅な子守歌を思い浮べずにはいられぬ。  そもそも、私の生涯の、というより、私がこんな時代に生まれ合わせた一大痛恨事の一つは、戦後、旧仮名が新仮名に直されてしまったことである。  国語審議会もいい分があろうが、「教へる」「あふ」などを、「教える」「あう」と変えて、どうちがうのかと思う。あ|ふ《ヽ》の|ふ《ヽ》には長い歴史と必然的な文法があるのである。  むしろ私がふしぎでならないのは、助詞の「へ」や「は」を「え」「わ」にしなかったことで、こっちの方は、直してもよかりそうに思うのに、それは、そのままになっている。  むつかしい理屈があるのだろうが、旧制女専国文科卒程度の学力では、けったいな改革だといぶかしむだけである。  しかし、新聞も雑誌も、どんどん新仮名づかいになり出した。私は一人、孤塁を守っているわけにはいかない。思い切って、文章を新仮名づかいで書いてみた。何とも、いいようのない、一種、サディスティックな気持である。  思えば満六歳のとき小学校に入学してから叩きこまれてきた旧仮名づかいなのだ。  それは教養のシンボルでもあった。大学卒といえども、昔は、 「仮名づかいをまちがえた」  などと書くと、 「アッ、この男、大学卒などといいながらこんなこと書いてる、学歴詐称ではないか」  と疑われるほどだったのである。  教養のある人は「仮名づかひをまちがへた」と書く。発音通りに書くのは、外地向けの日本語教科書だけで、国語の教育は、あげて仮名づかいを正しく書けるということにつきていた。  その教養のシンボルを、まさに土足でふみにじって、わざと無教養な人しか書かない発音式で書くのである。文法も何もメチャクチャになる気がして、気持わるいったら、なかった。  しかし、しばらくそれで書いているうちに、私は、私の文章が変ってきた気がした。  新仮名遣いの愚劣な字づらは、その代りに、あらゆる一切の権威や拘束や、制約をも、ふきとばしてしまうのである。  教養のシンボルをふみにじった以上は、既成の文章の約束ごとも、足もとへ崩れてしまったのである。  愚劣なことが、平気で書けるようになった。文体が変ってくる。  実にノビノビ、自由に書けますな。  新しき酒は新しき皮袋に盛るべし。私は文章の世界が、ひろがったような気がしたのである。 「これを、たとえていうと——」  とカモカのおっちゃん、 「処女を失《うしの》うた時のようなものでっか」  いやですよ、そんなこと——。いまどきの若い子じゃあるまいし、初体験がどうのこうのと、公開していられますか、ばかばかしい。  でも、タトエとしては、あんまり見当はずれではないのではないか。  とびこえるときは、エエイッと目をつぶっちゃう。  まっ白な靴で、雨のぬかるみ道へ一歩、ふみ込むみたい。  しかし、いっぺんそれを敢行すると、思いもかけない世界がひろがるのである。  まして、戦後の無秩序な、混沌の世相と、人間を表現するには、打ってつけの文体が、新仮名づかいで可能である。今まで見たことのない文章ができるかもしれない。  つまり、仮名づかいなど、どうでもよいという、八方やぶれの文章も可能である。出口はあちこちにできて四通八達、天衣無縫の生き方ができる、処女性を捨てた女と、よく似てるといえばいえよう。  さりとて、旧仮名がわるくて、新仮名がいいとも、かぎらない。そこも、処女と同じ。  誰にもかれにも、処女を捨てろとすすめられない。  もし、人生案内で、そんなことをいって、若い、物知らずの女の子をたきつける奴がいたら、それはニセモノである。新仮名を使う人はたきつけられなくても使うし、処女を死守する人は、四十五十になっても、神々しい処女のままでいる。  いまでも、旧仮名で小説を書いてる人を見ると、私は、やっぱり、おっちゃんのいう如く、処女を捨てない初老の女の神々しさを感じてしまう。一言一句もおろそかにせぬ、格調たかい文章を見ると、猫の仔といえども、オスは近づけぬ凛然《りんぜん》たる老処女の人生がほうふつとする。  さりとて、新仮名になれてしまった人間が今さら旧仮名にもどるのは、めんどくさいのと同じく、もう一度、昔の処女にもどしてやると神様にいわれても、たいがいの女、 「かんにんしてちょうだい」  というであろう。そこも似ている。  いったん、自由の天地、何ものにもとらわれぬノビノビした境地を味わったら、あほらしくて窮屈な旧仮名に、いや、処女の身に、戻ろうとは思わぬであろう(尤も、それと、新仮名遣いが強引で反文法的だということは別である)。  カモカのおっちゃん問うていわく、 「では、おせいさん自身、新仮名になったのはいつですか。文章ではないぞ。新仮名やぞ」 「(私、ウタウ)あれは三年まえ——」  なにいわすねん。それは「喝采」の文句やないか。  男にもらうもの  女は、男に何を与え得るか、ということを若い女性たちが議論していた。  私は、(昔からそうだったが)特にこの所、イヨイヨ、マスマス、議論がにが手になって、酔わなければ議論などできない、酔えば言葉を忘れてしまう、どっちへ廻っても議論など、ダメになっちゃったのである。  しかたがないから聞く方にまわる。  女の子たちはカンカン、ガクガクとやり合い、男にない女の特質、秩序の平衡感覚がどうの、愛情、平和、律儀、マジメなどということをとりあげているが、しかし考えてみると、手ごたえのない議論である(もっとも議論は、手ごたえがないものだが)。  男の方から、女に何をもらったか、ということをあげつらうならともかく、女がやったものを論ずるのは、たよりないものである。  男の方が、 「そんなもん、もろたおぼえはおまへん」  というかもしれないからだ。  また、女がやったとしても、男が受けとるのを拒否するかもしれないからだ。たとえばバージンをやったとする。女はやったつもりで、大層に考えていても、男の方は気がつかなかったりして、張り合いぬけする。また、たしかにやったのに、 「ほんまかいな」  などと疑わしそうな無礼な男もいたりして、実にたよりない。やった、もらわぬ、という争いは、しばしば、水かけ論に終ることもあろう。  安らぎ、これが、女が男に与え得る一ばん大きなものとちがいますか、という女子大生もいたりするが、男は女から安らぎをもらうより、麻雀から、或は酒から、或は競馬からもらうことも多いであろうし、まあ、男と女、与えた、もらった、といい合うのは空しいものだ。  ただ、私の場合、小説を書くとき、ある情趣が湧いて男を描く。それは、ほんの些細なことを、男にもらって、感興を起こすことが多い。  その感興を、女にもらうことは、少ない。  私の好きな作家、森茉莉さんは、ある写真や絵を見て、それから小説を書くことがある、とどこかに書かれていた。——私も、そういうことがあるので、よくわかり、共感したのである。  たとえば彼女は、映画スターのジャン・クロード・ブリアリなどが出ている一葉の(映画の一場面の)写真から、感興を催して「恋人たちの森」を書いたといわれる。「枯葉の寝床」も、ある写真から、さまざまの情趣をくみとり、書かれたそうである。  私も、そういうことがある。そして私の場合、女も、たとえばマリリン・モンローの写真なんかから「猫も杓子も」という作品を書いたりすることもあるけれど、男の写真や、映画の男のしぐさ、いうことなどから得るものはたいへん大きい。  私が過去に、そういうことで、いろんなものをもらったのは、俳優でいうと、クルト・ユルゲンス、これはきらびやかな軍服を着ると、冴える男だった。  ロッサノ・ブラッツィ、この男はきちんとしたスーツ姿もよいが、よれよれのワイシャツ姿もすてき。  ジェームス・メイソンはやっぱり、イギリス紳士みたいにネクタイもしめてちゃんとしている方がすてきだった。何の映画だったか、コートを着ていて、とてもさまになっていて、見とれたことがあった、そうしていそいで書いたのが「山家鳥虫歌」で、そういうと人は笑うが、この短篇のどこにも、ジェームス・メイソンなんか出てこないし、それを暗示するような場面も人物もないのだ。田舎のバス道でバスが鼻面つき合せて、のけのかぬ、と二時間口論していたという小説の、どこに、このイギリス紳士の影響があるのか、われながら不可解。しかし、いいなあ、と思うと、むやみに小説が書きたくなったのらしい。  ゲーリイ・クーパーは、西部劇が本命みたいに思われてるが、初老のインテリ紳士などやらせると、いい味で、これは背広の上衣をぬいで、シャツにチョッキなど着込んでるところがよい。  ジャン・ギャバンは、きわめつけがよれよれのレインコートであろう。  デビッド・ニヴンというのは、スポーティなブレザーの似合う紳士。  ピーター・オトゥールとピエール・ブラッスールは、何を着てもすてき。  メル・ファーラーのセーター姿というのはちょっと心にくく、オードリー・ヘップバーンが惚れたはずみたいだし、マーロン・ブランドと、ラフ・バ口ーネのジャンパー姿もたくさんのものを、私にくれたものである。  モンゴメリィ・クリフトは、すこし着くたびれたスーツ、ジェラァル・フィリップは十八世紀風の、古い服がとても似合う、西洋骨董の陶器人形みたいな、いい男だった。  こうやってみると、みんな今はいい爺さんばかりで、若いのはいないが、すべて私にどっさりと、「情趣」という贈り物をもってきてくれた男たちである。  現実の男、知己・友人も、そう、といいたいが、現実の男性たちは、どうも複雑怪奇で、ようわからんところがあって、これは、私には何ともいえないのである。  その円満なる人格において私がふかく尊敬している大先輩・野坂昭如センセイは、酒場でホカの男がうたっているのをちょっとでもほめると、たちまち、 「アイツとオレとどっちが巧い」  と真剣に聞き、センセイの方だといわないと大へんなおかんむりで、私としては混乱するのである。  また、その学殖・識見においてふかく私が傾倒している小松左京氏は、 「高橋和巳の死んだのは、あの家の家相がわるかったせいだ」  と嘆いて、私を右往左往させるのである。  その才気・能力において私がふかく私淑している藤本義一サンに至っては、 「男はアホやと思うやろ? ナニ、思わへん? 思《おも》てえな。女が、男はアホやと思てくれな、男は安心でけへん。アホや、いうてえな」  と哀願し、私はもう何が何だか分らなくなってしまうのである。  現実の男たちは複雑怪奇で、私には何をもらったか、よくつかめない所がある。たぶん彼らに大きすぎる無形のものを与えられたので、迂遠な私には、全的に表現把握できないのであろう。現実に私が男からもらった、といえるのは、月々、亭主のくれる生活費、これはタシカであります。  わが愛の朝鮮人  朝鮮服というものには、私はなじみふかく、なつかしい。大阪の下町そだちの身には、子供のころの思い出に、かならず朝鮮服が点綴《てんてい》されている。昔、浪花の下町に、朝鮮人はたくさんいた(いまでも大阪・神戸には多い)。  だから、大阪の歌、つまり浪花をテーマにした流行歌というもの、私の場合、気に入るものはあんまりない。私にとっての大阪、浪花情緒というものは、「こいさん」や「船場」や、「金もうけのど根性」なんかじゃないのだ。  大阪人て、そんなもんばっかりとちがいまっせ。  世間に知られない大阪人の一面というと、一方では、たいへん知的水準のたかいインテリ遊び人、学者、作家などもいる。  こんな手合、金もうけのことなんか考えてるもんか。大阪人だというと、金もうけに狂奔するように思う馬鹿が多くてこまる。大阪人は私の見るところ、儲けるのに熱情を感ずる人と、使うのに熱情を感ずる人と、半々である。  また、「こいさん」だの「お家さん、ご寮人《りよん》さん」など、あれはテレビ紙芝居向きのお伽話で、いっぺん、大阪の鶴橋、今里、猪飼野、(釜ヶ崎はいわずもがな)天王寺区や浪速区の下町で飲んでみるがよい。また、神戸は新開地から、ガスビル前、長田、丸山あたりで一ぱいやってごろうじろ、「こいさん」も「ご寮人さん」もふっとんでしまうムードだ。  だから、私は、こういうムードが出る大阪の唄がうたいたい、また、うたってほしい、と思うものだ。  そこには、必ず、朝鮮人がいなければいかん(韓国人といったのでは、なつかしみは半減する)。ニンニクの臭い、ダイナミックな発音の朝鮮語、そういうものがごたまぜになり、ある種の大阪下町のムードが出る。私はそういうのがとても好きだが、それはやはり、幼時の記憶からであろう。  朝鮮服の形が、私はとても好きなのだが、幼ななじみのなつかしさでいえば、色あざやかなチョコリやチマよりも、断然、白である。  爺さんも婆さんも、白を着ていた。  そうしてふしぎや、私の記憶にある爺さんは、かならず、長いキセルで一服している。  小さな長屋の門口に腰かけて、ゆったりと煙草を吸いつけている。  朝鮮のお爺さんというものは、のんきなものであると、子供ごころに深く印象づけられた。  婆さんの方は、これはしごく働きものぞろい、私の家へ裏口からいつもモノを売りにくるのは、白服の婆さんである。  紐に通した亀の子タワシと、脱脂綿を売りにくるのである。  私の家は、電車通りに面した方はモルタル塗りで洋館ふうになった大きな写真館で、ガラスのショーウインドーがぴかぴかしている。裏は路地の奥のゆきどまりで、溝があって土間があって、女中衆《おなごし》さんや、祖母、母、叔母らが、四六時中、たちはたらいている台所である。大人数なので、酒も醤油も樽で買う。女中衆さんが、片口へトクトクトク……などと受けたりしている醤油や、酒のにおい、グツグツとたえず何かをたいているにおい、そんな台所へはいってきて、婆さんは長いことねばり、亀の子タワシと、脱脂綿を売りつけるのである。  なぜそんなとりあわせになってるのか、これは今もってなぞであるが、皺くちゃの婆さんは、台所の板の間にそれをならべ、長いこと、家の女たちとしゃべってゆく。  ときには、アヒルの卵を売っていることもあるが、たいてい亀の子タワシと脱脂綿である。  いま思うに、この共通点は、売り場が台所ということと、女の必需品ということであろう。店先にいる男にもっていったって、どっちもしようがあるまい。  しかし、小学三、四年生の私には、その関連がわからない。タワシは子供ながらに、台所をのぞいて売るべきものだとわかる。しかし台所にいつもいる女たちに、なぜ脱脂綿を売るのかわからない。  しかも、なぜ婆さんが、白いチマの、すこし汚れた裾をたくし上げつつ、上りかまちに坐りこんで、 「ヒッヒッヒ。あんたとこ、たくさん女のひといるから、これくらい、いるね」  と幾袋も出すのを、若い未婚の叔母たちが頬あからめ、女中衆さんがキャッキャッと笑い、母や祖母がたしなめるごとく、また、奥の男どもに聞こえるのをはばかるごとく、ふりむいてはじらいつつ、 「お婆ちゃん——」  と、婆さんの大声をたしなめているのか、子供の私にはわからないわけである。 「それ、なにするのん」  と私は、脱脂綿の袋を指していうと叔母は、 「ケガしたときに要るもん」  という。この叔母は美人で、花嫁学校へ通ってるさい中である。 「どこケガしたん、見せてェ。なあ、見せてェ……」  などといって、 「いやらしい子やなッ」  とじゃけんに叱られる。白チョコリの婆さんは皺くちゃの顔を一そう皺くちゃにしてヒッヒッヒと笑い、 「いまにあんたもケカする」  というのであった。……  小学校にも女学校にも朝鮮人の親友がいた。長じて飲みにゆく界隈、つねに、火花の散るような朝鮮語とニンニクと油のにおいと、強い焼酎のにおいがつきまとっていた。私には、それこそ、生まれ故郷のにおいである。それはきっと、朝鮮で生まれた引揚者の人々の、朝鮮に対する感覚とは、またべつなものだろう。私のは、幼ななじみの郷愁の中にないまぜになった、一つの要素だから……。浪花の中に溶けこんでしまった朝鮮だから。  しかし私は正直のところ、セクシュアルな酩酊を与えられるのは、朝鮮人の男に多い。女のひとにも百済《くだら》美人というべき美女が往々いるが、男性もすてきなひとが多いのだ。ただ残念なのは、私の場合、朝鮮男にはいつも、見ただけで酩酊して、ついに実人生で結ばれる運命にめぐりあえなかったことである。  男の想像力  王朝末期・鎌倉時代のころ、 「まらはいせまら、つびはつくしつび」  という俚諺《りげん》があったことが古書に見えている。つまり、男のナニは伊勢男のそれが出来がよろしく、女のナニは筑紫女のそれが上玉であるという意味のもので、しかしその理由は、不明である。あずま男に京女、というたぐいの対句であろうか。  それについて古い本にお話がある。  チョイとした身分の男、——やっぱり、(月代《さかやき》にちょんまげ、着流しの落し差し、という江戸侍よりは)直垂《ひたたれ》に侍|烏帽子《えぼし》といった、(あるいは狩衣に揉《もみ》烏帽子の王朝風でもよい)かまくら武士ぐらいのがよろしかろう、ともかくそういう男が、あるとき妻にいう。 「おい、怒ってはいけないよ、折入って頼みがあるんだ」 「また改まって何でございますか?」 「いや、そういわれるといいにくいが、お前の召し使ってる侍女、この間新しく抱えたのがいるだろう、誠にすまんが、あの女にちょっと話をつけてもらいたい」  妻女は、いたく、ふしんである。 「とりたてて美人でもなし、情緒があるでもない、平凡な女ではございませんか、どこにご執心になったのですか」 「いや、なに、筑紫女だと聞いたものだから……」  中世的な語法によれば、男は筑紫女と聞いただけで「ゆかしく」思ったわけである。  妻女は笑う。これは嗤《わら》うと書くべきであろう。 「それはおやめあそばせ」 「なぜだ」 「だってコトワザ通りにいかないことはわかっているではございませんか。あなただって伊勢男のはずなのに」  古往今来、男の考えることはいっしょである。「オール讀物」のカラーページにあるようなお話が、何百年も昔の本にもちゃんと載ってるのだ。 「これで以てみても、男は本能的に名器願望がありますね」  というと、カモカのおっちゃん、 「いや、ちがうなあ」 「では、男の好奇心を諷刺したお話でしょうか」 「いや、そんなんとちゃう」 「男のオッチョコチョイかげん……」 「いやいや、男の想像力についていいたかったんや、思いますなあ」  おっちゃんによれば、男は女より想像能力に富むという。  おっちゃんのみならず、男はつねに、あたまの一方で、女のことを考えている。「筑紫」という言葉を聞いただけで、中世の男はピピピピと神経が逆立ちするぐらいである。そこへ現実に「あの女は筑紫女」だというのがあらわれる。想像の手がかりが与えられたわけである。 「しかしそのときに、ですな。やっぱり、男に想像力をかきたてる女と、かきたてさせない奴とがあります」 「筑紫女、というだけで充分ではないのですか」 「そら、あきまへん。いったい、あんたら女いうもんは、男のみんながみんな、あそこさえあったらええと思《おも》てるように思うらしいけど、そんなもんとちゃいます。そんなんやったら、×××に目鼻くっつけてるようなもんやないか」 「しかし、川上宗薫センセイの小説など読むと、数ノ子何とやら、みみず何とやら、男は構造にしか関心ないように見えますが」 「それはちがう」  おっちゃん、きっぱりさえぎり、 「男はそれだけではあきまへんなァ。いったい、この際いうとくけど、おせいちゃんあたりが、もう一ばんいかん、生半可《なまはんか》な知識を消化もできす鵜呑みして、男はアアだ、コウだときめてかかる。男としては片腹いたいですぞ」 「では、男は、女の構造にしか関心ないというのは誤れる認識である、と」 「さよう、それやったら、オバケやないかいな。応挙の絵に、×××のオバケが、男を追いかけてるのがありますが、あれは怖ろしいもんでっせ。そのまま描いてもオバケになります。こう、毛ェがずーっと……」 「何の話してんねん、想像力の話とちゃうのん?」 「そうそう、男は、そのオバケのことなんか考えてない、いや、考えには入れてるけど、オバケすなわち女とは思わんです。構造がどうのこうの、と論議するのは、何や、オバケそのままをあげつらうようで、僕らには、気色《きしよく》わるいですな、まァ考えてみなさい、あのおそろしいオバケの顔を。オバケがわんぐり赤い口あいて吐いたりのんだり、緊めたり緩めたりしてる、思うと、夢でうなされそうになりますがな……」 「エヘン! 想像力について伺いましょう」 「そやそや、その男かて、きっと筑紫女に想像力をかきたてられるもんがあったんや、思います。つまり、肌が綺麗とか、色白やとか、何かこう、好みのもの、共通のもの、女としての関心をそそるものがあり、それによって、女にひきつけられる、しかも、はじめに筑紫女だという、好もしき先入観念もある。いよいよ想像力は刺戟され、日夜、あれか、これかと思いめぐらせ、懊悩《おうのう》しているわけである」  はては思い余って、ついに妻にもちかけてみる、そういう段取りだったにちがいない、とおっちゃんはいう。 「まあ、男には名器願望も、好奇心も、オッチョコチョイ精神もありましょう、フ口ンティア・スピリットもあるやろ、しかし、それを支えるのは想像力やぞ。オバケだけを論じてたら、もう想像力の余地は、無《の》うなります。それやったら、医学書の解剖図見てんのも同《おんな》じ。肌が綺麗、声が美しい、さればこの女は、あのときもさぞ快美やろ、とそういう、想像をたのしむ、女の美しさをいろいろ想像する、いろいろ……」  と、おっちゃんの視線が私にじろじろ注がれたので、今日はこれまでと私はしとやかに一礼してひきさがった。  あそこの名称  小説を読んでいると、かの大切なところの名称が人によりさまざまでおもしろい。  この名称は口語と文語とではむろん、別である。  普通の人は、口頭にのぼせるときは、××、×××、ワレメちゃん、あそこなど、いろいろいう。いわないですます人もある。テレビなどでも「ワレメちゃん論争」などしている。  しかし、文章にするとき、これはハッキリ、そのものを指して書かなければいけない。かつ、いわないですます、ということもできない。 「ナニをアレして、アレがそうして……」  と書いたのでは、いかなる出版社といえども原稿料はくれない。  それで人は、いろんないい方を考える。私はこれを考えるのが邪魔くさいからベッドシーンは書かない。それに女性でいろんないい方を考え、発明して書ける人は、月やくのあがった人と見てよろしかろう——何の話や。  ともかく、文語と口語はちがう。文章にするときは、口にのぼせる言葉を使うと、いたく品格がおちる。「ワレメちゃん」なんて言葉は、文章には使えない。 「彼はワレメちゃんに手をふれた」  などと書くと、へんにナマナマしくなり、思わす桜田門の方をうかがいたくなる感じ、このごろはわりにみんな、口にのぼせて、かなりひんぱんに聞く×××(或は××××)だって、文章に定着するわけにはまいらない。 「彼は×××にさわった」  と書くと、これはハッキリ、トイレのらく書き風、文章にすると、明るい所で読みたくない感じ。私はこういうときの名称には気むずかしい方である。小説・雑文を読んでいて気にいる気にいらぬ、というのはハッキリある。これは許されてしかるべきであろう。泣き泣きでも文筆業者のはしくれだから、自分の好みがなけりゃ仕方がない。  わりに見やすいのは、「女性の部分」なんていいかた、 「彼は女性の部分に手をふれた」  と書くと文語らしくておくゆかしい。秘所、なんていう言葉を使う人もあるが、これはあの世という意味もある。知ってて使っていられるのであろうけど。陰の字のつく解剖学的用語を頻出なさる方もあるが、これは男が読んでおもしろいかもしれないけれど、女が読むと、夢がなくてつまらない。  局部、なんていうと日本医師会報の文章になってしまう。  前、とか前のものというのもあるかもしれないが、前といったって、いろいろ道具はあり、そのどれを指すのやら、かつこのごろはうしろのものをご愛用なさる向きもあるのだ。たしか時代小説だと、こういう古めかしい、「前」なんてことばが生きていたと思う。  小説の種類により、いろいろであろう。 「かくしどころ」なんていうと荷風大人的であるが、案外、むかしはこの語が文章にも多くて、無難だったのかもしれないが、私は子供のころ「キング」などの広告で読んだ記憶がある。それは、 「かくしどころ用にも効果絶大!」  とある、毛はえぐすりの広告だったのだ。子供の私はたいそうふしぎであった。  私は、かくしどころというのは御真影奉安殿のことだと思ったのだ。  昔の小学校には、校庭の一隅に必ず、小さなコンクリートの御殿風のたてものがあり、ここに天皇・皇后両陛下のお写真と、教育勅語がおさめられ、小学生は登・下校のたびに必ず、うやうやしくおじぎしていたのである。そこは威厳をもって密閉され、中をうかがうこともできない。いうなら、「かくしどころ」の感があったのだが、今おもうに、「かしこどころ」(宮中三殿の一つ、賢所)とまちがっていたのではあるまいか。  なぜ、奉安殿に毛が生えなければいかんのだ。嗚呼《ああ》。子供の頃には不可解なことがいっぱいあった。  しかし、文章にすると「かくしどころ」という言葉は、荘重な響きを帯び、かつ、大正風倫理観念のものものしさがあってよい。  シンボル、という言葉もある。  しかしなぜか、この言葉は男にしか使わない。カモカのおっちゃんにいわせると、 「そらやっぱり、シンボルという言葉は、一点に凝縮した、という感じがないとあきまへん。それダ! とゆびさしていうことができるもんでないと、あかんのとちがいますか。たとえば女やと、ゆびをつきつけて上から下まですーっとあてても、ついに足もとまでこれダ! というものがない。女は、女自体がシンボルですからなあ」 「男は、シンボル以外の部分は、男でないのでしょうか」  と私は、おっちゃんの盃に酒をそそぎつついった。 「そうもいえるかもしれまへん」 「そういえば、日本のシンボル、という言葉もありますね。これはなぜですか」 「つまり、シンボルという言葉には、急所という意味があります。よって、日本のシンボルは日本の急所であると」 「なるほど」  私は腑におちた。 「急所をさわるととび上がる人がいますからな」 「ハハァ」 「さわってる内に問題《ヽヽ》が大きゅうなったりする」 「ご尤も」 「なるべく人にふれさせるまい、人前で軽々しくあげつらうことも避けようとする、まさしく、秘部的存在」 「わかりました」 「イザというときは二・二六将校のように蹶起《けつき》するエネルギーも秘めてます」 「全くね」 「シンボルには必ず裏に何モノか、ややこしくぶらぶらと蠢動《しゆんどう》して、たくらんでる、そういうのが付随してるもんです。そこも似てます」  私たちはシンボルに乾杯した。  背 の 君  あそこの名称について、考えたついでに、男や女がそれぞれの相手について呼ぶ、その呼び名を考えよう。  これも、じつにいろいろある。文語でかくと「家人」「配偶者」「夫」「妻」「情人」「愛人」とハッキリ、その関係を明示できる。しかし、口でいうとこれがむつかしい。人に紹介するときに、家人も配偶者も不適当、夫、妻もおかしい具合。  私の知人に、自分の妻のことをツマとよぶ(当然だが、耳できくとヘンだ)男がおり、「僕のツマがこない、いうとんねん……」などというが、好みの問題だから人のことはほっとけばよいようなものながら、落着きわるい語感である。荊《けい》妻、愚妻、ともに文語的なコトバで、会話中にさしはさむには趣味性が強すぎる。また亭主の方も「オット」と口語でいうのはおかしい、謙遜語がないので、「愚夫」「愚亭」ともいえず。  よって、世間大方の、耳やすきところの呼び名は「主人」「家内」であろう。「主人でございます」「家内がそう申しました」と使うのが一ばん普通でよい。  私たちの年上の時代の妻たちは、「宅が」といったりしていたが、今はもう聞かなくなった。  すこし気楽な会話だと、「亭主が」「女房が」などと使う。女房は、関東では「カミさん」であるが、関西では「よめはん」である。だから土岐雄三氏の小説の「カミさんと私」は関西ではもひとつ、ぴんとこぬ題で「よめはんと私」というと、よくわかる。  よめはん、というと他の地方では息子の嫁と混同するらしく、いつだか北海道へいって私の亭主が、私を指して「これ、うちのよめはんです」というと、「まあ、そんな大きな息子さんがおありですか」といわれとった。  関西では息子の嫁は、よめはん、とはいわない。「息子の嫁です」という。よめはん、というのは、自分のモノ、という語感があるのである。照れかくしに「はん」という敬語をつけるので、よめはん、というのは、よめさま、ということなのだ。しかし、よめはんの語には、|はんなり《ヽヽヽヽ》した感じがある。はんなり、というのは、抑えた華やぎ、というような関西語である。 「お父ちゃん」「お母ちゃん」という呼び方もある。「じいさん」「ばあさん」も、年がいくと耳なれしてよい。関西だとそのほか、「ウチのおばはんがこない、いうとんねん」「ウチのおっさんが……」などとも使うが、妻が「ウチのおっさん」という時は、やはり環境が限定される。そうでなければ使う人間の器量による。  職業により「ウチの関取が……」「ウチの先生が……」などとよんでいる妻たちもあるが、その世界の中でのことならともかく、無関係な人間の前では、不適当な場合もあろう。  大阪では、ときとして、「ウットコの子ォな……」などとよんでいる若い妻もある。「ウットコ」は「うちとこ」であり、「私どものところでは」という意味、早くいうと「ウットコ」と聞こえる。 「子ォ」というから子供かと思うとさに非ず、これが亭主を指すのだ。「子ォ」という言葉をてっとり早く説明すると、つまり、「万葉集」によくある、「何ぞこの子のここだ愛《かな》しき」というような、こういう「子ォ」の語感、つまり「かわいい・いとしい・庇護すべき・かよわい・面倒みずにいられない・愛らしい」生きもの、というようなかんじ、それが大阪弁でいう「子ォ」である。  だから、「ウットコの子ォ」といういい方をされる亭主は、たいへん妻に「可愛がられ」「大事に庇護されてる」亭主なのである。  それでいて、大阪の妻たちは、亭主にたより、亭主をまたなくえらい者と思いこみ、亭主のためには「火にも水にも」という感じがあって、一心同体のつもりでいる、そういうのもふくめて「ウットコの子ォ」という言葉になったりしている。これは、子供、つまり生みの子のときも「ウットコの子ォ」と使うのであって、亭主は亭主、子供は子供、とべつべつになったりしない。  亭主も子供もひっくるめて、女から見れば「ウットコの子ォ」になってしまう。そういう強い放射線に中《あ》てられる大阪の男は、たいへんである。  小松左京さんによれば、 「芸人の女房には、大阪女はあかんねんて」  ということだ。 「大阪女は、芸人が芽の出えへんとき、おち目のときも、身を粉にして尽くしよる。私が食べさしたげるさかい、あんた芸のことだけ考えてたらよろし、いいよる。そんな女にかかったら、大がいの男、骨ヌキになって大成せえへん。そこへくると京都の女はええらしい。合理的でうすなさけ、芽が出えへんかったらさっさと去《い》による。男は何くそッ思《おも》て奮発するねん」  などというが、一々、私は実地にしらべてないからわからない。しかしそんな一面もあるかもしれない。 「パパが」「ママが」というのも、大の男や女が人さまの前でいう言葉ではなさそう、女学校のクラス会で「ウチのパパが……」「ウチのパパは……」と聞くのもわずらわしく、甘ったれていていやみ。  私の亭主の友人に、「ウチの女が」という医者がおり、これは秀逸。 「ウチのオンナ、こない、いいよんねん」  などと使う。その先生の家庭には、老母もいるが、老母もオンナながら、これは「婆さん」とよぶ。而して、婆さんを引くと残る女は妻、しかしこの先生、「家内」「女房」「よめはん」「カミサン」悉《ことごと》く、含羞《がんしゆう》なしによべない、抵抗を感ずるという。そしてさかんに「ウチのオンナが」「ウチのオンナにきいたら」などという。これは、按ずるに「万葉集」でいえば「吾妹《わぎも》子《こ》が……」という、あの語感であろう。ウチのオンナ、は吾妹子にあたるのだ。  私はウチのオトコ、はどうかと考えた。しかしどうもおちつきわるい。「主人」と「ウットコの子ォ」の中ほど位のがあれば、と考えていると、カモカのおっちゃん、 「背の君はどうです? べつに体位にかかわらず、ええ呼び名や、思いますけどなあ」  四十男て、きらいやなあ、やっぱり。  女 の チ エ  男というものは、女をアホやアホや、というくせに、女がかしこくなるとけむたくなると見え、「女に学問はいらん!」  と叫ぶ。  また、男は、女は仕事など何も出来《でけ》へん! と侮《あなど》り、何をさせてもスカタンやとおとしめるくせに、女が職場で能力を発揮すると目ざわりになるとみえ、 「女は家庭にかえれ!」  と恫喝する。  新左翼の男のコたち、えらそうに演説ぶってる若いモンが、結婚するとすぐ地金をあらわし、タテのものをヨコにもせず共かせぎの女房の負担を増して、古い型の亭主関白になるのは周知の事実である。  わがカモカのおっちゃんなぞ、大正フタケタに至ってはいうだけ野暮のはげあたま、 「女ちゅうもんは、どだい、亭主や子供にうまいもん食わせていつもニコニコして、夜になったらマタ拡げとったらよろしねん、結局、それにつきるねん」  ミもフタもないいい方をするではないか、ないかないか、道頓堀よ。こんなん聞いてると、キーッとなる。仮りにも高等教育を受けた女たちを何と心得てくれるのだ。大学の卒業式に答辞よむ学生だって、今や女性で占められる世の中である。  首席入学、首席卒業、中学から大学まで、状元《じようげん》三場というおそろしい女の子がゴマンといる現代なのだ。こういう、かしこい女たちで、現代はみちみちつつあるのだ。  男たちは悲鳴をあげ、「女はアホがよろし!」と叫ぶ。それはわかるが、いったんつめこんだ学問を、女とてどうしようもないではないか。 「いや、それはですな、やはり、忘れていただく」  とカモカのおっちゃんはいう。 「もう詰めこんだ奴はしかたない、しかたないから、女という女は一トところにあつめて、アウシュビッツのガス室ならぬ、記憶喪失ガスをぶっかけて、みんな忘れさせてしまう。何しろ記憶喪失ですから、読んだ本も忘れる、リクツもいえない、ギロンもできぬ、自信がないから、男のいうまま気まま……無学を恥じてしおらしいィになります」 「私も、記憶喪失させられるわけですね?」 「おせいちゃんのような四十女はまっ先にやられる。何となれは、下らぬ知識をひけらかし、一ばん世に害毒を流す」  これはたいへんなことになってきた。尤も私は、持ち重りするような、学問も知識も持ち合わせないから、記憶喪失ガスをかがされたところで、そう変らないであろうけれど、それでも、いろいろ不都合なことがおきるわけである。つまり、自分が何ものであったかも忘れてしまう、これがすこし困る。 「もしもしこちら週刊文春でございますが」 「ハイハイ、こんにちは」 「締切りすぎてるんでございますが」 「何のことですか、私はタナベですが」  なんてことになり、私は愉快であるが、先方さんは困られる。イタズラ好きの筒井康隆さんだと、 「ボクはタナベさんに金を貸したはずやけど」  というかもしれない、私は何しろ記憶がないから、そうかと思う。 「いくらですか、エッ百万円、ウーム」  しかし性、善なる私としては、借りたからには返さにゃならぬと、身を売っても返済する、これは、私の方がこまるケース。更には、亭主は私の記憶喪失をこれ幸いと、 「おや、どなたですか、ここはあんたの家とちがいます」  などとていよく玄関払いをし、私は何しろ記憶にないこととて、それもそうかと踵《きびす》をかえしてトボトボ追っ払われる、亭主は背後で、やれ、厄介払いしたと万歳三唱してるなぞは、これも私が困ることである。  また更に、ありえないことだと信ずるが、野坂昭如センセイなどが、私の記憶喪失につけこみ、あやしき振舞いに及ぼうとなさいますね、こういうことになっていたのだ、と仄《ほの》めかされると、何しろこちらはとんと記憶がないから、それもそうかと納得したりする、もうほんとに、いろいろ、不都合が多くなるのだ。  それやこれや、するうちに、いかに気のよい私といえども、どうもヘンだ、あやしい、と気付くかもしれない。「男のいうまま気まま」にハイハイとやさしく従い、どんな無理難題をふっかけられてもじっとがまんして堪えしのび、何しろ、何をいわれても、こっちに自信ないから、男の指図のままにしたがう、しかしそのことごとくが、どうもこっちがソンするようにできてる。それが、おかしい。  私の記憶喪失を利用されてるのではないかと、あるとき愕然と気付く。私と時を同じくして、あっちでもこっちでも、女が気付き出す。やがて、どうもおかしい、と勇気のある女の一人が叫び、それをキッカケにウーマンパワーがおきる。収拾つかない混乱になる。  連盟、組合を作ろうという呼びかけがおきる。ハチのスをつついたさわぎ。  そうして、これから、女は、あべこべに記憶喪失を逆利用してやろうという決議が出る。 「金を返せ」といわれたら、「おぼえてないなあ」とうそぶく。 「お前はオレの女房やないか」といわれたら、「ウソツケ」と一笑に付す。  あやしき振舞いに及ぼうとする人間には、「クセモノ!」と叫び、「オイオイ、話がちがうやないか、お前は以前、かめへん、いうたやないか」などという奴には、「何を、だまされるものか」とバンバン! とキックでやっつける。  これは女のチエである。チエと学問はちがう。学問知識のあるなしに関わらず、チエは女がみんなもっている。こうしてみると、女は所詮、学問をつめこもうと何しようと本質のチエとは関係なく、記憶喪失も意味ないらしい。  そして私自身としては、女は社会に出ようが家庭にひっこもうが、ほんというと男を動かす力は同じだと思っている。見よ。世の男という男、本音はみな恐妻家ではないか。  ヨバイのルール  以前にもちょっとふれたが、「夜這い」というのは、いろいろ勘考すると、優に一冊の本が書けるぐらい、ゆたかな示唆に富んでいるものなのである。 「夜這い」は、本当は「呼ばい」です、とある人に教わった。  つまり、暮夜ひそかに垣根の外から「呼ばう」のである。呼ばわれた方は「あいよ」とか、これまたひそかに答える。山のこだまのうれしさよ。これが「呼ばい」というもんで、そのあとおもむろに巫山《ふざん》の夢をむすぶという段取り、「夜這い」なんちゅう、ガラのわるいアテ字を書くとは、おせいちゃんとも思えまへん、というお叱りであった。しかし弁解するではないが、結局、することは「夜這い」ではあるまいか。  ところで、この間、さる田舎へ出かけ、私はそこでもヨバイの研究をしてきた。  かねて私は、ヨバイに興味をもってはいたが、中でも殊に、「子供ができたらどうするか」というのが長年の疑問であった。既婚の女はよいが、娘はどうするのであろう。  村の爺さん二、三人、交々《こもごも》語ってくれた。その内の一人は、元巡査だった爺さんである。大正十二年に夜這い禁止令が出たのだが、現職の巡査であるからには、今後、お上《かみ》の目を掠めて夜這いすることはゆるされぬ。爺さんは(その頃はむろん、青年である)一瞬、考えた。  夜這いをとるか、巡査をとるか、なんの桜田門、君と寝よ、というわけで、直ちに巡査をやめた、という爺さんである。田舎の人には、ハムレットのようにとつおいつなやみ迷う、といった野暮はいないのである。  その元巡査の爺さんのいわくに、娘に子供がでけたら、好きな男の名から順にあげてゆく、というのである。その男が不同意であると、次に好きな男の名をいう。そのうち、どれかがウンといってくれるから、うまくおさまるので、中には亭主の子でない子もむろんいたろうが、戸籍ではちゃんとなっていて「父《てて》なし児」などは作らない。 「戸籍係の方でも心得ていて、あんばい生まれ月を|いじく《ヽヽヽ》ってくれよる」  戸籍なんちゅうもんは、人間に便利なように作るもんやという。そうして、娘に夜這いをかけてくるものは、やっぱり未婚の青年に限り、既婚者の男もないではなかったろうけれど、独り者の青年が、あとしまつをすることに、うまくなっていたそうである。  人間のチエというものは、こういう所にこそ使うものだ、とつくづく思い知らされた。  また、戸籍というものは、人間に奉仕するもので、人間が戸籍のためにふりまわされるのは邪道だと思わされた。  そういえば、この頃のように、赤ん坊がぞくぞくとコインロッカーに捨てられていたり、映画館やデパートの便所の屑籠に、紙袋に入れて捨てられているのは、ヨバイのルールに違反していることである。ヨバイの邪道である。  いま、日本中にヨバイの嵐が吹きあれていて、老いたるも若きももろともに、ヨバイにいそしんでいる観がある。しかし、ヨバイには長い年月、人々がその体験と生活のチエから練り上げた「ヨバイ法」ともいうべきルールがある。そのルールが、もう、今はめちゃめちゃなのである。ルールが乱れれば、真にヨバイをたのしむことはできぬ。今の日本人は、ヨバイを真にたのしむほどの文化程度にさえ達しとらんのである。  たとえばいま係争中の「未婚の実母」と「養母」の子供奪い合い事件は、実母がこの五月五日に、実力で子供をつれ去ったことで、あらたな局面が展開して、ますます解決が困難になったが、これも、ヨバイのルールからはずれていることである。  大阪府・堺市に起った事件で、これは女の闘争にまで発展しそうな勢いをみせている。すでにご存じの方も多いだろうが、幼稚園の未婚の先生が、園児の父と親密な仲になって子供ができた。男はこのとき、おろしてくれと頼んだが、女は、育てる自信があるからと押し切って生んだそうである。  さて、ここから両者の話は完全にくいちがう。男は、女の同意を得て、ニセの母子手帳を作成し、子のない夫婦に養子にやったという。女は同意したおぼえはない、という。  できた子供を抱いて男の親類の家へ相談にいったところ、隣室に寝かされていた子供はいつのまにか連れ去られていた。必死でさがしてやっと、養子先をつき止めた。その家では可愛がって育てているので返さぬという。女は子供を返せと裁判にもちこんだ。そして敗訴した。この判決文が問題である。  裁判官という人種が、いかにあたまの古い、西も東も分らぬ人種、つまり男と女、母と子、ということについていかに洞察力や理解力がないかということがわかる。その上、非常な悪文であってわざわざ引用するほどのことはないのだが、山村のヨバイルールにくらべ、現代はあまりにも文化程度が低俗であることが瞭然とするから、敢て掲げる。 「幼稚園の教諭の身で園児の父と情交関係を結び(大きにお世話だ。幼稚園の先生がわるくって妻子ある身の男ならわるくないのかね)生まれる子にとって所謂《いわゆる》私生児という不幸な境遇になることが予想されるのに(裁判官自身がそんなこといっていいの? 裁判官は私生児をいじめる人を弾劾する立場じゃないの?)請求者本人——実母のことである——尋問の結果によっても、その養育に確たる見込、方針もないままに被拘束者を生んだ態度等から請求者の被拘束者——子供のこと——に対する真の愛情の存在については疑問なしとせず。(養育に確たる見込み、方針もないまま生むというが、生むということ自体、現代では一つの選択である。少なくとも彼女の場合、未婚の身で生むことを選んだと主張している。それをさして、愛情がないとどうしてきめつけられるか)」  ヨバイは「呼ばい」であるからには、相呼応して阿《あうん》の呼吸があるはず、意気投合する、ここまではよい。子供ができる、これは誰か身軽な男を拾っておっつけるか、せっかく自分で育てるというのなら、女に育てさせればいいではないか。  一方的に女を非難し、男はのほほんとしているのでは片手落ちも甚だしい。私は元・ヨバイの大家の爺さんに、 「もしどの男も、ワシャ知らんといったらどうしますか」  と聞いたら、爺さんきっぱりと、 「そういう男は、この村はじまって何百年、一人も居らなんだ」  というた。  言葉づかいのはずかしさ  若い人の言葉づかいがおかしいというが、文章のことばもヘンである。いや、文章ということになると、中年、老年もおかしいのが多いけれど(そういう私も怪しいが)、いま大体、第一線でPR誌、月刊営業雑誌、新聞の編集者で、現場で書いてる人は、私よりは若い人であろう。  ウチへ送られてくるPR誌なんかにも、愉快な言葉づかいが多い。 「古墳から土器がうようよ出た」(私鉄のPR誌)  これは「ぞくぞく出た」というのが常識であろう。 「暑さの季節が近寄ります」(化粧品メーカーのPR誌)  近づきます、というのがふつう。 「頬なめずり」は、「頬ずり」と「舌なめずり」の合成語で、「頬なめずり」する場合も人生にはあろうけれど、おちつかぬ語感である。 「目を丸黒する」も「丸くする」と「白黒する」がドッキングしたのであろう。しかし人間、ことに日本人の目玉はもともと、「丸黒」であるから、ことさら「丸黒する」にも及ぶまい。 「毒牙をのばす」も、ちょっと考えたらわかるだろうではないか。「のばす」とくるからには「毒手」。「毒牙」とあれば下へ、「磨《みが》く」がくるのが常識。いかにドラキュラだとて、毒牙を長くのばしていては不便であろう。若い人は、手あたりしだいの言葉を使うのでいけない。これは、新聞にのっていたのである。  新聞では、地方版でもう一つ、愉快なのがあった。歌集の出版記念会のニュースで、 「終りに××氏が短歌の詩吟をして散会」  とあったが、これは朗詠といってほしい。短歌を詩吟したのではどう解釈すべきか、読者は身悶えしてくるしむ。  バーのホステスさんが、握りずしのことを「おにぎり」というのについて「にぎりとおにぎりはちがう、こまったことだ」と誰かが眉をしかめていらしたが、この間も、 「何になさいます? お水割り?」  という美人ホステスがあった。カモカのおっちゃんはからかいたくなったとみえ、 「うんにゃ、ちがう。水割り!」  と叫び、美人ホステスはけげんな顔で、 「お水割りでしょ?」 「ちがう。水割りや、というのに!」 「だから、お水割りでしょ!」  これがほんとの水かけ論。これ以上いうのはヘンクツというもの、おっちゃんは黙ってしまった。この美人ホステスに限らぬが、若い女、ちょっと気取った女は、何でも「お」をつけたらいいと思っているが、モノによるのだ。  私はあるとき、気の置かれる、尊敬すべき、肩のこる男性の前にかしこまって、もろともに、かたわらのテレビをうち眺めていた。すると若い女アナウンサーが、洗剤か何かの広告をしていて、 「お粗相をして、ものをこぼしたりしたときに……」  としゃべっていた。粗相は、あやまち、そこつ、というか、物ごとをしそこなう意であるから、そういう言葉自体はまともだが、この際、つけなくともの「お」、あらずもがなの敬語であろう。「お」をつけるとニュアンスがちがってひびいたりして、関西語の慣習としては、まことに進退に窮する語感、これが雑駁《ざつぱく》なカモカのおっちゃんと聞いてたりするのだと、どうということはないが、気の置ける人が相手では、笑うわけにもいかず、 「ヘンな言葉づかい」  と指摘してつぶやくのも、あまりに神経過敏を疑われる。ことに、女としては、こんなときにむつかしい、言葉づかいに適切を欠く、と注意したりしたら、私の考えてることがわかってしまう。わかってもいいが、私としては、そんなこと気付いてないふうによそおいたい。  こういうコトバを無造作に使われると困るのだ。一人で聞いてる時はいいが、テレビは誰と一緒にいるかわからないのだから、気をつけてほしい。相手の方も、何だか、ヘンな顔をしていたが、互いに紳士淑女の体面を重んじて、気付かぬ風に毅然《きぜん》としていた。  そういうときは、いいかげんなコトバづかいをするくせに、若い子というものは、妙なところではずかしがるから始末にわるい。ある女子大生のお嬢さんは、 「チッソ」  という言葉を口にするのもはずかしいといっていた。そういうのはあるとみえて、これは二十一、二の出版業関係のお嬢さんは、 「帙《ちつ》入り」  という言葉が、なかなかいえないといっていた。  中には「この字、どう読みますか」ともってくるので、見ると「朕」という字、字引を引けばすぐわかるのに、人に聞きたがるのも若い女の子の通癖である。 「それは|ちん《ヽヽ》とよむ、天子の自称ということになっていますよ。自分、という意味」 「何とよむんですって?」 「朕オモフニ、の|ちん《ヽヽ》です」 「いやァねえ、オトナって」  などとのたまい、顔なんか赤くしていて、オトナが何かわるいことをいいましたか、ちょっと意識過剰ちゃうか。 「ヘンな字!」  といったって、字には罪はない、そう読むようにきめられているのだ。べつに私がきめたわけじゃありませんよ。 「しかし、若いときってそうやないかしら、考えてみると、私も、若いころ、秩父ということばが口に出しにくうてこまったわ」  と中年の女友達がいっていた。チチブというさえ、顔が赤らんだそうである。若者の羞恥心というのは神変不可思議である。カモカのおっちゃんは口を出し、 「いや、僕らから見ますと、女の羞恥心というのはけったいですなあ。——朕や秩父にこだわるくせに、ある産婦人科医者の電話番号見て、げらげら笑《わろ》うてうれしがり、その医者、物凄うはやってます。下《しも》・三四一《みよい》いうんですが、男には到底、口に出せまへん」  おっちゃんは、中年女や若い女の子に、ハッタとにらみ据えられていた。  ヒ ト の 素 「難産、色に懲りず」  というコトバがあるそうである。  えらい難産で死ぬか生きるかのくるしみ(昔は無痛分娩なんて知らないし、帝王切開もない)もうもう、二度とお産なんかしません、と女は決心する。  お産をしない、ということは、つまり、男女の歓会を断念することにつながる。昔の人はピルも知らなければ、受胎調節法も知らないからである。もう退役だ、と決心する。  ところが、そう決心していても、そこはナマ身の人間の悲しさだ。のど元すぎれば何とやらで、この道ばかりは(|あの《ヽヽ》道というべきか、どっちみち、色の道である)思い切れない、やっぱり現役にかえり咲きしてしまう、これを「難産、色に懲りず」というそうである。そうしてまた、前よりひどい難産だったりして、中には一命を落としてしまうのも出たろう。中絶できない時代だ。  いま、優生保護法、わかりやすくいうと、中絶禁止法を改訂して、前よりも一そう中絶しにくくなるようにしようと一部政治家と識者たちが動き出し、それに対して女性はほとんど反対の声をあげている。  この間も、佐古純一郎氏がある趣味雑誌に書いていられたが、趣旨は、一言でいうと、こうも簡単に妊娠中絶できるというのは、けしからん、生命の尊厳ということをどう考えているのか、気軽に堕胎手術をする日本の医者はどうしてこんなに平気で「人殺し」ができるのだろうか、という、お腹立ちである。  老いのくりごととは申さないが、この先生のいうようにすると、できたコドモは片っぱしから生め、ということになる。  しかし、生まれてこまる場合が、残念ながら女にも、男にもあるのである。  この先生によれば、この頃頻発する子殺し・子捨ては、みな、気軽に堕胎する精神と「同じところから出ている」といわれるが、これはちょっとちがう。  そういう雑駁な神経で、こんな大切な問題を論じられてはやりきれない。子殺し・子捨ては、現代の性意識と、人間をとりまく環境のひずみ、落差が生んだもの、文化のアンバランスがもたらしたもので、これは別に論じないと長くなる。男のいうことは何もかも女性問題に関する限り粗笨《そほん》で、クソもミソも一しょくたにする。  人間を一人、生むか生まないかは、女のきめることである。マレに男が口を出すこともあるが、気の毒ながら製造工程では手を貸せるものの、仕上げは女だから、どうもしかたがない。  男たちは、この生む生まぬの権利を、女一人に独占させるのをやっかんで、中絶しにくくさせようとするとみたはヒガ目か。  実際問題として、誰も喜んで中絶する、中絶好き、中絶中毒の女なんていないと思う。しかし、現今の医学はまだまだ不十分で、完全百パーセントという避妊法は発見されていない。  避妊と中絶の関係について、もっと考えてもらわなければいけない。もっと進歩した避妊法が発明されれば、中絶などという泥くさいことはなくなってしまうのだ。  それでも、生むことを選択したあとで、環境はどんどんかわるものだから、生みたくなくなる、という場合がある。夫の蒸発や離婚、別離……人生は複雑なものだし、女の一生はまだ先が長いのだ。もつはずでなかった子供をおろせなくなって、長い一生を棒に振る、ということもあるだろう。  それに、今日び、子供をもつことを拒否する女もいるのだ。  また実際問題として、三人四人五人と、子供が生めるような、生きやすい世の中ではないのだ。生活難、住宅難はちっとも解決しないのに、また、避妊法はちっとも進歩していないのに、中絶は悪だというのは、川を堰《せ》きとめて大雨をふらすようなもので、どこかに無理ができて堤防が決潰し、一大氾濫をおこす。  ところで、私がいつも、ふしぎに思うこと。その佐古センセイも、そうでありますが、生命の尊厳という美名を錦の御旗のように男たちは掲げるが、どこからを生命というのか、そのクギリが、わからないのだ。 「胎内にめばえた尊いいのち」  などと、使ったりしている。そうしてそれを掻き出すことを、 「人殺し」  とよぶ。まことにそれはそうにちがいない、順調にいけば人になるんだから。  しかし、私にはどうも、もう一つ納得がいかない。  人《ヽ》の原料ともいうべき、「人のモト」は常時、下水管をザアザアと流れてゆく。  毎夜毎夜、ホテルや自宅のバストイレを伝わって中有《ちゆうゆう》の闇に消えてゆく無数のいのち。水洗トイレの下水管からおびただしい人命が消えてゆく。大阪市水道局も神戸市水道局も、人殺しの片棒を担いでるわけだ。これはいいのであろうか。  ヒトは尊く、ヒトのモトは取るに足らぬのであろうか。 「いや、ヒトのモトはそれだけでは汚水と同じで、ヒトのモトが二種類集まり、うまくパチーンとぶつかって花火を出してくっつく、そうなると値打ちが出てくるのです」  と、いう人があるかもしれない。しかし、ぶつかってもくっつかないヒトのモトもあるのは皆さま承知の通り。パチーンとぶつからなくてもよいのがぶつかったりして、さなきだに錯綜した人生を、いよいよ、もつれさせたりしているのも、これまた周知の事実である。  味の素ならぬ、ヒトの素と、生命のめばえの線を、どこで引くか、が問題である。  まあしかし、大体、「中絶は悪だ」という人は、たいがい子供がもう作れなくなったロートルであろう。だから生活難も人生苦も、愛欲苦も一切、関知せず、そんなことをいっていられるのだ。  私が「生命の尊厳」ということばで浮かぶイメージは、結婚何年もたって、子供を渇望している夫婦に子供ができたときの、狂喜ぶりなんかである。また、どうしても生みたいと不妊症の人妻が人工受胎を考える執心ぶりである。そんなときの受胎は、ほんとに「生命の尊厳」という意味の何たるかを示す。  つまり私が思うに、女が生もうとみずから決意したとき、生命が生まれるのではないか、その判断と選択は女に任せてほしいものである。男にできることはどうせ、ヒトの素をふりかけること位である。  ズボンとスカート  風の強い日にロンドンブリッジを渡ってゆくミニスカート。しおらしく裾に手をそえてちょっとおさえていて、見あげる日本人、さすがはと感じ入ったら、スコットランドの兵隊だった、というのはよくある話である。  ミニスカートはすたれたというが、まだまだ全盛のつづきで、すっかり定着してしまった。その昔はやった、細長いタイトスカート、しばらく前に海外からリバイバルされて入ってきたが、そして若い子があわてて着ていたが、ミニを見なれた目には、何とも醜悪でグロテスクだった。  日本の女の子の大根足は、包むとよけい、目立つ。女の目から見ると(女の方が男よりキビシイ)ミニの方がはるかにいきいきと美しくて、脚に表情が出て、よい。私はタイトスカートの、ぴったり細くて、かつ長いのを見ると、戦後二十年代・三十年代の猥雑・窮迫を思い出してあんまり愉快でないのである。  若者は昔を知らないから、平気で、流行とあればとびつくが、ついでにいうと、若い男が折々、黄土色ともうぐいす色ともつかぬ色のスーツを着ている。あれは、昔の軍服・国民服の、国防色という色。  色も多くあるだろうに、選りにも選って、どうしてこんなすさまじい興ざめた色を着るのだ。いかに昔を知らないとて、あの色はおよそ美的感動から遠い。それも、昔の父っつぁんの服をひっぱり出して着てるならまだしも、ま新しい服地で仕立てたスーツなのだから、感無量というべく、何を考えとんのか、と思って、顔をしみじみ、見ずにいられない。  ああいうものを着ると、壇上で直立不動の姿勢をとり、 「エー、本日は、大詔奉戴日であります。未曾有《みぞう》の国難に当りまして、いよいよ、軍民一体となって撃ちてし止まんの信念に燃え……」  などといいとうならへんか。中年がアレルギーおこす色。  ところで、女の子のほうは、さすがに下痢患者の便のようなそんな色を身につける人はない。私は若い女の子のミニスカートや、華やかな色の服が大好きである。どんな醜女でも若い子のミニは可愛くってならない。それにミニをはくと、かえって膝がしらを開けないようで、長いス力ートほど、両膝が開くのである。——そんなことを、電車にのって考えていて、ハタ、と私は思いあたった。  どうして女はスカート、男はズボンをはくのかしら。  見よ。洋の東西を問わず、時を問わず、太古の昔から男はズボン、もしくはズボン様《よう》のもの、女はスカート、もしくはそれに類したものではないか(中にはギリシャ・ローマ時代の如く、スコットランド兵隊風や、寛衣もあるけれど)。日本の埴輪をみても、男はズボン、女は裳である。  男は狩猟したり戦争したりというご苦労なことが多いので、活動に便なるべく、足の分かれたものを穿《は》いているのであろう。  しかし、女はおもに巣の中でゴチャゴチャとうごめきまわっているのだから、ことさら活動的であらねばならぬ必要はない。  それより、美しくよそおいたいのは太古からの女の習性ゆえ、花を絞ってその汁を摺りつけて模様を描いたり、木の実をつぶして、染めたりして、布をいろどり、それを腰へまきつける。という仕儀になる。……なったのではあるまいか。 「まァ、それも、あるやろけど」  とカモカのおっちゃんはいった。 「スカートちゅうのは、これは、裾が広いわなあ、ズボンより」 「あたり前です」 「ズボンはまくれまへんが、スカートはまくれます」 「ですから風の吹く日は、プリーツスカートなど押さえてあるくのです」 「スカートはまくり、ズボンはおろすと。これはそれぞれ、両性の体の構造上から考えてあるのとちがいますか。女がズボン穿いてたとしたらおろしても役には立ちまへん。やっぱり、まくらんと便利わるい」  不便、といえばよいのに、わざわざ便利がわるい、というのは大阪弁の特徴である。 「男はそれにひきかえ、別に、まくらんでも用は足せます。ズボンをおろしたらええようにできてるのです。すべて構造上から、それぞれにふさわしい形ができ上がったのです」  こんなアホを相手にしていてはキリがないが、私は念を押した。 「では、下品に申しますと、女のスカートは、男がやりやすいためだというの?」 「さよう」  とおっちゃんは重々しくうなずく。 「では、女にスカートを穿かせたのは、男の陰謀なんですね」 「陰謀なんて、とんでもない……僕はむしろ、それを考えたのは女やと思いますな。女はチョコチョコとスカートの端をもち上げて男を挑発すべく、スカートを穿くようになったのです。だいたい、わるいことを考えるのは、いつも女や」 「そんな、そんなことをするもんですか、女から男を挑発などと。女はただただ、美しく装わんがためにスカートを用い出したのです。それだけよ。もし、構造上の必要からやったら、むしろ、女がズボンをはいたほうが、貞操を守る上で便利なのではないでしょうか。ズボンの方が、守りはかたいですからね」 「いや、むしろ、スカートをはいている方が、つつしみぶかく、あばれんようになります。活溌にあるくと風でまくれ上がるから、楚々と内股になったりしますな」 「それ、ごらんなさい。男はそうやって、女を屈従的につくり上げたんじゃありませんか、つまり、男の陰謀、男の圧制なのダ!」  カモカのおっちゃんは、私にくいさがられてうるさくなったとみえ、 「まあしかし、ホントいうと男がズボンをはき女がスカートをはくわけは、排便に便なるため、ということに尽きるんではないですかな。それこそ、女はスカートをまくりあげないと、ズボンはいてた日にゃそのたんびに、ズブぬれです」  酒 呑 童 子  中年とは何やろ、とカモカのおっちゃんと話していたら、 「ま、ひとことでいうたら、出口なし、という状況とちゃいまッか」  仕事。家庭。いろごと。趣味。金もうけ。子供。健康。酒。  みな、先はもう、知れてる、というのである。パイプというパイプはみなつまり、四方八方バカふさがりにふさがって、腸閉塞もいいとこ、 「どないしたって、これ以上、ええようになるとは思われへん、わが世の花ざかりも今がセイ一杯の頂上やないかと思うと、まさに出口もなく、手も足も出せないという状態」  ではないかというのだ。  人生中歳に達して、蒸発したり、あるいは転職、離婚などとたのしいクリーニングをやって、新人生にふみだす人はさておき、そうもできない中年たちは、出口のないところでうろうろしている、何かスカッとすることはないやろかと思わぬ日とてない、という……。  まるで私は、中年ではないかのような口吻であるが、中年は中年でも私は女、女はいろいろ発散の場があって、「出口なし」という感じはまだない。おしゃれ、買物(アユ一ぴき、大根一本だって買物の内だ)、人のワルクチ、新製品の台所用具、長電話、亭主をやりこめること、子供にウソつく、家具の配置がえ、友人の物書きに、彼の本の酷評が出た新聞・雑誌を、赤線引いて送りつける、することがいっぱいあって、出口はいろいろあり、この世はたのし、だ。 「いや、男の中年は、そう小廻りはきかない。もう、あきませんな。そやから、どうしたらスカッとするかをいつも考えます」  とカモカのおっちゃん。私、聞く。 「かんしゃく玉なんか、ダメですか?」 「そんなもんで追っつくもんか、それでは戦争ということになるが、いまどきみたいなボタン戦争では、欲求不満は解消しまへん、まァ一ばんええのは、大江山の酒呑《しゆてん》童子になりたい」 「シュテン童子」 「昔、丹波の大江山、鬼ども多くこもりいて……というアレです。山中ふかき所に巣くい、都に出ては金銀財宝、美女、くいものを掠めとってほしいままに狼藉をはたらく」 「なるほど」 「あれは男の——というより中年の——理想ですなあ。あの鬼になりたい。ところで、鬼は、大江山へ女をさらってきて、何をしたんでしょうか」 「炊事、洗濯させてたんでしょう。つまり、当番兵みたいなものとちがいますか」 「だまれ、カマトト」  しかし、私の読んだ小さい時の絵本には、そう書いてあったのです。山伏姿に化けた、源頼光ほか四天王のめんめんが、山中ふかくわけ入ると、谷川で若い女が泣きながら洗濯している、頼光が聞いてみると、 「それは、みやこからさらわれてきた、おひめさまでした。おひめさまは、まいにち、オニのために、せんたくやそうじをさせられて、しまいに、たべてしまわれるので、それがかなしくて、ないていたのです」  とある。子供の私は、お姫さまがなれぬ洗濯や掃除、炊事をするのは大変だろうといたく同情したのだ。その上、給金をくれるどころか食べられてはかなわない。 「食べたのは、ほんまかもしれまへん、しかし、食べるまえに、下ごしらえをしたと思いますなあ」  とおっちゃんはいう。 「下ごしらえ、といいますと」 「つまり、さらって来たのは、たぶん、お姫さまとあるからには、バージンでしょうな」 「かも、しれませんね」 「深窓の姫君の、美しくてかよわくてあでやかなところを料理します。料理もさせたではありましょうが、自分でも、ひととこ、ふたとこ、包丁入れて料理する」 「お姫さまを」 「お姫さまをです。つまり、あとで食うにしても、バージンというのはうまくないですな。妙に堅かったり、肉付きがうすかったりして、ダシかスープ用にしかならんのが多い、それではこまりますから、肉付きよくさせるために、うんと食わせ、その肉に旨味をつけるために、いろいろ調味料をふりかける。ふりかける際に、つまりこう、切れこみを入れたりしまして」 「どのへんに、ですか」 「知らんけど」 「そうして、おいしくさせといて、ほんとにあとで食べる……」 「さよう。考えただけでもナマツバが出ますなあ。わかい娘の、ですな。やわらかな肉、これはちと、まだ肉の旨味が足らんやろうというので、あちこちいじくって、旨味を増し、コリコリさせ、ワケ知りの、ええ味にしたところで、ガブッとくらいつく」 「キャッ!」 「どのへんから食うと思いますか」 「それは……胸肉ではありませんか」 「いや、それはあきまへん、やはり牛肉と同じで腰ですか。サーロインステーキ、もも、しり、いや女やから、サーや無《の》うてレディですな、下半身がおいしそうですな」 「焼くんですか、煮るんですか」 「こんがりと焼きますか、焼けるのを待って酒飲んでる気持は何ともいえまへんやろな、虎の皮のふんどしなんかして、歌うとうて——」 「七つボタンの予科練の歌なんか……」 「何で、大江山の酒呑童子が、予科練の歌うたうねん」 「しかし中年の鬼でしょう」 「中年でもいろいろある、昭和維新うたう奴もあるし、ああ紅の血は燃ゆる、いうのんうたう動員派の中年もいる、僕は九段の母うたう中年の鬼、よろしいか、都へ下りて気のむくままに逃げまどう若い女をひっつかまえ、山の中へさろうてきて切れこみ入れて料理して丸ごと焼いてガブッと食らいつく、ワー、たまらん、ああ、大江山の酒呑童子になりたいですなあ」  とおっちゃんはいい、私のご馳走した饅頭にガブッとくらいついたとたんに、ぽろりと歯が欠けた。惨たり、中年。  恐怖のゴキブリ  大地震、汚染魚、おそろしげな話で世間はもちきりである。  しかし、どういうことだ、私は性、劣悪なる故か、一向ぴんとこぬのだ。そういっても美しいニッポンの海をよごし、美味なニッポンの魚を汚した、そのバカさかげんに実に腹が立つのであるが、そういいながら、魚屋の店先で美しい新しい魚を見ると、どうやって料理しようかと思う、そしてついつい、食べてしまう。  だらしない。  大地震に至っては、少しも現実感がない。  対策も方策もない。バカではないかといわれるが、いくら一生けんめい考えても、どうしていいか、分らない。  大体、阪神間の天災は地震ではなく、台風、高潮、崖くずれ山くずれ、集中豪雨、鉄砲水なんてのが多いのだ。神戸などに至っては坂の町で、背後の六甲山系はもろいから、いったん鉄砲水に見舞われると、もう処置なしである。四十一年の七月豪雨など、一瞬のあいだに道路が激流に洗われ、あれよあれよというまに、自動車、コンクリートのゴミ箱、物置小屋が流されてしまった。その物置小屋に人が入ってたりしたのだ。ふつうの道路が激流になって家の前の道をゴボッゴボッと削ってゆくのである。下流では、ペンシルビルがとうとう倒壊してしまった。  そういうおそろしさは想像できる。また、大阪そだちの私は、関西風水害(昭和九年)の台風の恐ろしさも知っているのである。  しかし、大地震、ということになると、もうひとつぴんとこず、鉄砲水、風水害と共に、すべて、「大空襲」の記憶に集約されてしまう。  そうして、知る人ぞ知る、空襲というものはもう、逃げようのないものなのだ。  どこへ逃げても、ビュンビュンと風を切って焼夷弾が落ちてくる、落ちて燃える、それも黄燐焼夷弾といって消したと思ってもあとでチロチロ燃え出す奴。焼夷弾のあいまに爆弾が落ちる、これは家をこっぱみじんに粉砕してしまう。ヒューという音はかなり近いのであります、シュルシュル。これはネズミ花火ではない、爆弾の落ちる音が防空壕内でも聞こえちゃう、ズシーンとくるような地ひびき、バガーンと爆発、バラバラと壕の土がおちかかり、生き埋めになるんじゃないかと肝が冷えるのだ。  ビュンビュン、ヒュー、チロチロ、シュルシュル、バガーン。ドガーン、ザバーッ。  やっと音がやんで外へ出ると、目の前にあった家が火に包まれてる、憲兵はかねてこういうとき、ふみとどまって消火しろというが、消してる所ではない。波状攻撃があるのでうろうろしてると二波、三波とやってくる、壕内で土がバラバラ落ちてくると怖くて、もう二度と入れない、まあ、話せば長いことですが、こういう経験が骨身に染みますと、何を用意したって一緒ちゃうか、という気になる。小さい子供でもいれば未練執着があるだろうけれども、ウチのものどもはいずれも鬼をもひしぐ大供ばかり、庇護してもらいたいのは私の方だ。  よって、大地震に対する心がまえ、その備えを問われたって、何もないのである。ただ無力感があるばかり。  それよか、私がひたすら想像しておそろしいのは、むしろ、放射能や公害によって異常繁殖、異常成長した昆虫や小鳥が、人間をおそったらどうしようということだ。  ヒッチコックの「鳥」は、人間が鳥におそわれる恐怖映画だった。  SF映画には放射能でバカでかくなったアリが、人間を食べるのがあった。  アリならいいけど、ゴキブリが大きくなったらどうしようと考える。  考え出すとこわくて眠れない。  あんまりこわくて、寒いぼ立って、涙が出てくる。  地震も雷も火事も台風も、「さもあらん」という感じで対処できる。  それから、痴漢も殺人鬼も強姦魔も晴れ着魔も、「ああそうか」という感じで、よくわかる。  しかし、異常に大きくなったゴキブリは何としよう。コワーイ!  あのきらきら、ツヤツヤ光るおそろしい体が象ぐらいに大きくなって、貪欲な口をあけて人間をカリカリと噛んだら、どうするのだ。小高い山のてっぺんに立ち、見わたせばチャバネゴキブリの大群、ワサワサと押しよせてくるときの恐怖を何にたとえよう。  私は「日本沈没」ではないが、まっ先に、飛行機で逃げ出しちゃう。もう亭主も子供も親兄弟もない、カモカのおっちゃんが足にすがったとてハッタと蹴たおす。飛行機の運転手(もおかしいな、やっぱり、飛行士か)が、乗せる代りに私の貞操を要求したら、もちろんさし上げる。ゴキブリのおそろしさには代えられない。 「ゴキブリが象みたいに大きくなるとは、おせいさんもけったいなこと考えますなあ」  とカモカのおっちゃん、 「しかし、飛行場へいくまでに追いつかれて食われてしまえへんか、奴らは象とちごて動きが早い上に、羽がある」 「では家の戸じまりをしっかりして、雨戸もしめます」 「ゴキブリの歯にかかったら、カリカリと木ぐらいかじられてしまう。鉄でもかじるかもしれん」  ウームと私は考えた。  私は、ではこうする、誰かに電話する。呼んだら助けにきてくれそうな人。野坂昭如センセイは東京だから遠い、そうだ、小松チャンがいい。しかも小松左京氏は太ってる。電話で「早く来てェ。辛抱たまらん」というと何事ならん、と小松チャンは期待にみちて走ってくるね、これは。すると家の外にむらがってるジャンボゴキブリがたちまち小松チャンをカリカリたべる。あれは|たべで《ヽヽヽ》があるから、その間に私はスルリとぬけて逃げるのだ。 「その、逃げるとき何をもって逃げる?」  とカモカのおっちゃん。私はべつに何もない。どうしてか執着は何もない。こわいから逃げたいだけ。それぐらいこわい。——政府がゴキブリ対策をたてないのはじつに怠慢、けしからんと思う。と、力説する私におっちゃんはへんなことを感心していた。 「そうか、手ぶらで逃げるか、トルコ嬢と強盗と物書きは身一つで商《あきな》いするわけやな」  余  禄  信州・某寺のお戒壇めぐり、真ッ暗やみの中を一人ずつ手さぐりでソロソロあるくとき、奇妙に若い女が被害にあうからおかしい、という。  鼻をつままれてもわからぬ暗闇だから、若い女も年よりも中年も弁別できるはずないのに、若い女がゆくときまってスカートをまくられたり、どこかにさわられたりする。娘さんの一人は、パンティの中まで手を入れられたといって怒っていた。  同行の男性が、これはてっきり後続の参詣者の中に痴漢がいるのだと思い、階段の登り口で、とっちめてくれんと待ちかまえていると、出て来たのは婆さんの団体、口々に念仏を唱え、仏の功徳を念じつつ、お戒壇めぐりを終えた嬉しさに随喜の涙をうかべて上がってきた。婆さんがいまさらレズでもあるまいし、この際、娘さんのスカートをまくるとは考えられぬ。しかし上り口はひとところなのに、ついに痴漢らしきもの現われなかったよし、これ、某寺の七ふしぎの一。 「そら、下に寺僧か寺男かが居って、余禄に若い女にさわっとったんちゃいまッか」  とカモカのおっちゃんは見解をのべた。 「けど、そんな余禄は困るやないの、もしそうなら、寺当局に強う談じこんで、取締ってもらわな、あかんわ」  と私が憤慨するとおっちゃんは、 「いや、ひょっとしたら、寺の給料安いよって、なかば黙認の余禄かもしれへん。今日び、その位のことないと、人集まりまへんやろ、寺側の労働管理政策とちがいますか」  といった。  それで私は、余禄ということについて考えた。新聞にはよく悪徳警備員、悪徳警官などが万引きした女を取調べ、あるいは不問に付すと称して、ボディにタッチしたり、貞操を要求したり、などという不祥事件がのっているが、これも余禄であろうか。  いや、取調べと称してさわるぐらいまでは余禄であろうけれど、それ以上ゆきすぎて、脅迫するというのは職権濫用であろう。政治家や役人が、地位や特権を利用して私腹を肥やしたり私的利益を得るのは、これは職権濫用を更にゆきすぎて汚職というべく、悪事のスケールが大きい。  まあ、そういう悪徳官僚や悪徳政治家の不埒な悪業にくらべれば、信州某寺の寺男(にきめてしまっては気の毒であるが)の余禄などは、じつに庶民的でかわいらしい。  余禄というものを定義すると、つまり正当な報酬のほかに、そこから派生する特権的利益といったらいいであろうか。  では、物書きの余禄は何であろう?  流行歌手ならばファンの女の子をどうこうということもあるであろうが、なまじ物書き・文士は活字相手の商売だけに、週刊誌の広告、新聞の見出しの文字が、実際の行動より先に、あたまの中にすぐ浮かぶ。 「|あの《ヽヽ》佐藤愛子さんが男性ファンに暴行!」 「|あの《ヽヽ》野坂昭如センセイが女性ファンをホテルに監禁!」  などと反射的にひらめくわけだ。結果のわかってることに手を出す気になれない。……のではないかと思う。  また、物書きだからといって土地を安く買えることもなく、税金をまけられることもない。バーへ行けば人より多く勘定をとられ、交通事故をおこせば人より派手に報道され、いいことはちっともないのだ。 「そうかなあ、しかし『オレ、作家!』なんて偉ぶってるのも、あんがい、いるのんとちゃいますか、作家作家といばるな、作家。作家庶民のなれの果て」  とカモカのおっちゃんはいうが、私には、作家がそういばっているとは思えない。むしろ、物書きであることで損する場合が多い。  なかんずく私は、アンケートやコメントを求められるのはじつに困るのだ。「何々先生談」というのがピッタリ板について、世の指標、現代の良心のようなすばらしい意見を発表なさる作家もあるけれど、作家でさえあれば、猫も杓子も、世の中の方向指示器になれるわけではない。  なれない物書きもいるのだ。私なんかに「日本の行く道」「アジアにおける日本の責任」など聞いてもらってもしようがない。いや、何でもかまいません、思ったことをしゃべって下さいといわれるが、思ったことをしゃべると、カットされたりして、これはよほど方向ちがいのことをしゃべったのであるらしい。雑誌が見当ちがいのことをそのままのせてくれる度量があるならまだしも、カットするのは見当ちがいの意見まで消化しきれないからである。  それに色紙、これもそう、まずい字で書かされるのは拷問にひとしい。何でもいいから書いて下さいとある人にたのまれ、書いて渡したらいたく不興な顔をされた。  聞けば、新築の家に贈呈するつもりだったそう。  私は何と書いたか。 「すべってころんで火の車」  昔、正宗白鳥が、人に乞われて、 「日暮れて道遠し 白鳥」  と書いて与えた。その人はもうひどく困惑して、もじもじしたそうである。  聞けば新婚夫婦に贈呈するつもりだったそう、ほかにもっと景気のええ、おめでたい奴を、すんまへんが、たのみますわ、と白鳥にいって、白鳥大先生を怒らしたそう。  色紙を書かされることほど、憂く辛いことはない。中にはよろこんで書く作家もいようが、私なんか作家の余禄どころか、損くじも甚だしいと思う。  では、男の余禄、女の余禄は何であろうか?  私は女の余禄は子供だと思う。女は女の人生を生きてまだ子供を自分の味方につけ、自分の思うままにオモチャにできる。では男のそれは何か?  カモカのおっちゃんいわく、 「それは浮気でっしゃないか。男に生まれた余禄には、浮気できる、これは正当な報酬のほかに、そこから派生する特権的利益とちがいますか?」  私は思う、それは職権濫用の方である。いやむしろ、汚職というべきかもしれぬ。  男の特権を悪用して自分一個の私腹をこやすのが汚職でなくてなんであろうか。  暴 力 男  佐藤愛子チャンにいわせれば、私は男という男に無限の慈愛をそそぐ悲母観音のような心やさしき女、ということになっているが、それは、いとしい・あわれな・かばいたくなる・かわいそうな・いじらしい・ふびんな・見捨てられない・抱きとってなぐさめてやりたい、男に対してだけである。  さらにいえば、男にしろ、女にしろ、私のことを、人のいい女だ、やさしい女だ、あたたかい気だての女だ、とほめるのは、そういう彼ら彼女らが、人がよく、やさしく、あたたかい気立ての人間だからで、すべてそれらは、ご自分のよさの反映なのである。  私は、いい人に対しては、いい女になるのである(これで借りは返したゾ、イヒヒヒ)。  しかし男にもいろいろあり、どうしても私が悲母観音になれない男がいる。それは暴力男である。  尤もこの世は何事によらず力が行なわれ、たとえば私がこうやって駄文をつづり、江湖《せけん》の諸彦《みなさん》に訴える、これも一つの力であり、人によっては暴力と取る向きもあろう。  母親が子供に対して支配力をもつのは当然だが、それが暴走して猛烈な教育ママになると暴力である。そのあげく子供が悩んで自殺でもすると、すぐ新聞の投書などで、「あれは親がわるい、わが家の教育をみよ、これこの通り、子供はスクスクと国立一期を通った」と自慢するアホがおり、これも暴力。  官憲、政府の暴力的悪政はいわずもがな、汚染してあとしまつもしない大企業の暴力も更なり、核実験など、この世界的な公害さわぎの最中にやらかして、まあ何と周囲《はた》迷惑な、日本が抗議すると、「うるせえ。オレんとこばかりかよ」と逆ねじくらわせて抗議の抗議をする、いやな某大国の暴力。暴力のない世の中はない。  しかしことに私のきらいなのは、直接的な暴力男、大阪弁ではケガして出血したのを、 「血ィ出て身ィ見えたァる」  などと表現するが、こういう血みどろの暴力をふるう男は、どうしても好きになれない。  たとえば近頃だと国士館大の一部学生のように、徒党を組んで朝鮮人学生になぐりこむ、何の意味もなく電車の吊皮切ってまわるというような、あるいはちょっと前の東京農大のワンダーフォーゲル部で新入部員をしごき殺したような、または革マル、中核のせめぎあいでリンチ殺人するような、そういう「血ィ出て身ィ見えたァる」ような流血沙汰をおこす男を、私はふかく、にくみきらうものである。  私がこういうと、きまって男の中には「規模に於ては核実験の暴力の比ではない」と論評する向きがあるが、直接的暴力を許したら、もっと大きいあらゆる暴力を容認することになる。  また、流血の惨事をにくみきらうというと、すぐ男の中には、上流婦人の慈善事業さ、とせせら笑い、西洋農協風ヒューマニズムとうそぶく阿呆もあらん。しかし人間にとって「鉄の規律」や「民族の尊厳」は、「血ィが出て身ィが見えるようなケガ・殺人」より大切かどうか。 「血ィが出て身ィが見える」ほどして、獲得せねばならぬ価値あるものがあるか?  ない。  ないよ。ないんだよ。  国士館大の一部学生の民族派にしたって彼らは神州日本と思っているのかもしれないが、神州日本は昔から朝鮮半島とたのしく乱交混血あそばされていたのだ。帰化人は八方に散ってヤマトの血とまじりあい、溶けあった。モトをただせば民族派学生、右翼学生の血の中にも、新羅《しらぎ》、百済の血は混じっているので、今更、目くじらたててなぐりあいする場合とちがう。  血みどろさわぎの好きな暴力男というのは、性粗暴にして流言にまどわされやすく、自己陶酔に陥りやすく、懐疑ということを全く知らぬ井戸の中のカワズ、いかな気のよい悲母観音のおせいさんだとて、こういう手合にだけは、やさしい顔を見せていられない。  人をなぐったり、突いたり、刺したり、人の見る前でザクザクと電車の吊皮切ってまわったり(集団催眠にかかったような、デモの昂奮の中でならいざしらず)するのが平気な男に、人間としてのデリカシイがあろうとは決して思えない。  小説を書くという作業は、一つにはデリカシイのなさへの告発であるから、あえて、暴力男をにくみきらうと揚言せずにはいられない。  ついでにいうと、「血ィ出て身ィ見える」暴力は肉体だけでなく心にも加えられるのでこれが困る。デリカシイのなさでは同じだが、本人にはわからない。  公器を利して私怨を晴らすといわばいえ、私は十五、六年前、はじめて本を出版した。そのしばらくあとで、ある出版社の男にあうと、 「本出して、どこからか何か注文きましたか?」  とからかうように聞く。どこからも来ない旨、私はありのままにいうと、うす笑いして、 「あ、そうでしょうなあ」  と男は答え、これも考えるとヘンな言葉、私は乙女心を傷つけられたのであった。  またこの間、講演にいった先で、係りの男の一人、 「私はまだあなたの本を一冊も読んだことがない」  といい、それはかまわない、講師として招《よ》んでおいてもそういう人間は今日び多い。  しかしもう一人の男ときた日には、 「あなたは原稿が早いかおそいか」  ときく。私は自慢じゃないが、おそいのは横綱級である。  その旨、奉答すると、 「そうでしょうな。もしあれで早かったらおそろしいものだと思ったが」  といい、これもヘンな言葉で、よく考えると無礼である。  その上、彼はある女流評論家をほめちぎり、彼女の講演の一部を誦してみせ、 「いや実に、何の何子さんは才気かんぱつですなあ」  という、私はどんな顔してたらいいのだ。悲母観音も顔がこわばっちまうよ。こいつは女で苦労したことない人やなあ、とつくづく思わずにいられない。この程度の男で通るほど、くみしやすい女ばかりじゃないんだよ、世の中は。  すべて肉体的にしろ、精神的にしろ、暴力男はきらいだというのは、デリカシイのない男が女を愛せるわけはないからだ。暴力男たちが女を愛するときはどんな顔してるんだろうかと、つらつら考えてしまう。  ろ し ゅ つ  この頃のはやりに、「広辞苑」がよく出てくる。たいがい一冊の雑誌のどこか、新聞のどの面かには、ひとところはきっと、 「広辞苑によれば」「字引をみると」「字典にはこうある」  などと出てくる。  これは、たぶんこの頃の人が言葉に自信がないためだろう。ことばについてあやふやな認識しかないためにちがいない。それから、漠然とある語の意味を知っていても、それを言葉に定着したものではっきり読んで、安心させられたい、確信づけられたいと思うせいであろう。この「辞典によれば……」という流行は、私の見るところ、ここ一年ぐらい前から急に目につくようになった。  それから若い編集者が、よくこんな辞書を愛用していて、原稿のわからない言葉に出くわすと、字引と首っ引で考え、「このところの意味は辞典によるとちがいますね」という。  私は強情っぱりであるから、「ちゃう、ちゃう、その辞典まちごうとんねん!」と叫び、若い編集者は、この業《ごう》つく婆め、といいたげな顔であるが、辞典も、便利であるものの、万全を期しがたいところがある。  そういえば、昔風の硬骨の文士などといわれる方は、さすがに、「おのれ自身、辞典」との信念をゆるぎなく持っていられるせいか、「辞典によれば……」などとたよりなきことをいわれる方は少ないようである。  ところで私は、新村出氏編の「広辞苑」をもっているが、これは昼寝の枕ともなり、かつ消閑のこよなき友である。  辞典、言苑などというものは、急場に意味不明の語を忙しく指にツバつけてさがすのよりも、ひまつぶしにゆっくりあそぶためのものかもしれない。何も知らぬ編集者は三畳のわが書斎をのぞき、「やあ、暑いのにごくろうさま」などというが、何いうとんねん、私は辞典で遊んでることが多い。「へんたい」「せいこう」なんてとこを引っぱったりしますね。  誤解のないようにいうと、「へんたい」の欄で私は変体仮名について勉強していたのであり、「せいこう」では晴耕雨読について学んでいるのである。  次に「ろしゅつ」なんてとこを見る。これはむろん、写真術の用語のところを勉強するためにほかならぬ。しかしその欄についでに「ろしゅつしょう」についても言及してある。私は読みたくない、しかし書いてあるのだから、ついでに目がいく、これは仕方ない。 「露出症。精神の異常により恥部の露出を好む病症」  とある。  そこで私はまた「ちぶ」なんてところを見たりして、これはもう、時間がどんどん経つはずである。そうして、「ろしゅつしょう」を見ているうちに、ずっと昔、女専国文科の生徒だったころ、学校からほど遠からぬ閑静な住宅街の路上で、へんなおっさんを見たことも思いだす(と、こうやってそれからそれへと考えつづけ、ますます、時間がたつ)。  私はクラスメート四、五人と校門をうしろにスタスタ帰っていた。と、先をゆく二人のクラスメートが、顔色をかえてまわれ右して、あたふたとかけ戻ってきた。 「あかんわ、あの道いったらあかんわ」  と、クラス切っての愛くるしい美少女のマスモトさんがいった。 「いや、なんでやのん!?」 「何ででも、あかんわ、こっちから折れましょう!」  とマスモトさんは美しい頬を紅潮させて叫び、ワケのわからないみんなはうろうろしてまごついているうち、「あの道をいったらあかん」元兇の方が向うから近づいてきた。  クラスメートたちは私より目が迅《はや》かったとみえ、 「キャッ!」  と叫び、四方へクモの子をちらすように逃げた。  私はびっくりして、向うを見ると、その頃は爺さんに思えたが、今考えるに、四十なかばではなかろうか、背の低いがっちりした労働者風の男が、塀のかげに沿って、こっちへ歩いてくる。ちょっと立ち止まり、何をしているのだか、よくわからない。ともかく足をひろげて立ち止まっている。私は一生けんめい、目を凝らした。  おっさんは何だか非常にだらしない恰好をしていた、というのが第一印象である。足のところにズボンをずりおろしているような感じであるが、それもよく見ないからわからない。  そうして、体のまん中にいやに赤い非常に大きな腫瘍《でんぼ》のごときものがあって、私は尚よく見ようと前へゆきかけたら、 「あほやね!」  とマスモトさんに、ぐい! とひっぱられた。そうしてみんなで横丁へ折れて走った。  私はそのとき十六ぐらいで、早生まれの上に女学校四年修了で女専へ入学したからクラス中最年少である。ほかの友人は十八、十九、中に地方から来て予科へ入っていた人はハタチなんてお姉さまもいるから、事態を明確に把握していたのかもしれないが、私は(誓っていうが)ほんの子供で、何が何やらさっぱりわからない、しかしながら、この白日のもとありうべからざる現象であるという認識だけはあって、しかし、マサカ、ソレとは思えない、人間、それもオトナがそんなことをするとは思えない、あれはデンボ、巨大なオデキにちがいない、しかし、それにしてもヘンである、と、あたまが禿げるほど考えていた。そのよこでお姉さまたちは、 「アー、胸がドキドキした!」 「やァねえ……先生にいう?」 「あたし、絶対、よういわん」  などと昂奮してさえずり交わしていた。 「あれは病気ね」 「そうよ、病人よ、あれは」  とお姉さまたちがいうのを聞いて私は心中、さもあらんと納得していた。病気で、どこかを腫《は》らしているのだ、そうだ、病人なのだ、気の毒に、とすましていた。それにしてもイタイタしい腫瘍である、と私はいたく同情した。でも、どこかヘンだと思ったからだろう、いつまでもこうやっておぼえている所をみると。そうして、年をへて辞典など繰っている内に、やっとばっちり、言葉と事態がきまり、かくてあのおっさんこそ露出症であるとわがうちに定着するのである。  炊きころび  私がテレビを見てもらい泣きせずにいられぬのは、蒸発した妻に、涙と共に呼びかける夫を見たときである。 「×子、帰ってくれ……」  と叫ぶ夫の頬は、涙にぬれてくしゃくしゃにゆがみ、手をひかれた子供たちまでつれ泣きしてワンワン泣く。まして夫の背に負われた幼児はそっくり返って泣き叫ぶ。夫はそれをゆすりあげつつ、 「一日も早く、この子たちのために帰ってくれ……」  と哀切な声をふりしぼる。佐藤愛子チャンが何といおうと、もらい泣きせずにはいられないのだ、私は。  男だからかわいそうなのだ。かよわい男をこうまで苦しめて、女として無責任ではないか、という気がするからだ。男というものは女に逃げられると、とくに小さい子供でももっていると、もうその日から生活無能力者、要保護家庭、早くいえばお手上げなのである。  反対に、妻が夫の蒸発を訴えるのは、私は、女一匹、めめしいことをいうな、といらいらする。逃げた男など、こっちから抛《ほう》り出してしまえ、しっかりせい、といいたくなる。  そして妻の場合はおおむね、男を詰《なじ》る口吻になるのに共通の特徴があるようだ。 「それで父親としての責任が果せますか!」  と声涙ともにくだり、叱咤しているのが多い。そこが、妻に蒸発された夫とちがう。夫の場合はひたすら泣訴《きゆうそ》哀願している型が多い。  ところで、蒸発した妻のうしろに手に手をとって共に逃げている男が多いのも、私には感慨がある。これも当節の流行である。  家出妻の特徴を問われて、夫は涙をふきふき、 「エー、ヘソの下に傷があります」  などといっているのも夫ならではの観察、更に、相手の男の特徴は何かありますかときかれて、洟《はな》をすすり上げつつ、 「鼻が大きいのが目立ちます」  などというのも、へんなかんじ。  それはさておき、私のいいたいのは、蒸発というが、これはつまり、かけおちということではないか、と気付いたのだ。今風に新しい言葉で蒸発などというからややこしい、かけおちといってくれればわかりやすい。いずれも同じようなものであるものの、蒸発の方が何やら高尚にひびく。未婚の母の子という方が、私生児というよりハイカラなのと同じだろう。  それにしても、言い方が変るだけで、昔も今も同じことをしているのだなあ、とつくづく思わずにいられない。夫が子供の手をひき、妻よ帰ってくれ、と涙ながらに訴える、それはいかにも当世風ではあるものの、本来は昔からあったことで、人間のすることはちっとも変っていない。  同棲だって何も珍しいことではなく、私は女学生時代に、先生から、さもさも人類の一大禁忌、耳にするも口に上せるもはばかられるような物々しい勿体ぶりで、「野合」なんて言葉を教わった。「私通」ということばもある。世間のオトナはもっと簡便に、「くっつく」といった。つまり、そういうことで、同棲なんて、結婚制度と同じほど古くからある。目くじらたてて若い者が新しがることとちがう。  このごろの若い人が、三人で住む、なんてことを言い出す。  男二人に女一人、(この反対はあんまりきかない)適当に性をたのしみ、生活を安上りにして、新しい生活形態、結婚のタイプといったりするが、これも、「相持ち妻」というのが昔はあったらしい。「明治・大正・昭和世相史」(加太こうじ、加藤秀俊、岩崎爾郎、後藤総一郎編)という本にのっているが、遠州はH村に住む五平氏(四十一歳)、ヤモメで、後妻をさがしていた。  仲介する人があってU村のミワ(三十五歳)なる婦人と婚約、めでたく結納まで取り交わした。  ところがミワさんはH村の太吉(四十五歳)とかねて密通して夫婦約束を交わしておった。おさまらぬのは太吉氏である。仲人にねじこんだ。仲人は困って双方相談の末、やがて、妙案を考えた。 「今より二人相持ちとして、上十五日は五平殿とし、下十五日は太吉殿とし、もし妊娠して子の生まれたる時はどちらでもその顔の似たる方を父とし、ミワに似たる時は二人にて養育しては如何」  というのである。五平氏も太吉氏も、うなずいて、 「それはよかろう」  と了見したのである。  五平氏・ミワさんはめでたく式をあげ、太吉氏もそれに列席した。  しかし、五平氏はよくよく考えてみて、どうも自分はソンではないかと思い出した。  というのは、最初、自分の方へとったのはよかったが、大の月は太吉の方が一日多くなる。  これは公平ではない。太吉の奴、それを見こして、下十五日をとったにちがいない。そう思うといてもたってもいられない。その夜さっそく、二時ごろ、五平氏は太吉氏の家の戸を叩き、 「大の月は一日少ないから、半月交代の約束は破談にしてほしい」  と申し出たのである。太吉氏は笑って、 「しかし、ミワ女は下十五日のうちいつも差支えがある」  これは考えなんだ。五平氏は頭をかき、 「そんなら原案のようにすべい」  と帰ったというので、この「原案」という言葉が、明治初年らしくていい。  だから「相持ち妻」というのも、べつにいまの流行、産物ではなく、「天《あめ》が下に新しきものなし」である。  主婦という語は、いつごろからのものか、私には、明治のはじめにあったといわれる、「炊きころび」という語は、実に象徴的に思われるのである。  これは女中と妾をかねたるものといわれ、文字通り、台所仕事をしてころぶ、ミもフタもないいい方であるが、「炊きころび」は一カ月三円から五円の給金だったという。別に私は、主婦が「炊きころび」だとはいわない。しかし主婦のはしくれとして「炊きころび」という語はじつに身にしみるのである。それ以外の仕事は何もないやないか、と古人の適切な言葉づかいに感じ入るばかりである。  チチ・ツツいじり  夏に弱い私は、今や、気息えんえん、といった状態である。地球は冷えるというが、私の感じでは年々暑くなっている。或いは、年とるに従い、体力消耗して、暑さがひときわこたえるせいか。こういうときに、犬養道子氏「ラインの河辺」——ドイツ便り——などを読んでごらんなさい、徹底的にぶちのめされて、二度と起てない思いがするよ。犬養氏は、声をからし言葉をつくして、日本人がいかにダメな人間であるか、日本文化がいかにまがいものであるか、を叫喚していられる。こっちはしまいにやけくそになって尻をまくって居直り、 「それほどヨーロッパがえらいのかよ! ヒットラーもドイツ人とちゃいますか!」  とふてくされたくなるような、ふしぎな本である。私は中年者が住みやすいという点でヨーロッパにあこがれてる人間ではあるが、それでもこうすさまじく日本をこきおろし、ドイツ(ヨーロッパ)をあがめられると、あさはかな大衆の一人として反撥してしまう。まあ、この本を読んでごらんなさい。よけい暑くなるから。  それはさておき、暑さしのぎに扇風機をかけたり、冷たいものを飲んだりするが、どうも、こういう小道具は、昔ながらのものがなつかしい。  たとえばコーラ。私は、これも、昔のラムネがよろしい。氷(割り氷でなく、三貫目ぐらいの大きなもの)の上にラムネの瓶を並べ、ゴロゴロ手で動かして冷やし、 「ゴロゴロラムネ! 冷《ひ》やっこい、冷やっこい!」  と上半身ハダカで、毛糸の腹巻きをしたおっさん、或いは、上半身チヂミの襦袢《じゆばん》、下は腰巻のおばはんが、塩辛声で叫んでいた、ラムネがなつかしい。ラムネの瓶は、ガラス玉が瓶の栓になっていて、ポン! とあくとシュッ! と泡が立ち、ガラス玉は瓶のまん中のくびれにおさまって、ラムネを飲みつつ、みんな哲学的な顔つきで、折々、その玉をじっとみつめる。この玉を取る法を発明したら、博士号をもらえるのんちゃうか、などと、ヒンガラ目になってじーッとながめ入ったりしてるわけだ。  あの青いガラスの瓶はたいそう分厚く、口あたりのごつい割りに、中の味は淡泊ですがすがしく、一名「胸すかし」というも|うべ《ヽヽ》なる哉《かな》、薬くさいコカ・コーラなんどとは、くらべものにならぬ。  夏の夕の風物詩として「浪曲」がある。私の子供のころ、祖父はステテコ一丁で、灯を消した奥座敷に寝そべり、団扇《うちわ》を使いつつ、ラジオの浪曲に耳をかたむけていた。  浪曲というと、私は夏にぴったりする感じである。これも今の若い人にはあんがい、うけていて、大阪のラジオ局なんか、聴取率がとても高いのである。じっときいてると実に面白い、一人で何役も語り分けたりしちゃって、それに文句がとてもいい。 「情け有馬の姫小松」  だの、 「ほろり涙のこぼれ梅」  なんて、日本語の精華みたいな言葉づかい、それに登場人物も、善玉悪玉ハッキリしてて、わかりやすくて興味しんしん。ヤングにはきっと、「声の劇画」としてうけとられているのであろう。  スダレもいい。ただし、ほんとのスダレ。青や緑のビニールスダレはこまる。昔は、八百屋など、よしずを使って日ざしを避けるチエもよかった。いまはテントだけれど、よしずをたてかける方がひんやりすずしく、テントよりも日をさえぎる効果は大であった。  また朝夕、昔の大阪の路地で打水をする。ゴムホースなぞでまいてる人はなく、ブリキのバケツにブリキの柄杓《ひしやく》で、下駄をぬらしてまく。  夕立がくると、「ああ、ええあんばいや」と打水がわりになったのを喜ぶ。大雨のあとはどの家の軒にも、キュッキュッと洗われた下駄が干され、爪革《つまかわ》も、きれいに拭われて干されてある。昔の女の手仕事はきめがこまかかった。  赤ちゃんは金太郎みたいな腹がけに、おしめカバー、体にはコテンコテンに白い天花粉をまぶされ、見るからに涼しげで、胎毒というか、|クサ《ヽヽ》を出している子供は、奇応丸なんか飲まされてる。  すこし涼風の立つ夕方は、赤ちゃんは黒衿のついた絽《ろ》の、袖なしの甚平サンを着せられたりする。  この甚平は、大人も愛用していた。このごろは、甚平の便利さに気付いたとみえて、デパートでも売り出すようになったが、男たちは下はステテコ、上はチジミの甚平など着ていたものだ。袖なしも袖ありも両方、前がはだけぬように紐で結び合せるようになっていて、見るからに涼しげで、その恰好で、カンカン帽をかぶって他出するおっさんもあった。  甚平は甚兵衛から来たのであろうか。甚兵衛というのは江戸時代のスラングでは、甚《ヽ》張りのことで、甚《ヽ》張りというのは、つまり腎張り、腎虚の反対である。腎虚というのは男性の精気が消失したことであるから、腎張りは、反対に、精気充溢していることをさす。  カモカのおっちゃんは、 「陣羽織というのはこのことから来る」  などというが、これはあやしい。私の思うに甚平は、腎張リストが、好んで愛用したからではないか。精気横溢して暑気たえがたきまま、涼しげなホームウエアを考案したのかもしれぬ。  朝顔づくり。これも夏らしくよいもの、早朝の朝顔のかずをかぞえるのは、子供の頃のたのしみの一つであった。 「いや、朝顔に限らす、昔はみな土いじりをしてたのしんだものです」  とおっちゃんはいい、居合せた老紳士、ふかくうなずき、 「さよう、年とるに従ってチチいじりが好きになります」  同じく居合せた老婦人も同意し、 「ほんまに、ツツいじりしてると元気が出て長生きできる気がしまんなあ」 「気が若うなりましてな。いや、チチいじりはやめられまへん」 「朝起きるとすぐ、ツツいじりしてますわ」  老紳士、老婦人、しごくご機嫌なのであるが、私とカモカのおっちゃんは顔見合せ、 「発音を、はっきりしてもらわんと、なあ」  と、ヘンな気になったことであった。  女 の 推 理 「ラインの河辺」という本のことでいい落したから付記しておく。私はこの本の内容はあげつらったけれども、作者の犬養道子氏が、きびしい日本批判をされることに反対するものではない。「わがものと思えば軽し笠の雪」、という気はたしかにあって、日本人なら誰しも日本を悪くいわれると、いい気はしないが、しかし「いう人間がいる」「いわせる社会である」ということは、めでたいことである。犬養氏は更に手きびしい日本批判を重ね、日本人を啓蒙、挑発されるがよい。もしそれについて、偏狭なる民族主義者らが妨害せんとするか、不肖、私は一命に代えても犬養氏と、その著書の出版社を守り、支援する決心である。——何もそう、気張っていうことはないのだが、一旦緩急あると、つい声がうわずってしまうのは、戦中派ニンゲンの悲しき性《さが》である。  とはいえ、文章というものは、人間の性格が出ますなあ。  手きびしいことを書いても、ふんわりと残り香が漂ってくるようなのもあるんですがね。  それはともかく、このところ私は推理小説に心を奪われ、原稿がおくれているのに、読み出すとおもしろくてやめられなかったりする、そうなると、人に話したくなるのは人情である。 「この小説は、はじめから犯人が割れていまして……」  とカモカのおっちゃんに話して聞かすと、 「ハハァ、犯人は女ですな」 「イイエ、ちがいます。どうしてですか?」 「いや、割れとる、いうたやないか」  私は舌打ちする。こんなおっちゃんに合の手を入れられては、話が進まない。  それにしても、推理小説はうまく考えられてあると、心から感心する。ともかく、毎度アイデアがいるのだ。それは普通の小説も同じであるが、小説によっては、中途はんぱで切って、あとは読者の想像に任すということがある。しかし推理小説は、犯人が出てこなければいけないのだ。しかも、わるいヤツがわるいことをして怪人二十面相のごとくマントをうちひろげ、カンラカンラと笑いながら競技館のドームから天空たかく逃げてしまったりしてはこまる。  やっぱり名探偵か、名刑事に、のがれぬ証拠をつきつけられ、いいひらきのすべもなく追いつめられ、ガクッと首うなだれる、或いはやにわに、隠しもったピストルで自分のあたまを射って罪のつぐないをする、というふうでないと、道徳倫理的観念からも許しがたい。私はマカロニウエスタンが大きらいな女である。むやみやたらと人を殺す奴が、のうのうと生きのびて酒壜をラッパ飲みしているなんてのは、あまりいい気持がしない。だから、推理小説も犯人はかならず、あがらねばならぬ。そこがむつかしい。  とても、私のような粗雑なあたまでは、殺人の仕組み、アリバイ作りのアイデアなど考えられもしない。推理作家のあたまの中はどういう緻密な構造になっているのだろうと感心する。  ふつうの小説の原稿料に、プラス「アイデア料」が要るのではあるまいか。もらってもしかるべきである。私は陳舜臣氏にそう進言したが、さすが紳士の陳さんはにこにこされただけで、 「そら、もらうべきや」  とはいわれなかった。しかし、 「そんなん要らん」  とも、いわれなかった。  推理作家に女流が少ないということはよくいわれるが、女性は推理能力に於て、男性に劣るからであろうか。  私も書いてみたいが、もし書くとすれば、愛情に関する推理である。女は金もうけも仕事の欲も、ないではないがあまり強くなく、その代り、いったん、コト愛憎をめぐっての感情のもつれになると、すさまじくなる。  そうなると平気で殺人し、それを糊塗するために工作しようとし、綿密周到な計画をめぐらすかもしれない。女性が犯人の場合、たいてい愛情問題が原因である。夫の浮気を推理する時のすさまじいカンの冴えなど、じつに推理小説に打ってつけではないか。私は、もし推理小説を書くとすれば、浮気発見推理でいくつもりである。  カモカのおっちゃんは笑い、 「そういうけど、女というもんはえてして、自分のカンがはずれとる、とは思いまへんなあ——全然、見当ちがいのことを、かたく信じこんで、男がいいわけしても聞かばこそ、いったん思いこむと、もう誰が何というても変えへん。これもこまります」  しかしこういうのもあるのだ。  私の知人の女性(これは私と同年である)、何の気なしに夫の手帖をのぞいていたら、名前の書いてない電話番号が一つだけあったそうだ。  何の予備知識も先入観もないのに、ドキン! ときたそうである。  その局番から推して、だいたいの土地勘を働かせ、あれかこれか考えているうち、ふと夫が修理と称して、その方面へしばしば出かけることを思い出した。夫は電気器具商である。そこで二つの点がピッタリ結びついたそう。  電話してみたら女の声で「もしもし」といった。若い女らしい。 「○○がいってます?」  と夫の名をいうと、ギョッとした感じで一瞬、間があったそう、あわてふためいて、 「ちがいます」  といって切ったが、ふつうのまちがい電話の感じではなかった、といっていた。  これも、カモカのおっちゃんにいわせると、タダのマチガイ電話で、女性が一瞬つまったのは、饅頭か餅菓子をちょうど食べていてのどへつめたにちがいないという、そんな、ええかげんなカンや推理では、とてものことに小説など仕立てられないというのである。ではどういう方向の題材だと、女流の手に負う範囲の推理小説がかけるであろうか。この際よんどころない、私は辞を低くして聞いたのである。カモカのおっちゃんにいわせると、それは女体自身であるそうな。これは前人未到の分野で、推理の余地が一杯ある。 「たとえば?」 「たとえば、——かねての疑問ですが——女性の体は、強姦の時にもおつゆが出るかどうか、などというナゾですなあ。女体はナゾにみちていますからなあ。何ぼでも推理小説のタネはありまっしゃないか」  遊 び 半 分  暑いから犯罪もうなぎのぼりにふえている。私は関西の暑気のたえがたさというものは日本一ではないかと思ったりするが、暑さでカッとなり、口論から刺殺、なんていう新聞の社会面の記事を見ると、関西在住庶民は、罪一等を減じてもらわねばいかんような気がする。  軽井沢あたりでのケンカ口論、殺人と同一にならない。  夕方の「夕凪《ゆうなぎ》」、夜の蒸し暑さ、ヌルマ湯の中にじっと浸っている如く、これはもう知らぬ人にはいってもムダ、知る人にはいうまでもない、と「オリンポスの果実」のボート漕ぎの辛さのような文句をいいたくもなるのだ。  まあ、場所によって罪の軽重を問われるとなると、これからは重罪犯人がみな夏の関西へ集まって来て、計画的にやらかしたりするから面倒であるが、殺人の動機ということになると、これもいろいろ、情状酌量の余地があるように思う。  私は、人殺しは重罪といい条、痴情のもつれ、色のもめごとのあげくのそれは、ふつうの殺人と区別すべきような気がする。  たとえば西洋でいうと、「カルメン」の恋人のドン・ホセ氏、日本でならさしずめ、阿部定女史の如き、これは、強盗殺人や営利誘拐殺人と同一次元で論じられない。それではあまりに可哀そうである。おのおのの「家庭の事情」や「一身上の都合」があり、他人がクチバシを入れられないこともあって、 「裁判長は関係おまへんやろ、こらワテとカルメンの間のことだけだす。何ぼいうてもわからしまへんやろ」  などと、ドン・ホセ氏に開き直られると、お手上げである。故にドン・ホセ氏が処刑されたのは、カルメン殺しよりも、その他に犯した数々の強盗、追剥ぎ、殺人の罪によってであったのである。  しかし、そういう痴情のもつれが他人への八つ当りとなって、花の吉原であばれまわって多数の無関係な罪なき衆を殺傷、ということになれば、これはまた別。  さらに、「どうせこの世は色と金」というように、色と物欲はからみ合いやすく、どこまでが色でどこまでが物欲と判断しにくい場合があろう。  裁判官に、そこの仕分けをじっくりさせてると、いつまでたっても事件が片付かなくなったりして、ややこしい。物欲のために共犯同士が、色で以て結束するということもあるだろうし。  私は、現行よりもっと重罪にしてもいいんじゃないかと思うのは、結婚詐欺である。  こういう詐欺は、むしろ殺人と同じであって、人間の心や期待、願望、夢を弄んだという点で、許しがたい罪である。死刑も場合によってはやむをえないところである。私は裏切り、ということは、人間の罪の中でたいへん重い方だと思うものである。  しかし、これが中には、結婚詐欺で、身ぐるみはがれていながら、尚かつ、 「あの人はとてもいい人でした」  と弁護する女もおり、かつ、 「ホカの人のはみな詐欺かもしれません。でも、私の場合はほんとなんです。彼が出所してきたら、結婚するんです」  とかたく信じこんでいる女が、たいてい数人、詐欺男のまわりにいるもので、これもむつかしく、ややこしい問題である。  詐欺男にいわせれば、「結婚の夢を売ってやり、その代金をもらったのだ」としゃあしゃあというかもしれず、私は被害女性たちから、 「よけいな口を出さんといてちょうだい!」  と叱られるかもしれない。  これも強姦と同じで、被害者が自分で被害を感じたときに犯罪が成立するのかもしれない。男と女の犯罪というのはこみ入った部分が多い。  この頃はしかし、女の犯罪人がふえたのも注目すべき事実である。  この間、新聞に外国の話だが、女強盗の話がのっていた。  独り住みの老婦人が、貴金属や家具を売って老後の生活資金にあてたいと思い、新聞に広告を出した。  女の声で電話の引き合いがあった。上品そうな感じだったので、老婦人は、自分のアドレスを教え、時間を約した。  約束の時間に女が訪れた。四人づれの女たちで、みな若く、マトモで上品な、婦人に見えたから、老婦人は喜んで部屋へ招じ入れ、売却予定の品々を見せていたところ、女客はやにわに強盗に変じ、老婦人を縛りあげて、貴金属や家財道具一切をはこび出してしまったというのである。  私は、ふしぎでならなかった。  男の強盗なら話がわかる。  何となれば、男は、せっぱつまったら強盗ぐらいしかすることがない。食べられなくなれば強盗が一ばん早道であろう。男は、色ざかりというか、まだ若くて、幸い美貌に恵まれていれば身を売ることもできようし、歌がうまいとか、何か才能があれば生きてもゆけようが、取得のない最大多数の男がせっぱつまれば強盗あるのみである。ヨワイ中年に達したうす汚ない丸腰の男がホストクラブへ入るわけにもいかないだろうではないか。強盗しても私は同情できると思う。しかし女はどうか。  女にすたりものなしというが、強盗しなくても食べていけるはずである。よくせき、こまれば、人さまのものを奪うより、自分のもってるものを売る方が早いわけで、たいがいの女、最後に考えるのはそのことだろうと思われる。それをどうして、四人もの女が強盗するのだろうか。 「それはですな、遊び半分にやっとるんですわ」  というカモカのおっちゃんの見解である。つまり彼女らは、可能性の限界をためしているのだという。私はそういう犯罪は許せない、ぎりぎりせっぱつまったあげくの犯行というのならともかく、遊び半分の女強盗はいけない、余裕のある犯罪など、重罪に処すべきである! 「まあまあ、そう赤眼吊っていいなさんな」  とカモカのおっちゃんは私をなだめ、 「ほんまいうと世の亭主という亭主、みな女房の遊び半分の態度に腹を据えかねとるのです。何ですか、あのときの態度。横目でハナウタうとうてテレビ見て。強盗どころが何やといいたい」  二 号 は ん  この頃ウチの家政婦サンはお休みである。娘さんの出産とかで二週間休んでいる。当節は家政婦の代りもなく、誰も|来て《ヽヽ》がない。子供は夏休みで三度三度、ガン首そろえるから食事の支度をせねばならぬ。亭主は暑気あたりと称して、何かと用をいいつけ、手をとる。まあ、年が年でございますから、あっちの用はもはやご用ずみで、おしとねすべりというところであるが、暑いから煽《あお》げの、肩を叩けの、水をくんでこいの、首を揉めのと、うるさくてしかたない。背中を叩きながら、私はアカンベーをしてやるのだ。イヒヒヒ。  私には毎日原稿をとりにくる所があり、毎週、原稿を送るべき所があり、毎月、送るべき所もあるのだ。これでは、舞いが舞わない。いかがすべき。私はつくづく考え、カモカのおっちゃんに聞いてみた。 「二号はんはどうかしら、ウチの亭主にもたせて、少なくとも、亭主の用だけでも弁じさせれば、こっちは手がすくけどね」 「さァ、たいていのとこ、もう、めんどくさいのちゃいまッか」  と、おっちゃんはいう。いまやもう、大方の男性、二号三号なんぞ、考えるだけでも「しんどい」「じゃまくさい」という。女をまとめて二、三人面倒みようなんていう器量がなくなってしまったのか。  それで、一夫一婦制というものについて私は考えたのである。  この制度はめんどくさがりの人間のためのものではないか。  女性を法的に守るため、はたまた人倫の大道、なんどという正門の方のお堅い論理はさておき、どうも裏門あたりの実情を探ると、イロイロとりかえるのは腰重いという、体力気力(経済力も)ともにシケた人間のためにあるのではないかと、愚考するものだ。 「いや、一夫一婦は人間の本能ですぞ」  などと、カモカのおっちゃんはごまかしているが、どうだか。女たちのワイワイガヤガヤ、一号二号三号が反目嫉視、ツノつきあいする煩雑さに堪えるだけの太っぱらな男は、現代にはいなくなってしまった、ということだろう。一人でももてあましてるのに。  私などのように仕事をもっている女からみると、二号三号といてくれると、業務分担してもらえて、実に楽である。子供好きな二号はんは託児所、保育園の園長ともいうべく、いろけ専門の三号はんは旦那の世話にかかりきり、洗濯、掃除の好きな四号はん、縫物は何でもこなすという五号はん、而して一号はんは、総務部長兼経理部長というべく、では私はどこへいくかというと、そのどれにもあてはまらない、しかたないから零号になる。零号は、経済的におせわにならない代りあちこちの零号を兼ねたりして、これはバラエティがあってたのしいことであろう。しかし考えてみると、カモカのおっちゃんではないが、私も面倒である、しんどい。やはり一夫一婦は、そういうイザコザに面倒になった人が、考え出したことにちがいない。  私はかねて疑問に思うのであるが、二号という言葉は、どのころから出てきたのであろう。昔は、権妻《ごんさい》という言葉があった。  これは明治大官ふうで、たいてい国許に本妻がいて、新都の東京に、権妻を置いたりしている。  もっと昔は、やはり、妾であろう。大阪では、めかけとよばず、「てかけ」などとよぶ。手を掛けるから、めかけがてかけになったのであろうか。私の曾祖母など、「ドコソコのてかけはん」とよんでいた。それを聞くたびに子供の私は、何か、手長ザルのような連想をもった。そうして、「孫の手」のような手で、人の肩に手をかけている恰好を想像した。  てかけは古い言葉で、西鶴の「好色一代男」にもあるのである。カモカのおっちゃんは、 「てかけがあって足かけがないのはけったいな話ですな。語義からいうと、足かけがまっとうな気がしますが」 「うるさい!」  妾は、武家方では「ご愛妾」などと使ったりしていて、お部屋さま、などという言葉も小説に出てくるが、これに洋の字をつけて洋妾、となると、らしゃめんと読む。異人あいての妾で、明治開化期の弁玉という歌人の歌には、「羅紗綿」などと書いてある。しかし第二次大戦後には、ラシャメンがたくさん出たのに、これはなぜか「パンパン」とよんだ。  二号はんにも、素人の二号はんと、玄人の二号はんがあるが、玄人の二号はんの話というのはじつに、あっけらかんとして面白いのである。  本宅は本宅、二号宅は二号宅とちゃんと分けていて、そこの所を混乱したりしない。あわよくば、ということは考えてない。  彼女らは子供を生んでも、聞いていると、まるで自分一人で生んだみたいに思っているのでおかしい。  二号はんの子はみな、自分とこはふつうでヨソがおかしい、と思っているそうである。 「ヨソはいつも、お父さん帰ったはる。だいぶナマケモノのお父さんやねんな」  と子供心に思ったりしているという。その二号はんは、ウチのお父さん忙しよって、いつも会社に泊って仕事してはるさかい、家へ帰るひまあらへんねん、と教えているそう。  また、ある子は、同じ二号はん同士の家のさまをつらつら見ていうよう、 「あそこはどうもおかしい。二号はんちゃうか。外国ゆきの船に乗ったはる、いうけど、見たことあらへんもん。それに、男の人の着物もあらへんし」  などという。それを聞いた二号はん、あわてて古着屋で男のもん買《こ》うてきました、といっていた。  また、ある二号はんの所では、子供が、 「お母ちゃん、もしかしたら、だまされてんのんちゃうか、二号はんとちゃうか」  と真剣に心配したそう。しかし、よくしたもので、そういう色まちの子供はいつとなく感得し、 「お母ちゃん二号はんやってんてなあ、テレビで見たら二号はんいうたら綺麗な人やのに、お母ちゃんみたいなぶさいくなんもおるのんか」  とふしぎがったそう。それにしても、二号といって次号といわぬのはなぜであろう? カモカのおっちゃんにいわせると、 「次号完結、というふうに、どうも次号やと、打ちどまり、という気がするからですなあ。二号やと、三号四号もてそうな期待がうまれます」  マジメ人間 「女の長風呂」について投書がくるのを拝見すると、ファンというより、ヒイキ、という方が多くてうれしいが、更にそれを上回って多いのは弾劾、告発、憤懣《ふんまん》に堪えん、という手紙である。 「女のくせにエッチだ」  というのもあるが、私は別にそうは思えないんですがね。野坂昭如センセイも、「長風呂」はべつに「エロチック・エッセー」というほどのエッチなもんでなく、二つ年上のお姉さまが煮《た》いた高野豆腐と椎茸の煮しめの味がするといわれた。  つまり、家庭惣菜風である。とてものことにエッチなんて高級なことは書けない。 「卑しい」  というのもあるが、卑しいのは卑しい心で読むからで、こういう人は「むっつりSUKEBE」という。 「もっとマジメにやれ! たとえば人の心を美しく正すようなものを書けッ」  という叱正もくる。付記して、 「『恍惚の人』をみよ。ああいうふうに、世論を動かし、社会の矛盾を正す如きものを書かねばならん」  と、わがゆく手に一条の光明を与えて下さる如き指示もある。しかし、「恍惚の人」が老人問題についてごうごうの世論をまきおこしたのは、それは副次的な産物で、有吉サン自身も、「そうしよう思《おも》て書いたんちがう」いうふうなことを、いうてはった。  作家なら誰しもそうあるだろうことで、一丁これで、懦夫《だふ》をして起《た》たしめるものを書こうなんて、思う人はないはずである。  ことにこの、マジメにやれ、というのが困る。世の中、マジメ人間が多すぎることを、私はたいへん弱ったことだと思うとります。せっかく狐狸庵先生が「ぐうたら哲学」をおすすめになっているのであるが、どうもまだゆき渡らぬらしい。マジメ人間というほど、悲しいことはない。そういう人は、「アンクル・トムの小屋」が南北戦争を起し、|額田 王《ぬかだのおおきみ》をめぐって中大兄皇子《なかのおおえのみこ》と大海人皇子《おおあまのみこ》の恋のさや当てから壬申《じんしん》の乱が起ったのだと信じて疑わぬ。  戦争中であったりすると、大本営発表を鵜呑《うの》みにして、ラジオで軍艦マーチが鳴り出すと衿を正して聞き、東条首相が下々のゴミ箱まで視察してまわったりすると大感激する。  政府が国民を餓死させるようなことは、決してなさるはずがないのだ、と信じて配給食糧だけで食いつなごうとし、終戦の詔勅をよんで、ああお気の毒に、お上もどんなにお心をいためておられるであろうかと、自分の栄養失調、ヒゼン・カイセン、焼け出されのバラック住まいはタナに上げて、恐懼《きようく》の涙をこぼす。  お話変って戦後に舞台は一変すると、民主主義ならでは夜も日も明けぬ。革命歌も見よう聞きまねで習いおぼえ、プラカードをかついでメーデーさわぎ、世の中ややおさまると、赤軍派の親の家に石ツブテを投げ、 「教育者のくせに、わが子も満足に育てられんか、首吊って死ね」  と脅迫する。  さてまたお話変って汚染騒ぎになると、魚は汚れていると一も二もなく信じこんで肉もダメ、牛乳、卵もあかんらしい、と栄養失調、マジメ人間というのはせつないねえ。  新聞なんかマジメに読む奴あるかい、あほ。私は戦時中の大本営発表以来、新聞は数割、割引して読むことにしている。  人と人との約束は守るけれども(原稿の締切りはこの限りに非ず)、事に当り、イロイロのことを遠まわりして考えるというふうで、ありたいものである。  男は、女のことをマジメだというが、女から見ると、けっこう男もマジメ人間多く、マジメ人間というのはヒステリックになりやすいから、ヒステリー男というのも、意外に多いのである。  私は上京するたび、一週間前に自分でキップを買いにいくが(趣味でいくのではない。自分でいかないと誰もいく人がない)、あのコンピューターの所にいるおじさんが、どうもにが手である。三ノ宮駅のみどりの窓口にコワーイ御仁がいて、私がひかり何号などというのをちょっといいまちがえると、噛みつきそうな顔で「ハッキリせんかい、ハッキリ!」という。そのじろりとにらんだ白眼の恐ろしさ。震え上った私は帰りのキップも買えずに今度はタクシーで新神戸駅までいき買うという、それほどヒステリーのマジメ男が多い。しかし新神戸だとて似たりよったりのつっけんどん、これは思うに、あのキカイが男どもをヒステリーにするのだ。人間が便利になるために作るキカイに、人間が苛《いじ》められてては、世話ないというものだ。これも男たちが職務に忠実たらんとマジメになるからだ。  男は好色精神にもマジメが入る。 「婦人公論」の付録にこんな話があった(提灯もちするわけではないが、この本に時々つく付録は面白い。又、それ以上おもしろいのは雑誌巻末の「ハガキ通信・私の告発」でありますぞ。この読者たちが、夫・姑・親・職場の上司らに対する酷烈をきわめた告発をよんでごらん、まさに火炎放射器のごときすさまじさ。私の愛読する所以《ゆえん》である。誰もホメないから紹介しとく)。  あるフランスの作家が招かれてアメリカへわたり、宴会にのぞんだ。右手に目もさめる若い美女、左手にモッサリした冴えない中年のおばさん、その中に挟まれた男としては、当然、右手の若い美女に関心がいく。これは男という男、九十パーセント、マジメ人間だからであり、ごじぶんの欲望や関心にマジメ忠実だからである。作家はしきりと美女と歓談し、宴ははてた。左手の中年婦人が、淋しげにぽつんという。「ちっとも小説のお話ができませんでしたわね。実は私も、以前小説を一つ書いたことがありますのよ」男性作家は、半分、バカにした風でかるくたずねた。「ホウ、何という題ですか?」「『風と共に去りぬ』」——。  しかし、たいていの男ならこの場合、マーガレット・ミッチェル女史を悲しませただろうから、べつにこの男性作家だけを責めたり笑ったりするに及ばない。男というものはマジメである。マジメは視野せまく、こころ偏狭である。謹厳実直ということである。マジメ人間にはあそび心、笑いがない。  よって私はマジメな男が子供をもっているのを最高最大のユーモアと思うものである。女と交わるにマジメを以てす、というのはどういう風にやるのか、私にはどう考えてもわからないからである。  女のふんどし  人により、好きな言葉、きらいな言葉があるのは仕方ない。  好ききらい、というのはどうしようもないもので、べつに食べもの、衣服、人間など、だけに限らない、言葉もそうである。  ただその場合、×××といった、ワイセツ語をきらい、というのは、これは、社会通念でのタブーからであって、個人の嗜好とはべつのものである。  好ききらいの言葉というのは、他人は平気で使っているのに、当人は口にするのもいや、読むのもきらい、まして、自分からは死んでも使わぬ、というのだからおかしい。  私の女性の友人は「もだえる」が大きらいだという。ベッドシーンで「もだえる」が出たりすると、もう小説は読まず、はたりと閉じる。  反対に、小説の中で「股間」という言葉の出てくるのが大好きな男もいる。「股間」という字がチラと見えただけで、あわててその一篇をゆっくり、衿を正して読むんだそう。 「失神」という言葉のきらいな男がいる。なんでや、というと「ウソやからや」という。「今まで失神した女、見たことない」というが、失神させたことのない男に、罪があるのかもしれぬ。それを無意識に自分でも知っていて、自責の念、屈辱感、劣等感に苛《さいな》まれるあまり、「失神」という語がキライになったんだろう。となると、これはもはや、心理学的領域である。 「まさぐる」という語が大ッきらいな、ハイ・ミスあり。 「およそ不潔、いやらしい。字ィ見ただけでアレルギーおこすねん」  と彼女は柳眉をさかだてて力《りき》みかえっているが、「まさぐる」なんていったって、まさぐる場所によると思うよ。  かりにこんな小説の一部分があるとする。 「彼はふところをまさぐって財布をとり出し、手の切れそうな一万円札を数枚抜き出すと、好色な微笑を浮べて『おせいさんこれでどうだね』といった」  どこがいやらしい。読者はたぶん、この一部分に於ては、好色な微笑を浮べた男に、「これでどうだね」と迫られる美女「おせいさん」の運命やいかにと気づかい、はた、札束でほっぺたひっぱたいてモノにせんとする男の方に、淫らな想像を強いられるであろう。この際、誰も「まさぐる」をヘンに思う人はない。  すべて、おのが想像、はたまた妄想のなせるわざにより、それぞれ、ヘンでもない言葉をヘンだと思うのだからおかしい。しかしまあ、そこが好き好きというものだ。  佐藤愛子チャンのも、おかしい。彼女は「めくるめく」という言葉が出ると烈火のごとく怒るよ。  愛子チャンの耳もとで、「めくるめく恍惚境」とか「めくるめく快楽のしびれ」などという一節を読んできかすと、彼女は怒って首をしめかねない。 「そういう、いやらしい、下劣な言葉は抹殺すべきである! 大ッきらい!」  と叫ぶ。  それは「めくるめく」境地を、彼女が経験した、経験しないに関係ないと思う。「めくるめく」がきらいだというと、男はすぐ「不感症」に結びつけたがるが、感じたからって、すぐ「めくるめく」に結ぶ方がおかしい。こういう言葉は、内容空疎にして外見華麗というロココ言葉ともいうべく、それが、ことさら仰々しく氾濫しているのに抵抗・羞恥をおぼえるからであろう。——と、私は思う。  なにせ、くわしく愛子チャンにそのいわれを聞こうったって、彼女はその言葉が出ると怒りたけってるばかりだからね。佐藤紅緑の少女小説(少年小説だけでなく、少女小説も彼は書いた)に出てくるヒロインの、真ッ向唐竹《からたけ》割り、という性格に、そのへんはソックリである。 「では、おせいさんはどんな言葉がきらいですか」  とカモカのおっちゃん。——そうですね、私はべつにきらいな言葉とてないが、一つ、こまるのがある。  私は遅筆である。で以て、編集者諸氏、東の横綱は野坂昭如センセイ、西は田辺、ということに定評があるらしい。しかしこの、女の横綱というのが、とてもいやではずかしいの。編集者氏はよけい、ニヤニヤして、 「いや、しかしホカの先生方はみな早いですぞ。ことに神戸在住の作家先生方、陳先生、筒井先生みな早々と届きます。やはりここは観念して頂いて、田辺サンに、綱を締めて頂きましょう」  という。顔容おだやかであるが、その実をいうと、恫喝である。遅筆の横綱なんて名誉にならない。野坂サンはいい、男性だから綱をしめたっていいでしょ、私はこまるのだ。 「何で横綱は女やったら、あきまへんか」  とカモカのおっちゃんはふしんそうにいう。 「だって、横綱ってハダカの上にしめてるでしょ。横綱を服の上にしめる人はありませんよ。女の横綱というと、ハダカを想像してはずかしい」 「なーんや、そのことか、僕はまた、横綱の下のマワシ、フンドシのことをいうのかと思《おも》た。そういえば、大阪弁のシャレで、女のふんどし、というのがありますが、知っていますか?」 「知らん」  と淑女の体面上、いわざるを得ない。 「くいこむ一方、というのです。たとえばどういうときに使うかというと、商売なんかで、一向に儲からん、これはなんぼやったってもち出し、赤字、こういうとき『こらあかん、何ぼやったかて、女のふんどしや、ちょっとやり方、変えなあかん』と経営方針を検討する、そんなときに使う」 「フン」 「たとえば、『もうここらでオロしてもらいますわ、なんぼしても、女のふんどしや』とか」 「フン」 「たとえば……」 「もう、ええわ!」  ともかく、私は、横綱、綱をしめる、そういう言葉を、私が女性のはしくれである限りやめて頂きたい。遅筆の双璧《そうへき》とか、遅筆の両雄(これもおかしいか、私は雌である)はどうか。  ソ コ ハ 力  私が小説を書くと、たいがい雑誌の目次では、ユーモア小説の中へ組み入れられている。もちろん、それは私にとって栄誉である。  しかし、ほんとをいうと、私のねらいは、ユーモア、というようにリッパで格調たかいものではない。私は、もっと低い次元で、それだけになおさらふんだんに人生にばらまかれ、金粉のごとく浮游している「ソコハカとなき」おかしみみたいなものを捉えたいのである。  ユーモア、などというと、外国崇拝狂がすぐ、「日本にはホンモノのユーモアなどあるはずない」と断定するが、そんな物々しいユーモアなど、この人生に要るもんか。  私がおかしいなと思う、「ソコハカとなき」おかしみとは、たとえば、こんなものである。  この前、ある新聞の身上相談を読んでいたら、「私は長年、夫の横暴、無理解、冷酷に、じっと堪え忍んできました。もうがまんできません。別れたいと思いますが……」という投書があって、末尾を見ると、 「七十三歳。主婦」  本人はマジメなのだから、笑ってはいけないけど、何だか、うれしくなっちゃう。  この前、吉永小百合さんと岡田太郎さんが結婚したが、花婿花嫁の三々九度の盃に酒をついだのが、畠山みどりさんだったと聞いて、これも何だか、おかしい。私はマスコミ関係者にたしかめた。 「畠山みどりさんは、ハカマはいてましたか?」 「知りまへん。マスコミはそこまで入れてもらわれへんかったんやから」  この前、私は電車へ乗ったら向いに席をしめた爺さん、カバンの中からやおら輪につないだロープをとり出し、馴れた手つきで、カバンの把手にくくりつけ、何をするのかと見ているとその端をわが手首にひっかけて、悠然と新聞を読みはじめた。なるほど、これなら、置き忘れることはない。そういう光景を見るとき、私はとても上機嫌になってる自分を発見する。  また、この前、ある銀行員が、スケールの大きい不正をやらかして、連日、その銀行員の写真が新聞に載ったことがあった。それがいつもニコニコした写真である。銀行当局は心を痛めた。悪事を働き世間を騒がし、当銀行の信用を失墜させた本人にニコニコ笑っていられたんでは、銀行としてはなお肩身のせまい思いである。銀行当局は必死に、彼のマジメな顔の写真をさがしたが、どこにもない。というのも日頃から、「お客さまにはいつもニコニコ」をモットーに、行員にいいきかせていたからである——これも愉快で、朝日の「青鉛筆」にのってた話。  サトウハチロー氏は妹さんの佐藤愛子サンによると、機嫌のわるいときはそのへんにいられないくらい、ブツブツ文句をいい、外出の間際までいいつづけ、そのくせ、長年の習慣とて、玄関の戸をあけるときは、 「イッテキマス」  というそう、そこがおかしい。  男はみな、そうなのか、ウチの亭主も何かで文句をいっていて、食事どきになっても箸をとってまだいいつづけ、|あほ《ヽヽ》の、|ばか《ヽヽ》の、と私をこきおろし、 「以後気ィつけ、この、鼻べちゃの平あたま——イタダキマス」  と茶碗をとりあげたりしている。  また、先日、サンケイが出してる「くらしの百科」というパンフレットを見てたら、青島幸男サンという人と、井上勝仁サンという人が座談会をして「女性と社会意識」ということを論じていた。井上サンはどうやら男性優位論者らしく、女性は政治に直接参加しなくてもよい、「結婚した以上、旦那がベストな状態で仕事ができるようにするのが女性の役目であり、旦那を通してのみ世の中に参加しますという考えでいいと思う」(本文のママ)といい、「昔、神が造りたもうた人間本来の姿に戻す方法、つまり、男と女の相違を明確にし、日本古来の男女関係の原点にかえす方法」で世の中を是正すべきだという意見である。青島サンは「男も女も平等にあるべきだと思うから男が軟弱になってもいいし、女が強くなってもかまわない」と、応戦これつとめているが、井上サンは頑として「妻は自我なんて持たないようにするのが、家庭円満の方法ですよ」と固執していられる。  写真を見ると井上サンという人はたいへん若い。それはいい、若くても中年でも、こういう考えの人は多く、こういう考えの男性には、こういう考えの女性がついて、天の配剤というのはまことによろしきを得ている。しかし、井上サンという人の肩書きを見れは、「経営コンサルタント」とあった。そういうところが、私にはとてもたのしく、愉快に思えるのだが、ほかの人はどうであろうか。  もし彼の肩書に、「土建屋、作家、坊さん、自衛隊幕僚、大学教授、農家、自民党代議士、野球選手」なんてあったりすれば、べつにおかしくもおもしろくもないのだが、こういう発言・思想のもち主が、時代の先端的な「経営コンサルタント」でめしを食っているという所、「ソコハカとなき」おかしみ、というのはこういうときに使う。  私はこのところ、病院がよいである。膀胱炎が癒らなくて通院治療中である。この|て《ヽ》の病気は、行くとすぐ尿検査をされる。検査用のトイレは、奥に窓口があって、紙コップが備えつけてあり、患者は紙コップに尿をとって検査用紙に添えて、窓口へ提出する仕組みである。  その紙コップは、医学用のそれだから、型は、市販のピクニックなんかにもってゆくのと同じだが、花模様なんかついてなくて、50CC、100CC、なんて目盛りがついてあったり、日付、名前、科名を書き入れるようになっている、白い紙コップである。  しかし、普通のコップ型であるから、男性はよいが、女性には、やや不適当で、なぜ女性用のは広口にしないのであろうか。  私のことは措《お》くとして、この間、窓口の看護婦さんに、お婆さんの患者が叱られていた。こんな少量では検査ができない、というのである。婆さんは恐縮し、 「何や具合《ぐつ》わるうて巧いこといかしまへん」  というが、これを文語文に翻訳すると「どこへあてがっていいのか、我ながら照準が合わなくて困ります」という所。  人生は「ソコハカ」となくおかしくいいものである。そして私はこんなのを見つけるのが大好きである。  兵隊サンよ、ありがとう  男というものは見ていると面白い。いろんなイメージや連想がふくらむ。  それに反して、女を見ても、同性の私は、ちっともイメージが湧かない(当り前とちゃうか)。  女は、どんな人も、その人個人のほか、ありえない。何の何子さんは、何の何子さん以外ではありえない。  しかし男はちがう。何のナニガシ氏は、その向うに、無数にいる、何のナニガシ氏の総代のようなところがある。  そこが、男と女のちがいだと——私は思っている。  たとえていうと、ギイッチャンこと、藤本義一氏は、(私はいつもいうのだが)「若さま侍」でありますよ。城昌幸さんの小説ではないが、落語の「船徳」よろしく、船宿の二階にとぐろをまいて、レッキとした武家の若さまでありながら素ッ町人のくらしになじみ、あたまのかたいお家の三太夫や、しかるべき人々のヒンシュクを買っている。剣をとっては一文字くずしでバッタバッタとやたらなぎ倒して強いこと無双、あたまもよくて学問もあるくせに、伝法言葉を好み、粋がってみせ、悪所にいりびたり、そういう、しゃれのめしたところが、ワカる人はワカるんだけど、かたい三太夫なんていう評論家や、文学賞審査員には通じないだろうから、マワリの方が、気を揉んでしまう。  しかし若さまが、窮屈な邸ぐらしをきらう以上、どうしようもあるまい。船宿の二階でとぐろまいて、世を茶に暮してるのも一興、見物人としては、ときどき、抜く手もみせず、いい腕をみせてもらったときに、さーすが根はサムライ、と、感嘆の念しきり、ギイッチャンの株は上る、という所であろう。  会田雄次センセイを見ると、幕閣の老中を想起する。徳川泰平の世も終り近く、飢饉だ、一揆だ、黒船だと物情騒然、その中をせかずあわてず、スパッスパッと物ごとを裁量して、切れものこの上なしのやりての、会田ナントカの守《かみ》。  この老中が、今までの手合とちがう所は、大奥お女中に評判よろしきこと。これでなくては老中の職にいられない。高級女中の歌橋とか飛鳥井なんていう名前のついてるような恐ろしいお年寄り、中《ちゆうろう》にも信用あって「会田ナントカの守さまは、こう仰せられます」なんていわれると、うるさい大奥、シーンとして耳傾ける。  いくら徳川幕府の老中、大老と威張ったって、大奥女中たちに総スカンをくらったら、とうていやっていくことはできなかったのである。テレビで会田先生がニターリニターリと、いくら意地悪をいっても、婦人層の人気いやたかいのをみると、こういう連想が働かざるを得ない。  小松左京さんは、これは戦前の町内会長の感じ。「このドブ、詰まってんのちゃうか、あの長屋、全体に軒が傾いて来てへんか」から、出征兵士の歓送会、ラジオ体操の早おき会の企画、町内の冠婚葬祭の世話、葬式のときは、香典《こうでん》の帳つけ、婚礼には、羽織をあらためて町内代表で、祝いをもってゆく。  何たって、すごい物知り。  あたまも働く。よろず発想が、長屋の熊さん八っつぁんと、出来がちがう。  ことに、地震、火事のときなど、今から町内の人間の避難先、逃げ道を心配し、煙の具合、風の通り道、ともかく物知りだから、かえって心配ごとが多い。  政府《お》・《か》役所《み》の指示・通達は信用ならぬものと知っているゆえ、一そう気が揉めてならん。  いうなら、戦前の教科書にある「稲むらの火」の庄屋さんみたいな人に思われる。  五木寛之おにいさまは、これは戦前の町内に何十年に一人という割合で出た、「帝大生」のお兄さんのような感じ。  昔、私が子供のころ、大阪下町の町内では、生きた「帝大生」なんてめったに見ること、かなわなかった。そういう人は、まことに雲の上人《うえびと》であった。  たいてい、その土地の旧家の坊《ぼ》ん坊《ぼ》んで、大阪の旧家などには、天神サンが筑紫へ流されはるときに、その家で休憩しはった、そのときのお盃がいまだに家宝として残っている、というような古いのがあるのである。そういう所の坊っちゃんが、東京帝大生、休暇で帰省などされると、大評判、遠くの町内から、弁当もちで見にくる。  たまに外へ出られたりするのにあうと、はげ頭の隠居から熊さん八っつぁん、洟《はな》たれ小僧まで最敬礼し、「どうや、あのかしこそうなご様子」と、わが町内の誇りにする。  あの頭脳の中には何がつまってるんだろうと、万人ひとしく畏敬のマナコ、戦前の大阪下町における帝大生の存在などは、そういうものであったのだ。まして、町内の若い娘などにいたっては、帝大生の奥ふかく住むお邸の前を通るさえ、心かきみだされる心地。  野坂昭如センセイを見るたび、私が思い出すのは「兵隊サンよ、ありがとう」という戦中の小学生の歌であります。  野坂サンは、何となく、われわれ昭和ヒトケタ前半の代表選手といった感があり、われら同世代人を代表して、ひとりで、やっさもっさしている。私たちに代って銃をとって戦う。  キックする、ラグビーする。 「兵隊サンよ、ありがとう」  歌をうたう、えらいサンにかみつく。 「兵隊サンよ、ありがとう」 「四畳半襖の下張」事件で、頑迷|固陋《ころう》なお上に決然と挑戦する。 「兵隊サンよ、ありがとう」  小学生のころ、戦地へ向う兵隊サンの行軍を、われわれコドモは、日の丸振って見送った。 「肩を並べて 兄さんと 今日も学校へ ゆけるのは 兵隊サンのおかげです お国のために お国のために戦った 兵隊サンのおかげです 兵隊サンよありがとう 兵隊サンよありがとう」  歌声の中を「兵隊サン」はザックザックと靴音ひびかせ、戦野へたっていった。「兵隊サンよ、ありがとう」は、何も私、「応援団はチャッチャッチャッ」で傍観していうのではない。感謝をこめ旗を振り、非力《ひりき》ながら銃後の護りは引き受けた、あとに続くを信じてくれ、と叫んでるのであります。  長寿のヒケツ  この間、私は奄美《あまみ》大島の南端の小部落へいって、二、三日、すごしてきた。  古仁屋《こにや》という町があるが、そこより更に南へ下った、戸数九十戸ばかりの小さな村で、その先はもう太平洋、バスも、そこが終点だ。  亭主のお袋がそこの出身で、叔母が今もひとりそこに住み、ことしは老人会入りをしたので敬老の日に、みんなのお祝いがあるから、ぜひ来いという。私はその村が好きなので、旧盆の八月踊りも見たいと思っていった。  折あしく雨が降って八月踊りはみられなかったが、島歌はふんだんに聞けた。  かつ、この村の老人たちがすてきである。  この村は、すごい長寿村なんだ。  七十、八十がザラにいる。あんまり老人会員が多いので(老人会は七十歳以上、入会資格がある)来年からは七十三歳以上にひきあげようかと村の幹部はいっていた。九十婆さんも、カクシャクなんてもんでなく、島歌が出ると、ひとりで立ち上って踊り出す。爺さんの一人は、「この頃、体が弱って働けん」と亭主に訴え、「年なんぼや」ときくと、「八十一」という。心臓の持病があって、畠仕事が思うに任せぬ、手術はできんもんだろうか、と相談し、亭主が「そんな怖いこと、もうやめなはれ」と答えると、爺さんいたく不満のていであった。  とにかく、そういうハツラツたる老人が、七、八十人、敬老の日に、村の広場正面の天幕の下で、ずらりと居並ぶさまは壮観とも何ともいいようがない。ここの村人は礼儀正しいので、いずれもさっぱりとヨソユキの夏の着物に身を包み、威儀を正していると、その威容に打たれ、自然に頭の下る思いである。  村の壮・青年はその前に全員集合、起立して、代表者の読みあげるお祝いの言葉と共に、老人たちの長寿を祝い、敬意を表するが、祝う側の方が、老人たちより数が少ないのである。青壮年の男は出稼ぎに出ているとしても、完全に、比率は逆転して、老人の方が多い。  島の自然は美しいが、労力のわりに、農産物の収穫は少なく、芋、バナナ、パパイヤ、豆(落花生)などで、今年は日照りが強くて野菜は何もできなかったといっていた。魚だけは新鮮で汚染されていないが、それとて、昔からみると漁獲高は減っているそうである。  九月半ばというのに、晴れると蒸し暑く、湿気が多く、海と空の烈しい美しさに比例して、気候も烈しい。  強い日ざしは、島の人々の肌を灼き、贅肉を奪う。温暖清爽、四季おりおりに快い阪神間から見ると、地の果てのように悽愴《せいそう》な気候である。暑い日中は、私なんかボーッとする。  ところが、そんな地にいる人が、長寿で、しかもボケてる人なんかないのだ。  そこが面白い。  食べもののせいもあるかもしれないが、この村の老人たちの社交生活は、私から見ると、じつに充実している、そのせいではないか。  老人だからといって、家にひきこもったり遠慮したりしていない。  八十一でも手術してみようかというファイトのある老人がいるくらいだ、腰の曲った人でも暗くなるまで野良で働き、暮れれば、どこかの家に集まって、話し、飲み、唄い、時によると蛇皮線の弾きがたりをきそう。  老人の数が多い上に、古来からの美風である敬老精神が村には厚いので、老人は、青壮年、子供と対等に交わる。  一村あげて、引きずり引っぱって一族みたいなもので、誰の子がどこへいって、その子がいまいくつで、その妹の嫁にいった先のおっ母さんの叔父さんは、どこそこの誰の連れ合いで、ということが、みんなに知れわたっている。  青年壮年も、大きな顔ができない。みな名前を呼びすてにされ、手当りしだいにこき使われる。赤ん坊の時からの習わしだから仕方ない。  これでは老人がボケるはずがない。  老人は忙しいのである。  朝な、夕な、どこかの家で会合があり、その会合というのは、「茶ッくゎ」を飲んで、ガシャ豆、ラッキョウ、豚みそなどをお茶菓子に、昔話、いまの話、町長選挙、村人の冠婚葬祭のニュースを交換し合うことだが、これがなかなかいそがしい。  一回でもぬけると、大事な話を聞きおとすかもしれない。  あるいは珍しい客(私のような遠来の、しかも典型的内地オカメ型の顔をもった)を見逃してしまうかもしれない。  この村の女性たちは、日にこそ灼けているが、美人ぞろいで、私みたいなオタフクはじつに珍しい。見逃しては終生の痛恨事である。  更に、その珍客は、テープレコーダーなど持参して、珍しい島歌をおさめようとしている。  隣りのケサ松婆さんは吹きこんだそうな。ワシの蛇皮線も、やわか劣るべき。ぜひ聞かさにゃ、というわけで、いろいろいそがしい。  ゆうべは客人は、吉熊大人《きちくまふつしゆ》の家でごちそうになったそうな。今夜はぜひ、ウチで宴会をしてもてなし、 「今日の誇らしゃ いつもよりまさり いつもこのごとく あらしたぼれ」  と、四方にひびけと歌い上げて、客人がこれ、ここにいるぞと自慢せにゃならぬ。  老人はじつにいそがしい。  若い者が、棒踊りをし、相撲をとる、その敬老会の行事について、いちいち、批評もせねばならぬ。指笛、法螺《ほら》貝、太鼓、蛇皮線、それぞれ、昔のわが腕の自慢もしなければいけない。  ボヤボヤしてるひまなんか、ない。  更に、私が、長寿でボケない秘訣をさぐるに、この村の気風は、ピューリタンのごとく清潔で生まじめで、決して、性的に放縦ではない。  私は、内地の村のヨバイについてさまざま研究する所があったが、この島の小村は、そういうことは甚だ忌む風習がある。  それでいて、夫婦仲よく、おだやかに偕老同穴《かいろうどうけつ》、これが、長寿でボケない最大の原因かもしれぬ。  さなきだに、壮年でさえそうであるものを、爺さん婆さんとなるといっそうスガスガしく君子の交わりとなり、見ていて小学校へ入学したての男の子と女の子のごとく、仲良くむつまじく、「長風呂」なんぞ読もうかという年寄りはまちがっても、いないのである。そうして、「長風呂」の材料もがなと色ばなしに水を向ける私の努力は空しかったのである。  どうも私は長寿には見放されそうである。  いや、私だけでない。一億総ポルノ狂いとなった現代日本人はみな、長寿から見放されたといってもよかろう。  公 害 の 害  長寿部落の長寿のヒケツは、むろん、自然がすこやかに清潔なまま、人間のまわりにあって、汚されてない、そのことが、何といっても一ばん大きい。  空気の清澄。  海の美しさ。  客が来たというので、村人は魚を釣り、潜って貝を取ってきてくれる。  鶏をつぶして煮てくれる。  その鶏も庭を走り廻って、あまりものの飯粒や野菜屑で大きくなったヤツ、その身ときたら肥ってコリコリして、煮汁に脂がギラギラ浮く、天然の美味のトリである。  木に成ったバナナをもいでくれる。  これはアイスクリームの極上のような味、パイナップルを叩き落して割ってくれる。甘くて手も唇もベトベトする、自然の甘味。  こんなものを摂っていれば、短命であろうと思っても、不本意に長生きしてしまう。  ところが、地上最後の楽園のような奄美諸島が、いま汚されようとしているのだ。  吹けば飛ぶような九十戸の小村《しようそん》も、いまはその話でもちきりで、人々は不安にかられていた。  島の中部の宇検村《うけんそん》、枝手久《してく》島に、東亜燃料が、石油精製基地を作ろうとしているからである。日産五十万バーレルというのは、世界最大級だそうだ。  近辺の町や村の青年たちは、むろん、あげて反対しているが、同じ青年でも、名瀬の青年会議所が、まだ沈黙しているので、村の若者たちは、こまっていた。  私の滞在した部落は、宇検村に隣接する瀬戸内町に入っているのだが、町の政治家もこういうときには黙して語らず、ヤイノヤイノと反対しているのは、あいかわらず、庶民層ばかりなのである。  奄美の自然を一度見た人なら、これに内地の二の舞をさせて、海を油だらけにし、魚を油くさくさせ、ゼンソク患者をふやし、空を灰色にしたいとは、決して思うまい。  企業側はどこでも、企業と地元の共存共栄をうたうが、そんなものは冷静に考えてありはしないので、企業のエゴと地元の利益はするどく対立する体質のものである。  しかも、海や空というのは、全人類の、というより地球上の生物の共有財産だから、汚してしまったらとり返しつかない。  それでなくてさえ、その村の先端の、風光明媚で有名な海岸に、もうはや、不吉な、コールタールが打ち上げられてあったりするのだ。沖を通るタンカーのせい。  その浜は、ふつうの浜ではなく、太平洋の怒濤が岬や崖にぶつかり、その余波ではげしく渚を打つので、石という石はすべて、美しい球形か、楕円である。だから、玉石海岸と呼ばれているくらいなのだ。丸い石が敷きつめられ、白い砂浜の向うに、手を入れれば染まりそうな濃い紺青《こんじよう》の海、青々と繁るアダンの林、そういう浜に、べっとりと黒いコールタールが付着しているのを見ると、情けないとも何とも、さすがの情け知らずのおせいさんの眼にも、思わず涙が出ようというものである。  どうしてこんなことになってしまったのだ。いまにバチが当っても、しーらないよ、しらないよ。  その海岸は、村の人たちの広場のようなもので、遊山《ゆさん》には、ごちそうをたずさえて、焼酎をのんで歌い踊り、お祭りにもまた、飲み食いして歌い、踊って、先祖の魂《たま》まつりをするところである。  そうして、そういう折の折箱、紙などのゴミは、「波がきれいにしてくれる」と村人はいう。  海は、母牛が仔牛をなめるように、きれいに渚をなめていってくれるのだ。しかしコールタールは、どうにもならない。  海はためいきをつき、力及ばぬことを悲しみつつ、涙のように、黒い固まりを渚に置いてゆく。黒い涙が点々と散って、何千年もかかって波が磨いていった、まんまるな美しい石を汚すのである。そしてもはや、人々は、そこに腰をおろし輪になって、歌い踊ることはできないのである。  宇検村に石油基地がもしできたら、美しい奄美の空と海はもう二度と戻らないだろう。  鹿児島県当局が、それについて確固とした識見をもっていないのでは、どうしようもない。地元次第、などといっている段階ではないのだ。素朴な村の人にだけ、その責任をおわせていたのではもう、手おくれになってしまう。 「奄美も奄美ですが……」  と、カモカのおっちゃんは、私の演説を途中で遮り、 「どうも、困るのは、つい近くにもあります」 「そうなんです。奄美は遠くと思ってもらっては困ります、近くの問題なんです」  と夢中で力説する私に、おっちゃんは遠慮しいしい、また口を出し、 「あの、阪神高速を車で神戸へ入りますな」 「ハイ」 「夜だと、片側は海、片側は山、六甲山にかけて灯がいちめんにばらまかれて、きれいでムードの出るところ」 「まあ、ね」 「ちょうど大阪からはいりますと、神戸ぐらいまでに話がついて、どないや、そうねえ、などという時分です」  何の話かわからないが。 「ひょいとタクシーの窓から見ると、山手に灯がキラキラ、神戸って、すてきねえ、と女の子がうっとり、そうなるとしめたもんです」  おっちゃん相手に、うっとりとなる女が、この世にいるのかねえ。 「神戸の夜はよろしいよ、などといいながら、手ェなんか、握ったりします」 「ちょっと待って下さい、私、いま、厳粛に、公害を論じてるんです。まぜ返さないで下さい」 「いや、そこだんがな。話のスピードといい、ムードといい、ちょうど盛り上ったところで、神戸のトバ口にさしかかる、すると得もいえぬヘンな匂い、得もいえぬいい香りというのはあるが、これは胸のむかつく煙の匂い、神戸製鋼なんていうかの有名な悪臭発生源が、高速道路のそばにありましてな。何もかもオジャン、女の子は夢からさめた如く、我に返ったりする。公害の被害もピンからキリまでです。僕はあの会社に文句いいたい。今まで何人、失敗したかわかれへん」  あ と が き  このエッセイは、はじめ三カ月くらいで終るつもりで書き出したのだが、かりそめの筆のすさびが、いつのまにか二年もつづいてしまい、自分でもおどろいている。  この種のものは、女性では書きむずかしいジャンルであるので、私も、実をいうと書きはじめからそれなりに抱負があった。  風流エッセイから「さわやかさ」と「おかしみ」を失ったら、それはイキのわるい魚と同じである。  それから、楽しんで書くこともたいせつだ。  抱負の成果のほどは読者のご高評にまつほかないものの、二年ものあいだ、楽しんで書きつづけられたのは、読者と「週刊文春」編集部のおかげで、お礼を申し上げたい。  この本を、けしからん猥雑な本で、良風美俗に反する故、家庭の中へ持ち込めないと思われる人は、どうも「話せない人」である。  同様に、この本の書き手の私を、物凄いあばずれで色好みの金棒引きで、男を男とも思わず、ところかまわず猥談にうち興じるおそろしいオバハンだと思われる人も、「わからずや」である。  私はごくふつうの、恥ずかしがりで人見知りして引っこみ思案の「女の子」にすぎない。  誰の前でも、ここに書いてあるようなことをしゃべっているわけではない。  お酒を飲んだときとか、カモカのおっちゃんと会ってるときとか、つまり、心をゆるしてるときだけである。  だから、これは、ごくふつうの|女の子《ヽヽヽ》が(女はいくつになっても、女の子という要素がある)考えたり、疑問をもったり、しゃべったりしていることで、ことさら特異なものではない。  カモカのおっちゃんも、特定の男ではなくどこにでもいる男で、それは、お読み下さったあなた自身かもしれない。文中の「私」が「女の子」であるように、おっちゃんも「男の子」である。  されば、「ボクたち男の子」と「キミたち女の子」の、これは、お酒を汲みかわしつつ交す、たのしーい、おしゃべりである。  男の子と女の子の会話だから、一部の人の忌避するような「いやらしい」オハナシなんてないはずだと、確信するものだ。  拙文を軽妙なさしえで飾って二年間、読者と私を楽しませて下さった奈良葉二先生にお礼を申上げたい。「長風呂」はさしえで保っていると巷間の評判であった。  また原稿のおそい私は、係りの、松藤みち嬢をしばしばてこずらせて申訳なかった。お詫びとお礼を申上げたい。なお、正続二冊の「女の長風呂」を作って頂いた出版部の箱根裕泰氏に、あつくお礼申上げます。                     田 辺 聖 子  昭和四十八年 初出誌 週刊文春/昭和四十七年十月三十日号〜昭和四十八年十月十五日号連載分 単行本 昭和四十九年一月文藝春秋刊 〈底 本〉文春文庫 昭和五十二年三月二十五日刊 (C) Seiko Tanabe 2001 〈お断り〉 本作品を「文春ウェブ文庫」に収録するにあたり、一部の漢字が簡略体で表記されている場合があります。 また、差別的表現と受け取られかねない表現が使用されている場合もありますが、作品の書かれた当時の事情を考慮し、できる限り原文の通りにしてあります。差別的意図がないことをご理解下さいますようお願い申し上げます。